112.四重奏(カルテット)
照明の落ちたホールのざわめきの中、まずイッコーが真っ先にステージ上に顔を出す。客席前列から歓声。男性の声が多いのもイッコーらしい特徴と言える。
イッコーは僕達とバンドを始める前は、人気の過熱していたパンクバンドのヴォーカルを努めていた。押し出される格好の二代目とは言え、イッコーのヴォーカルを咎める人は聞いた事が無い。『days』のベースに加入してから、内面的な僕の歌詞のおかげで色々と言われる事は今でも多い。それでも怯まず自信を持って続けられるのは、自分のやっている事に間違いが無いと思っているからだろう。
続いてキュウと黄昏がステージへ。二人共、女性の歓声は多い。同姓から格好良いと思われる佇まいの千夜と、周囲から見れば物凄く不思議な存在に見えるルックスのいい黄昏。相変わらず二人の仲は悪いけれど、とても似た者同士。二人共、黄色い歓声にほとんど興味が無い所も面白い。
千夜も『days』に加入した後も、勝ち気な姿勢とそれに似合うだけの天才的な技量のおかげで、周囲から疎ましく思われる事は多かった。加入当初はそれまでと同じように様々なバンドを掛け持ちで叩いていたのを途中から『days』一本に絞ったおかげで、勿体無いと思われている事も多々ある。僕としてはイッコーのようにヘルプで叩いても構わないと思うけれど、本人にそんな気持ちはもう無いらしい。
黄昏は、ルックスの良さを除き、誰からも不満の声を聞かないほど評価されている。そもそも僕達以外とは人付き合いがほとんど無い上、因縁をつける事もつけられる事も無いので、どこか謎めいた感じの人間と見られている。歌っている歌詞の内容にケチがつけられる事はあっても、それは僕の責任の負う立場なので、黄昏本人の悪口ではない。
僕はと言えば、このバンドのリーダーであるが故に、陰口を囁かれる事も多い。ワンマンバンドでは無いけれど、曲も歌詞も大半が僕中心なので、どうしてギターもまともに弾けない人間が技量のある3人を従え音楽できるんだ、と妬ましく思われている部分もある。聞かないようにしていても、その事実がすっかり心に刷り込まれてしまい、卑屈になる事は数え切れないほどあった。
それでも諦めずにいられたのは、この3人がとても力強い存在に思えたから。僕一人の力でこんな大きなイベントの、たくさん観客のいる前でステージに立てるだなんて、そんなの到底無理だったろう。溢歌と一緒になった時もギターを捨てなかったのは、この3人と一緒ならまだまだ上へ昇っていけると心のどこかで思っていたから。一人でやって来ていたなら、とっくに捨てていた。
それだけ、『days』には何か特別な力がある。人を惹き付ける力。自分で作ったものとは思えないほど神聖な存在に思える。だからこそ続けていきたい。
『days』の一人としてステージに立つ僕を溢歌に見て欲しい。溢歌に嫌われようと、僕がどうしても歌を届けたかったその想いを感じ取って欲しい。
「よし」
深呼吸をし、最後にステージに出る。既にみんなは楽器の音出しを始めていた。ステージ上にライトが灯り、歓声が一際大きくなる。ホールの中はこれまでの出演バンドのおかげで心地良い熱気が充満していた。
普段のステージと変わらない心持ちでギターのストラップを肩に掛ける。溢歌はこのホールのどこかで見てくれているのかな?前列付近にキュウの姿も見えた。直前まで僕達と一緒にいたから、押し退け前に来るのは大変だったろうに。
「あー、あー」
普段は一曲目からいきなり入るけれど、今日は用意して貰った自分のマイクの前に立ち、コメントする事にした。前回が言い訳にならないほどに不甲斐無い出来だったから。
「今日は、最高のライヴを見せます。楽しんで行ってね」
