→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第4巻

   101.剣山

「集中力に欠け過ぎ」
 千夜は厳しい言葉を僕に飛ばして来る。
 確かに僕の今日の調子は良くなかった。いなくなってしまった溢歌の事ばかり気にかけてしまう。演奏に集中しようと思えば思うほど、ケアレスミスが多くなる。
「一旦、休憩を入れる」
 時間も半分ほど過ぎた所で、千夜の方から自主的に休憩を呼びかけた。冬だと言うのに、スタジオの中はすぐに熱気が籠もる。おやっさんのスタジオは地下でも換気できているから、単にイメージの問題か。
 千夜はドラムの向こうで椅子に座り、ペットボトルのドリンクを口に含んでいる。演奏の調子はとても良く、受験を間近に控えているのに腕が落ちている気配は全く無い。
「そんな端っこで休まなくても、こっちに来ればいいのに」
 声をかけると、無言で睨み返されそっぽを向く。いつもの事なので、もう慣れた。
「今日、ここに来る前にイッコーと会って、ご飯食べて来たよ」
 イッコーの名前が出たので、千夜も顔を上げる。
「練習に誘おうかと思ったけど、止めたよ。連れて来た方がやり易かったろうけど、千夜がまた苦い顔するんじゃないかと思ったからさ」
 お店でご飯を食べて軽く談笑しただけで、イッコーとは別れた。順調に過ごしているみたいで、問題は何も無い。
「別に気を遣って貰わなくてもいい」
 千夜は冷めた顔のまま呟く。イッコーはまた次の機会にでも誘ってみよう。
「こないだの千夜の家へ遊びに行った事も話してくれたよ。みんなで鍋食べたんだってね。そう言えば、ここ数回はちゃんと打ち上げできてなかったもんね……次のライヴはラバーズで後夜祭があるから、僕も参加できそうだけど」
「ペラペラペラペラとよく喋る……」
 僕の口数の多さに千夜が苦い顔で閉口した。触れられたくない部分なのかな。
「あの日は別に私から頼んで来た貰った訳じゃない。勘違いしないで。鍋を食べたのも、材料まで買い込んで遠くまで来てくれたキュウを泣かせたくなかっただけ」
 素直じゃない弁明が、とても千夜らしい。いつも冷たい態度を取っていても、自分の事を想ってくれているキュウには優しくしている。
「でも、黄昏まで行くとは思わなかったな。いいところあるんだね」
「キュウに連れられた愁にくっついてきただけ。イッコーも、ただ騒ぎたいだけに決まってる」
 そんな事は無い、とわざわざ僕が口に出して言う事も無いか。本当に嫌っているなら、わざわざ遠くまで励ましに行ったりしない事は千夜自身が一番良く解っている筈。
「何にしろ、千夜が元気になってくれたんならOKだよ。みんなと顔を合わせているだけで、まとめる僕もゆとりができるし。後はキュウが千夜に迷惑をかけなければいいけどね」
「最近メールが多くて……隙を見せるとすぐ甘えてくるから困る」
 溜め息を吐く千夜の顔は、心底困っているように見えた。幸せ者の顔。
「でも、ごめんね?前のライヴ、千夜を助けられなくて。もっと早く間に割って入っておけばよかった。前回会った時、謝るの忘れてた」
 肝心な事を忘れていたので、今謝って頭を下げる。前に千夜と会った時は気を遣い、ライヴ前の一件について深く踏み込まなかった。
「いや……いい。謝らないといけないのは私の方。私が先に喧嘩を吹っかけなければ、あんな事にはならなかった。正式メンバーになってからは、なるべく控えようと思っていたのに」
 千夜は席を立ち、僕の方へやって来る。脇に置いてある椅子を手に、ドラム越しでなくちゃんと顔を見て話そうとやや僕から離れた場所に腰を下ろした。
「あんまり喧嘩してなかったね、そう言えば」
 『days』に正式に加入してからは、他バンドとの口喧嘩はあっても殴り合いの喧嘩は少なくなっていた。今思えば、僕達に迷惑をかけないように配慮してくれていたんだ。
「何も自分の価値観を他人に押しつけてしまうような、火種を起こす事はしなくてもいいよ。そう言うのは音楽で十分できる事なんだし。一緒に演奏している僕達にぶつけてくれる分には一向に構わないから」
