105.恋愛評論家
「はぁ〜い♪」
休憩時間になったので一息つこうと一階のラウンジに降りると、スタジオの入り口にキュウが満面の笑顔で立っていた。キュウの顔を見ると疲れが出て来るのは仕様かな?
「そんな悲しい顔しなくたっていいじゃない、せーちゃんとアタシの仲なのに〜」
「もうその色仕掛けは通用しないよ。周りが誤解するからさっさと離れなさい」
「誤解してくれたら公然のカップルになるじゃない」
「だからもうそう言う冗談は止めなさいって……とりあえず、外行こう」
「あ〜ん」
甘えて来るキュウの耳を引っ張り、外へ連れ出す。バイト仲間の生暖かい目線が辛い。昼ご飯を食べるついでに話を聞こうと近くのファミリーレストランへ入る事にした。話さなくても大体ここへ足を運んだ理由は分かる。
「イッコーも夕方に練習に来るって言ってたわよ。アタシは暇潰しに先に来たの」
「5時間以上待つの?第一学校はどうしたの、平日なのに」
「もうテスト休みよ。もう毎日遊び三昧」
確かに、すっかり服も遊びモード。しかしこんな寒い日でも生脚を露出させる根性には恐れ入る。休憩時間も限られているのにわざわざ時間のかかるグラタンを頼むのは嫌がらせのつもりなのかな。手元の水を飲み干し、一旦気持ちを落ち着ける。
「で、用件は何?4人での練習は今回はしないって電話したじゃない」
「わかってるわ。だから様子を見に来たのよ、調子はどーかしらって。もう一月以上会ってなかったのよ?ホントなら毎日スタジオに押しかけてるトコよ」
そう言えば、前回のライヴ後からまともに顔を合わせていない。千夜と会っているからしばらく気付かなかった。溢歌と一緒にいるとバンドの事をあまり考えないからだろう。
「また誘惑されたら困るから自然と距離を置いてたんだけど……そんなに経つんだね」
「ひどい!アタシがせーちゃんを取って食うようなマネをいつしたのよー」
「いや、しましたよ……」
周囲に人がいない席に通されたので嘘泣きされても冷静に対処できる。
「イッコーは個人で練習に来るの?」
「そうよ。たそは今頃家に愁としっぽりやってるんじゃない?今は毎日夜にイッコーと二人で練習してるみたいだから、あんまり心配はしてないわよ」
「思ったより慌ててないんだね」
「リハまで合わせないのはせーちゃんが決めたコトでしょ?実際ここしばらく、音を合わせる時に変な空気になっちゃってるからかえってこの方がいいのよ。別に、せーちゃんのせいって言ってるワケじゃないのよ。みんなそれぞれ、色々思うトコがあるのねって言うだけ」
さすがマネージャー。状況が良く分かっていると感心してしまう。趣味でやるだけじゃ無く、卒業したらどこかの事務所でマネージャー業でもやればいいのに。
「あ、そうだ。一応キュウには言っておかないと」
溢歌を探していた時に泊さんと再会し、その時貰った名刺を見せ、改めて知り合った経緯等を軽く説明する。
「へー。凄いじゃない。後でネットで調べておく?検索すればどんなトコか多少出てくるかもしれないもんね」
「意外と冷静だね」
もっと驚いて喜ぶものだと思っていたので、淡々と受け止めるキュウに肩透かし。
「だって、アタシ何も知らないもの、音楽の事務所なんて。ファッション雑誌のモデルの事務所とかなら知ってるし、行きつけの服屋にモデルの知り合いとかいるけど」
それもそうか。
「それにアレでしょ?どんな事務所か分からずに契約して泣きを見るなんてよくある話じゃない?アイドル目指してる子が社長に喰われるとかよく聞くわよ」
「漫画じゃないんだから……」
真偽の程は置いておいて、ともかく警戒心を持つ事は間違いじゃない。
「人となりは良さそうだったけどね。仕事が絡んでないからかも知れないけど」