手短なスピーチにちらほら拍手も挙がる。観客の期待度がひしひしと胸に伝わり、適度な緊張で背筋が震えた。胸の中では溢歌への想いを言葉にしている。黄昏も同じ気がしたけれど、わざわざしがらみをステージ上に持って来る真似はしない。僕は僕なりに、溢歌へ想いを届けるだけ。
そして今日集まってくれた客席のみんなに、いい演奏を見せるだけ。
準備が終わり3人にアイコンタクトを取ると千夜のジャムセッションが始まり、大きな歓声が上がった。いつもだと曲間に入れる事がある。僕個人でのアドリブだと上手く行かないので、専ら千夜とイッコーがやる。今日最初にそれを持って来たのは、前回から完全に千夜が立ち直っている事をアピールしたい、本人の申し出によるもの。
1分弱ドラムを叩いてみせると、感嘆の声と拍手が挙がった。今日はきちんと叩ける事をアピールした後、すぐさまカウントに入り、一曲目の『ciggerate』に雪崩れ込んだ。
黄昏の声はいつも以上に良く出ている。隣でギターを弾いていて、背筋が震える瞬間があるのは久し振りな気がする。歌う時に一点を集中し直立不動するのが多い黄昏が、今日は珍しく首を左右に振り、観客の顔を見ながら歌っていた。溢歌を探していると言う訳でもなく、様々な人のリアクションを見て、更に強い歌声を返すと言った感じに。
そして以前より、ギターを弾くのがスムーズになっていた。歌うのに邪魔にならない程度のコードストロークを、ほとんど手元を見ずに行えている。これも路上ライヴの弾き語りの成果なのかな?僕が不安になる事も無く、ミスも少ない。声を出す事に集中し過ぎていてストロークする腕が止まる事も以前はあったのに、今はギターのストロークに合わせ歌えるようになっている。些細だけど大きな進歩と言えた。
一曲目が終わり、歓声と拍手が湧き起こる。4人で合わせる時間がほとんど無く、それぞれがバラバラの方向に向いているようでも、音が重なると一つの曲になっている。イッコーは手を上げ、観客の声に応えていた。
今日は演奏中に雑念が少ない。調子の悪い時ほど余計な事を考えてしまうものだからか。溢歌が会場のどこかで見てくれている、そんな気持ちは常に心に抱きつつ、全力で演奏する事に取り組めている。その前向きな意志が僕の演奏を強固なものにしていた。
「じゃあ、次はおれの曲なー」
立ち位置はそのままに、いつもならイッコーがマイクを取る『ブルーベリー』に突入する。けれど、今日は黄昏が歌う。客席でどよめきが起こっているけれど、否定的な声をねじ伏せるように黄昏はシャウトしてみせる。
黄昏とイッコーの声質は、随分と違う。出せる音域はほぼ同じでも、黄昏は芯の入った伸びのある声、イッコーは生まれ持った高い声質をがなるように潰している。なので同じ曲でも、二人が歌うと随分異なる印象で聞こえる。
それでもこの曲自身が持つ踊らせる力は健在で、客席ではダイブする人も見られた。僕達の出番の前にヒートアップしているのをそのまま引っ張って来ている人も多い。大トリなのを最初は心配していたけれど、杞憂に終わりそう。
キュウが押しくらまんじゅうで人の波に呑まれているのが見えた。大丈夫かな。
2曲目が終わった所で、黄昏が大きく息を吐き、だるそうに足下のペットボトルを引っ手繰ると大きな口を開け水を喉に流し込む。一曲一曲に全身全霊を籠めるような歌い方。横で見ているといつもハラハラする。そんな危うさもまた、黄昏の魅力の一つ。
次は『幸せの黒猫』。『地下街の砕けたガラス戸』とどちらか迷った末、こちらに決めた。2曲目からの流れで行くと後者の方が横ノリさせやすい曲ではあるけれど、次の曲も盛り上がる曲だし、何より前者の方が演奏して来た時間と回数が長いので、自然とこちらになった。