「分かっている。反省している。二度とあんな真似はしない」
 千夜って結構素直なんだなと思った。よっぽど自分が悪いと思っているんだろう。
「心の中は整理できた?まだ、そんなに時間が経っている訳じゃないけど」
「整理、と言うほどは――問題を先送りにしたまま、今必要な目の前の事をこなしている。時間に追われている方が、余計な事を考えなくて済む」
「今はそれでいいんじゃないかな。前を向いていられれば」
 何とも軽い言葉を言っているなと言う自覚はある。こんな浮ついた言葉で千夜を元気付けられるとは思っていない。
「前を向いて、か――私はそんなに強くない」
 千夜もそれを分かっているのか、股下で両手を組みスタジオの天井をぼんやり見上げた。
「色んなものから目を背けたまま、今日も生き続けている。青空みたいには強くない」
「そんな、僕だって強くないよ。あんなに前向きなイッコーだって、色々なしがらみを抱えているんだと思うよ。僕の場合はそんな大した人生を送っている訳でもないから、みんなと比べると柔だなって感じる時はままあるけど」
 謙遜する訳じゃなく、僕の人生なんて黄昏と比べても紙切れ同然と思う。生まれや育ちで不幸を体験させられるなんて事を一度も感じた事が無い、それだけで僕は幸せな家庭に生まれ育ったと自負できる。だからこそ、今の自分を不甲斐無いと思ってしまうのだ。
 僕は諭すように、話を続けた。 
「頼ればいいんだよ、気を許せる人を。僕も恥ずかしい事につい先日気がついたんだけど、ずっと一人の力で何とかしようと思っていたんだなって。できない事は無いと思うよ。でも、それには途方もない労力が必要だと思う。身を持ち崩してしまうくらいの」
 溢歌に教えて貰った事を、早速千夜に伝える。千夜は僕なんかよりずっと賢いから、すぐに生き方を変えられるはず。
「僕やイッコーじゃなくてもいい、キュウでもいいじゃない。面白い事に、仲が良くなれば相手の悩みを聞いてあげたくなってしまうものなんだよね、人間って。キュウだって、できる限り千夜の力になってあげたいときっと思ってるよ」
 頼ってくれなくて寂しいと言っているんじゃない。千夜はもっと、みんなを頼っていい。力になってくれる人間はいるんだと言う事を、ちゃんと伝えたかった。
 それに僕は、千夜の為に何を一番してあげられるかを、良く知っている。
「僕も演奏の腕を磨いて、千夜の助けになってあげたいもの。男だからキュウみたいに同姓の悩みなんて聞いてあげられないけど、音楽で支えになる事はできるから。それが僕達4人、バンドを組んでいる理由じゃない」
 笑顔で話を終えると、突然千夜が感極まった顔を見せ、椅子ごと後を振り返った。
「……どうしたの?」
 小刻みに震える肩を見て心配になり、慌てて声をかける。
「馬鹿っ、変な事言うなっ……!」
 千夜は背中を向けたまま、掠れた声で僕を払い除けた。何か千夜の心に触れる発言をしてしまったか。しばらくそのまま俯いたままの姿勢でいる千夜を見ていると、罪悪感が湧いて来る。
「……ごめん」
 言葉を選んで発言したつもりなのに、失敗してしまった。相手が千夜なら抱き締めて想いを伝える事ができるのに。千夜だと体に触れたら殴られるから、肩に手を置く事もできず、両手が開いているのが悲しい。
 しかし、こうして深い話題を千夜とできるようになったのも、前進した証拠かな?
「……さあ、練習を再開するぞ。もう一度、頭から行くから」
 気持ちの入れ替えができたのか、両手で膝を鳴らし、大股で千夜はドラムの前へ戻って行った。瞳が赤く潤んでいる様子も無く、冷静な表情に戻っている。大事には至らなかったようで、僕は胸を撫で下ろした。
 千夜と話していると、溢歌の事を考えなくて済むから気分が紛れる。練習の後半も前半とは違い、真摯な気持ちで望めた。久し振りに、溢歌と出会って以来最高の演奏ができるようになり、ようやく勘が戻って来た事を実感する。
 嬉しい反面、溢歌の存在がギターを弾くのに足枷にしかなっていないのかと思うと、複雑な気持ちになった。隣に溢歌がいる事を、力に変えるにはどうすればいいんだろう?