「金づるなんだから最初人がよさそうなのは当たり前よ。そりゃーCD出せたり、活動しやすくなったりいいコトもたくさんあるんだろうけど?それならまだラバーズのマスターが道楽でやってるレーベルの方が気心知れててマシじゃない」
「まあ、そうなんだけどね……」
キュウの言うようにマスターはインディーズのレーベルも立ち上げている。と言ってもライヴハウスのスタッフと片手間にやる程度のもので、マスターが気に入ったバンドやミュージシャンに音源を作らせるのを手助けすると言った感じの趣味の事務所らしい。二、三度冗談交じりに誘われた事はあるものの、軽く受け流している。
「それより今は目前に迫っているクリスマスライヴよ。今年はトリなんだから、しくじると痛い目見るわよー」
「……それ、本当?」
信じられない言葉がキュウの口を突いて出たので、目を丸くして訊き返す。
「もしかして、それも知らなかったの?せーちゃん、ラバーズに顔出してる?」
「全然……」
焦った顔で僕の目を見ていたので、正直に答えると案の定、大きく項垂れた。
「何してんのよ、アンタ……ちゃんと練習してる!?サボりまくってんじゃないの?」
「それは大丈夫……多分。一応、スタジオにも入ってるから」
「ホントにぃ〜?後でイッコーに確かめてもらうんだからね」
どうやらキュウは僕のサボりっぷりにご立腹のようらしい。連絡は取らなくてもやる事
をやっていると思っていたのだろう。過去の僕ならそうだったのかも知れないが。
「……やっぱり、今日セッションやらなきゃ駄目?」
「――あのねえ、何のタメにイッコーがここまでご足労願うと思ってんのよ!?せーちゃんの調子を確認するタメでしょーが!今日まで連絡入れてないのは逃がさないタメよ?わざわざ偽名まで使って予約入れたんだし」
そこまで手回しされているとグウの音も出ない。でも、確かに少しくらいはイッコーとも合わせておかないといけないかもと言う不安はある。
黄昏に関しては何の不安も無い。黄昏の出来は僕の知る由では無いと言った方が正しいか。会っていないので当日に会ってみないと何とも言えない。でも、黄昏と僕は合わせようとしなくても無意識に、自然の内にどちらが歩み寄るともなく音を合わせられる。リズムがどうとかは考えずに、僕は黄昏に遅れないように失敗しなければいいだけ。
「練習か……大した用事が入っている訳じゃないけど……多分、大丈夫だと思うよ」
「はっきりしない言い方ね。いいけど」
どうしても溢歌の事を先に考えてしまう。帰るのが二時間遅れてしまうだけでも辛い。しかも遅れる理由がバンドの事なら尚更。誤魔化すのも一苦労だもの。
「ホントならおねーさまも連れてきたかったんだけど……忙しいからしょーがないわね。今月顔を合わせたのも家へ遊びに行った時だけだもの」
「連絡はちゃんと取ってるんでしょ?なら大丈夫だよ」
「でも向こうからかけてくるコトなんてほとんどないもの。アタシが一方的に留守録に声入れまくってるだけよ」
大声で呼びかけても振り向いてくれないと言うのは、意外と辛いのかも。どこまで本気なのか僕には測りかねる所はある。
「そもそも、どうしてキュウはそんなに千夜の事を追いかけるの?……あ、どうも」
素朴な疑問をぶつけた時にちょうど自分のランチが運ばれて来た。いい匂いを嗅いで反射的に襲って来る空腹感を抑え、キュウの料理が到着するまで我慢する。
「前にも言わなかった?あんなにカッコイイ女の人、そうそういないわよ」
キュウは自分のフォークを手に取り、僕の皿の上のジャーマンポテトを手早く取ると口に含んだ。
「ないものねだりって言うのかしら?アタシには絶対マネできないじゃない?モチロン愁とか他の女の人も。それだけ特別な魅力が千夜おねーさまにはあるのよ。きっと学校でもモテモテだわ、女子校だけど」