一旦間を置き、過熱した客席が落ち着くのを確認してから、イッコーのベースでサビの部分を鳴らし、観客に次の曲を知らせる。みんなが理解したのを確認したイッコーが不敵な笑みを浮かべてから、イントロに突入した。
『days』で作った曲は多い。ライヴの回数と比べると、他のバンドより色々試してみたと思う。もっといい曲をと僕自身が躍起になっていた部分もある。その中で取捨選別されて来たので、初期から演奏している曲は何度も改良が加えられ、僕達だけでなくファンの人達にも親しまれるようになって来ている。客席を眺めると、黄昏の歌に合わせ口ずさんでいる人もちらほら見られた。
曲を育てる。この事はバンドを始めないと解らなかった事だろう。
楽器も触れずにただ曲を聴いているだけの時には、曲は成長するものと思っていなかった。心に残る曲はあっても、その曲が外に広がって行く事は無い、なんて。
しかしこうしてライヴでステージに立ってみて、曲を受け取る人達がいるとそうで無い事に気付く。よりいいものを届けようと、技量を高め、曲を熟成させて行く。受け取ってくれた人とのキャッチボールの繰り返しで曲は育って行く。
何も僕達だけの力でバンドは成長している訳じゃない。聴いてくれる人がいるから演奏して行ける。先を目指し頑張って行ける。
『幸せの黒猫』はじっくりと聴く人が多かった。『days』の持ち曲の中でも一風変わったタイトルで、物語性が強い。その分、受け取り方も人それぞれみたい。
この曲を演奏する時は柊さんの事を思い出す。このライヴもきっと見たかったろう。今は遠くの街にいるし、受験生で忙しいから来れるはずも無い。みょーさんの同じ部活仲間が今日のライヴを客席からビデオで撮ってくれているらしいので、ダビングしたのを落ち着いたら贈ってあげようかと思う。きっと喜んでくれるだろう。
曲が終わり、大きく息を付く。今日はいつも以上にやり易い。イッコーが今回は歌わないので物足りない人はいるだろうけれど、それ以外は客の求めるものを真正面から返す事ができている。客席を見回すと、嬉しそうな、楽しそうな笑顔が多いのが印象的。
隣で黄昏が顔をしかめ、深く呼吸をしている。僕はスタッフから酸素スプレーを受け取り、黄昏に渡す。吸入器を口に当て吸い込んでいると、肩の上下動も小さくなった。
歌い終わった後で息を切らしていても、最中には息が足りなくなり声が途切れる事が無いのは流石と言える。飛ばし過ぎのように見えても、無意識の内に自然とペース配分がコントロールできるようになっている。ずっと暗闇の中、壁に向かい歌い続けた時に培ったもの。調子の悪い時はその配分が上手く行かずに息が途切れる事はあっても、今日に限って言えばその問題は全く無さそう。
「今日は酸素が薄い」
黄昏が冗談めかしマイクに言うと、笑いが起こる。笑いを取りに行っていない分、生真面目な言動がおかしく見える黄昏は、パフォーマーとしてうってつけなのかも。本人にそんなつもりは全く無くても、妙に魅力がある。
「それじゃ、みんなお待ちかねの曲」
僕に合図を送るのを確認し、『夜明けの鼓動』のイントロをかき鳴らす。それだけで拍手と大歓声が湧き起こった。この曲が、いつの間にか『days』の代表曲になっている。
この曲から『days』が始まったとも言える。僕がイッコーを誘う時に演奏した曲。
最初行った時はギターもまともに演奏できずに鼻で笑われたっけ。絶望的なほどギターの才能が無いと思っていたのに、気付けばこうして大勢の人の前で弾けているんだから、人生って不思議。他の3人に比べると技量は見劣るけれど、今日はいつもと違い胸を張って演奏できている。自己否定している自分を受け入れられたからだろうか?