 やはり、溢歌に僕の音楽を認めて貰うしか、手は無いのか。
「随分、調子が戻って来たみたい」
 練習も終盤に差しかかる頃、曲間に千夜が満足そうに呟いた。てっきり僕は邪魔になっているだけと思っていたけれど、千夜も手応えを感じてくれているようで嬉しい。最後の曲はありったけの自分を込め演奏した。
「次のライヴまでに、二回くらいスタジオに入るつもり。どう?」
 時間一杯になり、名残惜しい気持ちを振り払い、溢歌を探す為に早めに引き上げようとする僕に千夜が声をかける。
「構わないけど……イッコーは呼んでみる?それならもう黄昏まで呼んで4人で練習した方がいいと思ったりするけど」
「それは……イッコーはあの男と一緒に毎晩路上で演奏しているらしいから、無理に呼ばなくても構わないと思う」
「黄昏と?」
 意外な話に、オウム返しで訊き返すと千夜が頷く。
「私もキュウに誘われた。愁の兄さんも集まっているって言っていた」
「みょーさんも?心配していたけど、黄昏も上手くやっているみたいだね」
 てっきりまた引き籠もってばかりいるのだと思っていたので、安心した。和美さんを連れて遊びに行ったりしているのだろうか。
「しかし、黄昏がストリートライヴって……どこで演奏しているのか知ってる?」
「水海駅の樫鳥屋の高架下とか何とか。行くつもり?」
「いや、止めておくよ。順調に行ってる所をわざわざ僕が引っかき回す必要は無いもの」
 勿論気にはなる。でも、4人の練習でさえ気まずい空気が流れているんだから僕は顔を出さない方がいい。それに、一人で水海に出る機会も今はほとんど無いから。
「青空は――」
「ん?」
「青空は、黄昏の事をいつも気にかけている。あれだけ怒らせて殴られたのに、どうして?」
 思いがけない千夜の質問に目を丸くしてしまう。少し考えた後、ぽつぽつと答えた。
「悪いのは僕の方だし、このバンドは黄昏がいないと成立しないから。勿論、イッコーも千夜も。技量的に一番駄目な僕がいなくなっても、特に問題無い気はするけどね」
「そんな事は無いっ」
 千夜が席を立ち大声を張り上げるものだから、思わず仰け反ってしまう。怒った顔で近づいて来る千夜を呆然と眺めていると、僕の目の前に立ち、指を突き付けた。
「貴様がいるから、私もイッコーもバンドに参加しているんだ。もちろん、黄昏も。第一バンドの曲観の核になっている人間が、まとめ役がいなくなって何になる!?」
「そう……ですね、すいません」
 ここまで頭ごなしに怒鳴られるなんて思いもしなかった。千夜の攻撃はまだ続く。
「最近の青空は、覇気が無さ過ぎる。どんな状況でもただひたすら前を向いてギターの弦を掻き毟るのが貴様の取り柄だろう?それなのに最近はずっと上の空でいる。今日の後半でようやくまともになったけれど、あのままだと次の本番で失敗するのが目に見えていた」
 いつの間にか、立場が逆転してしまっている。
「私の心配をする前に、自分の心配をしろ。黄昏も心配する必要は無い。あれはどんなに酷い失敗をしても次には必ず巻き返す男だから。周囲の心配ばかりして自分が見えなくなったらそれこそ本末転倒になる」
 千夜の言葉はあまりにも的確で、一滴の反論の余地も無かった。
「青空、私が貴方と練習に入った意味が分かっている!?」
「と、言いますと……?」
 詰め寄られ歯切れの悪い答えを返すと、千夜は一気にまくしたてる。
「青空を復調させるため。もちろん、私自身落ち着いてドラムを叩けるか、確認の意味もあるけれど――黄昏の顔色ばかり窺っているようじゃ、何度練習しても同じ。だからこうして、二人で練習の場を設けたのに――」
 頭に血が昇ったのか、ふらつくように僕から離れた。僕の脳天気具合に相当呆れているみたい。それより僕は、千夜の意外な面に驚いていた。
「思ってたより千夜って、周りのメンバーの事ちゃんと見てるんだね。てっきり自分の事でいつも頭一杯になっているものとばかり」