「キュウも千夜の身の回りは知ってるの?」
「この前の学園祭で、せーちゃんが帰った後にみんなでテーブル囲んだ時に聞いたのよ。みょーちん――愁のお兄さんの彼女と同じお嬢様系の女子校なんだって」
「ああ、和美さん」
「せーちゃん、知ってたっけ?」
「うん、ジャケットの絵を依頼しに大学へ行った時に、部室で」
「へー、世の中って狭いのねー」
それは僕の台詞。まさか和美さんと千夜が先輩後輩の間柄とは思わなかった。そのまま色々とその時の話を聞かされ、二人が同じ軽音部に所属していた事を知り二度驚き。本当に世の中は狭い。
話が終わった所でキュウのグラタンも運ばれて来て、ようやく食事にありつける。
「またおねーさまのそっけない態度がいいのよね〜。ついつい追いかけたくなっちゃうのよ。それでいてバンドのコトもちゃんと気にかけているでしょ?仲間想いなのね〜」
「それはちょっと違う気もするけれど……まあいいか」
キュウには悪いけれど、千夜は僕達の事を考えバンドを気にしているのではなく、自分の為に『days』が必要なんだろうと思う。そこまでしてこだわる理由が千夜にはある。それが何なのかまでは僕は知らない。
「ホント、アタシがもっと頭よかったらな〜。樫之木女学院に入っておねーさまと先輩後輩の関係になってバレンタインデーの日なんかにチョコ渡したりして告白するのに」
「女でしょ、君……」
「あら、誰かを想う気持ちは男も女も一緒よ?」
僕にはその理屈が良く分からない。半ば呆れ顔で目を輝かせるキュウの話を聞いていた。
「あのさ、キュウって」
「何?改まっちゃって」
本気で質問してみる。
「千夜の事、好きなの?親しみだけじゃなくてさ、異性に対する感情と同じような意味で」
僕の目があまりに真剣だったのか、キュウも真面目な顔で言葉を選んでいた。続けて僕が喋る。
「例えば同性同士で、僕が黄昏に持っている感情なんかは仲間、それ以上、家族ともまた違った意味で必要な存在だと思っているんだよ。ただそこにキュウが期待してるようないやらしい関係なんて無くて……。つまりその、キュウは千夜の事、どう想っているのかなあと」
「どうって……?それじゃせーちゃんは、おねーさまに対してどういう感情を持ってる?」
「え?僕?」
思いがけない切り返しをされ、目を丸くしてしまった。
「アタシに訊くのならまず自分からしなさいよ。それが礼儀とゆーものよ?」
テーブルに両肘を付き、不適な笑みで僕を見ているキュウを見て、背筋が寒くなった。
手の中のフォークとナイフを置き、しばらく熟考してみる。
「大切なパートナー、と言う感じ、なのかなあ……」
ずっと黙りこくる訳にもいかないので、頭を回らせながら考えを言葉にしてみる。
「人生の伴侶みたいな言い方ね」
「ちっ、違うって。茶々入れないでよ」
キュウの言葉に少し狼狽え、咳を一つ。
「僕にとっての千夜の存在って、横で見ているキュウの方がよく分かっているんじゃないの?バンド内のみんなの立ち位置とか、見えているでしょ?」
「そりゃまー、見えてるけど……ホラ、恋愛感情とかは、ね?」
含みを持たせた言い方でキュウが笑い、湯気の出るグラタンを口に運ぶ。何を言いたいのかよく理解でき、ばつの悪い表情で天井に目線を向けてしまう。
「確かに、男3人女性1人で、黄昏は全く千夜にそんな興味は無いどころか性格的に対立しているし、イッコーも別にそう言うのは……一応女性として捉えてはいるみたいだけど」
その、色んな意味で。イッコーも健全な男子だし、そこに関しては何も言うまい。
すると残る標的は女っ気の無い僕と言う事になる。でもこの前会った時に、キュウは僕に彼女ができた事に感づいていたはずなのに、どうしてまた探りを入れて来るんだろう?