イッコーを誘う時は、黄昏が隣で歌った。最初に黄昏の前で弾き語りした曲も、これ。振り返ると、いきなりオリジナルの曲を弾き語ると言うのも相当無茶をしたものだと思う。あの無謀とも言える情熱は本当にどこから来たのか、思い出すだけで苦笑する。
だからこそこの曲が受け入れられたのは、感慨深い。曲の展開はとてもシンプルで、コード進行も難しくない。だからこそストレートに楽曲に想いを込める事ができたのかも。
黄昏が歌いながら、充実した表情でギターをストロークする。キュウにギターを勧められるまではこの曲も歌うのみで、歌詞の無い箇所は手持ち無沙汰で仕方無くマイクを両手で握り締め、スタンドを振り回す時もあった。だからこそ、曲のパーツを楽器で奏でられる今の状態はとても楽しそう。目を輝かせ、内なる感情を爆発させるように歌う。
間奏の所でイッコーが景気良く絶叫した。ステージ最前列に迫り出し、客を煽る。着ている白のTシャツがたっぷり汗を吸い込み、背中に張り付いている。
千夜のドラミングも凄まじく切れがいい。水を得た魚のように自由奔放に叩いている。この曲自体シンプルな構成なので、ドラムやベースのアレンジに関しては二人に完全に任せてある。なのでライヴで演奏する度にアドリブがかなり入る。今日は二人共型にはまらず演奏していて、逆にこちらはアドリブをほとんど入れず直球で演奏している。そのせいか、これまでのステージとは違う独特のグルーヴを生み出していた。
僕達と出会う前は、千夜もアドリブではほとんど叩かなかったらしいのに、今ではまるっきり逆になっている。普段からドラムパートが任せっきりだったのと、アドリブを入れまくるイッコーの影響をひしひしと感じた。
最後の歌詞パートが終わり、耳をつんざくような歓声の中、僕のギターソロに続き千夜のカウント開始で長い長い後奏に入る。この曲の本当のキモはここからと言っても良い。
最初作った時には、この後奏部分は無かった。もっとテンポがゆっくりで、じっくり聴かせる感じだったのを、バンド用にアレンジした。テンポを上げると曲が短くなるので、後ろの部分を基本のコード進行のループで付け足した形になっている。
まるで格闘技のように全身全霊を籠め、他の3人に負けないように楽器を掻き毟る。勿論楽譜からずれてしまったりするけれど、関係無い。千夜とイッコーのリズム隊に、僕と黄昏のギター二人が負けじと挑むような格好になる。フロアは完全にお祭り騒ぎで、みんな身体を揺らしながら全身で受け止めている。ダイヴをする人や客の上を転がる人もいた。
あまりに盛り上がったので、いつもより若干長い後奏になってしまった。これまでに経験した事も無いような大喝采に胸が熱くなる。イッコーは汗を吸ったシャツを脱ぎ、客席に放り投げた。あれ、お気に入りだったような気もするけれど、実にイッコーらしい。正反対に、千夜は肌を見せない服装のまま、澄ました顔で水分を補給していた。
僕も足下のドリンクで喉を潤した後、意を決し黄昏の元に寄り、耳元で伝える。
「溢歌が来てる」
その言葉に大きく身体を震わせ、跳ねるように客席を見回した。しかし人が多過ぎるからか、見つけられない。焦る黄昏に白いタオルを差し出すと、我に返り受け取った。
「ステージに上がる前に会ったんだ」
真顔で言うと、黄昏の目が更に輝きを増した。思った通り。
実の所、会っていない。本番が始まるまで探しに行く暇すら無かった。あえて嘘をついたのも、こうする事で黄昏の気持ちが高ぶる事が解っているから。罪悪感も持たずに嘘をつけるようになったのは、いつも僕を言葉で振り回す溢歌と一緒にいたからかも知れない。
来ている事は間違い無い。会場内にいる溢歌の視線をずっと壇上で感じている気がする。ステージが終われば溢歌は姿を現すと、僕は確信していた。
「どうする?アレ、やるか?」
アンプを調節しながら、イッコーがマイクを通さず最終的な確認を取りに来る。千夜に目線を向けると、こちらを一瞥してドラムを気ままに叩いた。
ちゃんと演奏できるのか?そんな不安が脳裏を過ぎる。けれど、やりたい。溢歌に僕の想いを聴かせたい。もう、迷う事は無かった。
黄昏が僕の顔を窺う。僕は決意に満ちた目で強く頷き、持ち場に戻った。ホールのざわめく中、ギターをアコギに持ち替え、目を閉じ大きく息を吐く。
暗闇の中でも人の熱気を感じる。無数の声が耳に届く。自分の身体に集中した多くの目線を感じる。不思議と、心は落ち着いていた。
僕が君に伝えたかった想い、届けたい。
「ラスト、『everything gonna days』」
黄昏がマイクに呟くと同時に、僕はゆっくりとアルペジオを奏で始めた。
どれだけ君はこの道を歩いてきただろう?