「青空っ!!」
 逆鱗に触れたのか、千夜は手にしていたスティックを僕の鼻筋に勇ましく突き付けた。
「貴様は、ほんとに……っ!……お願いだから、もうちょっと、ちゃんと、して……」
 いい加減怒るのも疲れたようで、言葉と共に力無くスティックを持つ手が項垂れた。心を許したのが間違いだったと顔に書いてある。僕はと言うと、そんなにも自分がちゃんとした人間として見られているとは考えてもいなかったので反省よりも驚きの方が大きい。
「ごめんごめん。次からはもっとリーダーの自覚を持って行動するよ。それにほら、千夜って一緒にいても何を考えているか分からない所があるから。一緒に演奏していても、ひたすらドラムとストイックに向かい合っている印象しか無いんだよ」
 おそらく、僕以外の人間もそう思っているに違いない。僕のギターも常にベースとドラムに合わせているし、イッコーのベースもどちらが合わせると言う訳ではなく相性による阿吽の呼吸で成り立っている。
 しかし、本人にはショックなのか、難しい顔で考え込んでしまった。
「私はそんなに、不思議系な人間なの?」
「え?……と言うより、いつもずっと一人でいようとするから、心が見えないんだよ。千夜だって、自分の心の内を見られたくないようにいつも振る舞っているじゃない」
 真剣な顔で素頓狂な問いかけをされ、思わずつんのめりそうになるのを堪え正直に答える。千夜だってそれを自覚して行動しているはずなんだから、僕達に理解されていないのは当然と思っていたんだけど――ずっと一緒に演奏しているから、相手も自分の事を理解しているものとばかり思い込んでいたのかも知れない。
「そう……よね。私が悪かった……ごめんなさい」
 蒼白な表情で謝る千夜。自分で作っていた壁の存在の意味を改めて理解したようで、半ば愕然としているように見える。その表情を見ていると、居たたまれない気持ちになった。
「そんなしょんぼりしなくても。これでおあいこだよ。お互いに欠点が見つかった訳だし、少しずつ改善するよう僕も努力してみるよ。自覚しないと始まらないもの」
 気休めの言葉をかけてやる。何だかもう、互いに凸凹な存在なんだなと改めて知った。実に面白いバンドだと思う、『days』は。
「残りの二回も、二人で練習しよう。まだまだ良くなる余地があるよ、僕達」
 本当なら他のメンバーも呼んだ方がいいんだろうけれど、二人でやる方がより千夜の胸の内が見える気がした。ライヴ前のリハーサルで音合わせした時のイッコーと黄昏の驚く顔を想像すると、とても楽しみ。
 小物をギターケースに詰め、帰る支度を終える。もう夜の帳が下りている時間で、外も雨模様だろう。イッコーの家に置かせて貰っている自転車を拾い、もう一度岩場と溢歌の家へ寄ってみよう。僕の家でお味噌汁を作って待ってくれているのが一番安心できるけれど、どうだろう。頭を振り、不安な気持ちを懸命に捨て去る。
「僕はこの後用事があるから、千夜が予約入れておいて後で連絡して。シフトの日は――」
 空いている日を手短に伝えると、一足先にお暇させて貰う。今日は千夜のおかげで随分と心がほぐれた。仲間がいると言う事は、とても幸せな事なんだと噛み締める事ができた。
「青空!今日は……」
 スタジオを出ようとする時に、千夜が何かを言おうとする。もうこれ以上留まっている時間も勿体無かったので、最後に僕から言葉だけ残した。
「今日はありがとうね。ほんと、随分と柔らかい表情になったよ、千夜は。じゃあね」
 最初出会った時はとても冷徹で怖い人間に見えたけれど、今はそう思わない。特に前回と今回は、張り詰めていた空気も大分ほぐれているように感じた。
 このまま、大学合格まで無事行ってくれれば。
 そう願い、僕はおやっさんに借りた雨傘を手に雨の中へ飛び出して行った。


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