「どーして男のヒトって一々自分の気持ちに説明をつけたがるのかしらね」
「えっ?」
キュウはスプーンを持つ手を止め、小さく溜め息をついた。
「アタシにはせーちゃんがおねーさまのコト、好きっていうふうにしか見えないわよ。恋愛感情なんて大げさなモノじゃなくって、ほんの小さな恋心っていうの?」
「そう……なのかな?自分じゃよく判らないや」
溢歌がそばにいるにも関わらず、妙に千夜の事を気にかけてしまう自分がいる。恋心なのか何なのか、単に背が低いから守ってやりたくなるだけなのか、とにかく周囲からは僕が千夜に対し気を持っているように見えるらしい。イッコーも同じような事を言っていた。
腕組みし唸っていると、キュウがきょとんとした目で僕を見ていた。
「――どうしたの?」
「思ったよりうろたえないな〜って思って。顔色一つ変わってないもの」
「うーん」
苦い顔で手元のレモンティーをストローで啜ってみせる。溢歌との恋愛経験一つで、随分と神経が図太くなったものだと内心自分に感心する。
溢歌がいる以上、僕は千夜に踏み込む気は無いし、いなくてもその気持ちは変わらない。これからバンドをずっとやって行くとしても、お互いの距離が一定以上縮まる事は無いだろう。
と言うか、何だかキュウが僕と千夜をくっつけたがっているようにも見える。穿った見方かも知れないけれど。
「確かに千夜は女性として魅力のある人間だと思うよ――あの性格は別として」
「好き嫌いがはっきり別れるタイプではあるのよね〜。アタシなんかは同性だからそこまで邪険に扱われているようには感じないものね。だから引っついてるんだけど」
「かなり気難しいけど、裏表が無い分一緒にいて面白いよ。よく怒られるけどね」
「でも、おねーさまの事をそんなふうに言う男の人って、それこそ数えるほどしかいないじゃない?せーちゃん達3人と、ラバーズのマスターと、あと行きつけのスタジオの店長さんくらい?他のバンドの連中からは疎ましく思われてるコトの方が多いわ」
「八方美人である必要は無いんじゃない?理解してくれる相手が周囲にいるなら」
キュウはグラタンを食べながら、何か考えていた。やや間を置き、話を再開する。
「こう、異性にいいトコを感じた時、下半身がきゅ〜ん♪とならない?」
「なりません」
「どーして男の人って理性で考えたくなるのかしらね。感情で動く方が人生面白いのに」
「そうやって今まで男の人と付き合ってきたの?」
「つきあうまでは行かなくても、ベッドインなら山ほどあるわよ」
「……変な病気だけは貰わないようにね……」
平然と語るキュウに、僕は引きつった顔でフォローの言葉を言うのが精一杯。何度か本番に及びそうになったのを回避して来たのは正解なのかも。
「とにかく アタシにはせーちゃんが、同じバンドの仲間っていう理由でおねーさまと一定以上の距離を保とうとしている気がするのよね〜。あ、モチロンアタシともね♪」
「それは、やっぱり音楽とプライベートは別物として考えておきたい気持ちがあるから……。と言っても、ほとんど公私混同状態だったりするけどね」
「せーちゃんがアタシを選ぼうがおねーさまを選ぼうが、今の状況から悪い方には転ばないと思うわよ」
「確定事項ですか……」
冷汗を垂らしている僕をよそに、キュウは運ばれてきたフルーツジュースをストローで啜っている。
「そうは言っても同じバンドじゃなかったとして、ライヴハウスで千夜の姿を見かける事があっても、僕は声をかけないんじゃないかな。キュウの言うような片想いがあったとしても、遠目から眺めてるだけで終わっていたと思うよ」
「奥手ね〜」
「性格だもん、仕方無いよ」
笑ってみせ、手元のポテトに口をつける。話し込んでしまったせいで休憩時間も残り少なくなってきた。何だか食べ足りないので帰りにコンビニでおにぎりでも買っておこう。
「一回ぐらいデートしてみれば?セッティングくらいならアタシがやるわよ。ついて行ってもいいけど2対1じゃデートにならないし、イッコー連れて行ってダブルでも構わないけど」
「絶対千夜が首を縦に振らないでしょ」
思わずデートの場面を想像してしまい、苦笑する。どれだけ柔和になっても、千夜がプライベートで僕達と肩を並べて歩いている姿は想像できない。
「あら、そんなコトないわよ?おねーさまだってきっと心のどこかで、アタシみたいな普通の生活を送ってみたいと思っているはずよ?」
キュウの生活が普通なのかなあ……。
「僕は別にいいよ、今のままで。千夜が心を開いてよりバンドが密接になれればそれでいいよ。恋愛とかそう言うのは、僕も望んでいないし千夜も望んでいないと思うから。僕達が一緒にいるのは、同じ音楽をやるためなんだからね」
この話題をここで打ち切り、皿の上に残っているものを胃の中に掻き込む。
「しかしせーちゃんって……」
両手で頬杖ついているキュウが食事を取る僕をまじまじと眺める。その後に言葉が続くと思ったら、そのまま黙りこくってしまった。
「ま、いいわ。そーゆーコトにしときましょ」
その後昼食を終え、キュウと別れた。キュウは何か奥歯に物が挟まったような表情を最後までしていたけれど、あえて僕はそれ以上何も言わなかった。