足跡が風に吹かれても流した涙は地面に種を植えた
僕は一人暗い部屋に閉じ篭ってばかり
いつの日か君に聞かせられる唄を作り続けては棄てた
繰り返される毎日に心が麻痺して
些細な喜びで笑えない僕がいて
悲しい君の背中をいつまでも見送っていた
長くなる夜に憂鬱をぶちまけて
眩し過ぎる太陽に唾を吐いて
血で滲んだ拳を何度も壁に叩きつけた
弱々しい声で、君の名前を、叫び、続けた……
必ず昇る朝日に未来を託して泣いた
心が耐え切れなくて暗い夜に溺れ続けた
あるがままに生きようと願えばそれだけ傷ついて
時に誰かを傷つけて それでも日々を過ごしていく
優しい言葉を受け取って少しだけ笑った
痛みを振り撒いて部屋で一人泣き喚いた
すれ違う僕らは今日もまた同じ夜明けを見ていた
君が背負ってきたものを僕は知らない
分かり合えない心を抱えたままそっと手を伸ばした
僕は人よりほんの少し弱い人間で
不器用な態度でしか想いを伝えられなくてその度に悔やんだ
誰かを助けられるほど誰も強くなくて
なりふり構わず自分の身を削って
振り向いて欲しくて何度も唄をうたった
弱い心を君に繋ぎ止めて欲しかったんだ
悲しみに隠れた喜びを見落として
どれだけ歩いて来ても迷う君がいて
届かない気持ちをこめてそっと手を繋いだ everything gonna days
寒く長い冬に絶望しながら眠った
引き裂かれそうな心で何度も泣き叫んだ
触れ合おうと裸で近づけばそれだけ傷つけて
時に傷つけられて それでも歩み寄っていく
温もりを想い返して少し淋しくなった
本音を投げつけて深い傷を胸に残した
すれ違う僕らは今日もまた同じ夜を過ごした
すれ違う僕らはこれからも同じ日々を歩いていく
いつまでも君を支え続けられるように
everything gonna days この唄をうたうよ
笑い 涙を流し 時に愛し合う日常に流れる
懐かしい唄声にそっと耳を傾けてくれ
演奏している間、僕はずっと溢歌との日々を思い返していた。二月も一緒に居ない、とても短い間なのに、それまでの20年間と天秤にかけても釣り合わないほどの、かけがえの無い胸焦がれる経験をさせて貰った。まだ諦めた訳ではないけれど、満たされた人生を送りたいだなんてずっと願っていた事を、溢歌が叶えてくれた気がする。
本番が始まるまで、楽屋の廊下の突き当たりや裏の駐車場を使わせて貰い、短い時間で曲を固める事ができた。千夜は電子ドラムを店に貸して貰い、少ないパッドでリズムを奏でていた。なので本番では、かなり余分に叩く事ができている。
僕達の演奏に、これまでの曲とは違いホールは波を打ったようにずっと静まり返っていた。音と歌だけが奏でられる空間が、ここにあった。
自分一人だと苦労していた曲の構成は、4人でやると呆気無いほど簡単にパーツが組み合わさり、仕上がった。いつも作る曲とは違い、黄昏の歌い回しを計算していないのに、難無く歌い上げるのを観た時にはさすがに少し嫉妬した。
歌詞もきちんと覚えてくれるか不安でいたけれど、実際に歌ってみせると何の問題も無い。まるで昔からこの曲をステージで歌っていたかのように、手慣れた感じで歌う。
僕の溢歌への想いと、黄昏の溢歌への想いが重なっているからだろうか。
普段は相手の五感に直接捻じ込むような黄昏の歌声も、この曲に限ってはとても優しく、心に染み込むような響きを奏でている。4人で合わせる時間がほとんど無かった曲、音的にスカスカな部分はあるのに、かえってそれが独特のグルーヴを生み出していた。
黄昏はきっとこの曲を溢歌に届けるつもりで歌っているんだろう。けれどそれを妬ましく思う気持ちは無かった。むしろ、僕達4人でこの曲をホールのみんなに届けているんだと、僕はステージでいつも他の3人の力を借り、曲を奏でているんだと溢歌に伝える事ができていると思う。そして、僕がこのバンドに拘り続けている理由も。
弦を掻き毟る事も無い曲なので、背中の汗が冷えて行く。それでも、心はどこまでも温かい。ギターを奏で、マイクに向かい歌い続ける黄昏の姿に、僕自身の姿を重ね合わせる。そんな感覚は、これまでのステージの中で初めて体験した。
最後のサビの後、今日になって曲に付け足されたフレーズを黄昏が歌うと、不意に涙腺が緩みそうになった。今朝、頭の中に奏でられていたメロディを、どうしてもこの曲に入れたかった。既に曲の構造は固まっていたので、最後に付け足す不格好な形になってしまったけれど、このフレーズはどうしても入れたかったから。
音楽を拒絶する溢歌に、この言葉を伝えたかった。
曲が終わると、全身から力が一気に抜け、膝をつきそうになる。ステージの仲間の表情を確認していると、ホールを暖かい拍手が包み込んだ。投げかけられる声援が心地いい。しばらくそのまま、ギターを肩からぶら下げたまま、余韻を全身で感じていた。
黄昏が使っていたピックを客席に投げ、しばらくホールを大きく見回した後、客席からの声に照れ臭そうにしながら脇へ引き上げて行く。いつになく充実した気持ちで歌えたと思う。
いつもなら真っ先に席を立つ千夜も、ドラムの影に隠れるくらいに俯き、その場を離れない。今日は汚名返上のつもりでステージに立ったはずだから、自分の納得できる演奏をする事ができて、感慨深いものがあるんだろう。ふと客席に目をやると、目を輝かせながら両手を振るキュウの姿が見え、思わず苦笑した。
イッコーは前回できなかった鬱憤を晴らすように、まるでプロレスラーの入場パフォーマンスのように両拳を高々と天に突き上げ、吼えていた。このまま服を全て脱ぎ出し、客席にダイブしそうで怖い。僕はその横でライヴを観に来てくれた人の顔をできるだけ目に焼き付けようと、客席をじっくり見回した。溢歌の姿は見えなくても、曲を聴いてくれた人達の満足気な顔を見ているだけで、胸が一杯になる。
誰の為に歌うとか、そんな事どうでもよく思えて来た。僕達の歌を生で聴いてくれ、満足してくれる人がいる。それだけで、音楽をやる意味があるように思えた。
こんな僕の生き方を、溢歌はステージを観て感じ取ってくれただろうか。
祈るような期待を胸に、僕はギターをスタンドに置き、ステージから引き上げた。
スタッフの人達に暖かい声をかけられ、安堵の表情を浮かべながら階段へ向かう。ステージ上ではまだ一人残っているイッコーが、客席のアンコールの声に応え何かやろうとしていた。途中でスタッフに止められるかも知れないけれど、面白いので放っておく。
途中まで階段を昇った所で、黄昏が僕を待っていた。
何も言わず目を合わせ、出された右手に勢い良くタッチし、力強く握り締める。久し振りに黄昏と心が通じ合っている時間を感じた。
笑い合い階段を昇り切った所で、前を行く黄昏が足を止めた。その視線の先を僕も確認し、心臓が高鳴り足が止まる。
「観てあげたわ。これで満足かしら?」
恥ずかしそうに視線を逸らし突っ撥ねた顔をする溢歌に、思わず僕達は苦笑した。