→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第4巻

   113.MESSAGE

「僕が彼女を呼んだんだよ」
 泊さんは横にいる溢歌を顎で差し、言った。
「そうだったんだ。どうして楽屋裏にいるのか、最初観た時分からなかったよ」
 その時の事を思い返し、ついつい苦笑してしまう。
「さっき言ったでしょう?私はいいって言ったのに、楽屋に連れて来られたの。別に私は、こうして外で待っていても良かったのに」
 溢歌はそう言い白い息を吐く。今はライヴハウスの中はお客を全部外に出し、クリスマスパーティーの準備をしている所。音楽雑誌のインタビュー前の合間を縫い、こうして駐車場裏で溢歌に会いに来た。黄昏は今頃、店内で藍染兄妹に捕縛されているはず。
「でも、泊さんと溢歌が知り合いだったなんて……。」
 そう自分で話しながら、溢歌の家の近くで泊さんと偶然遭遇した時の事を思い出した。あれはきっと溢歌を尋ねにやって来ていたんだろう。
「知り合いじゃないわ」
 と思ったら、真顔で溢歌が返答するので思わずずっこける。
「え、そ、そうなの?」
「実は、この子の母親と知り合いでね。何度も足を運んでいたんだけど、今日ようやく会うことができたよ。本当は、赤ん坊とか小さい頃に何度も会ってるんだけどね」
「知らないわ、そんな事。私小さ過ぎて、覚えてないもの」
 まるで赤の他人のようにそっけない態度を取る溢歌。
「とまあ、こんな跳ねっ返りに成長しているなんて僕も思わなかったんだけどね。でも、一目見てわかったよ。目つきとか小さい顔とか輪郭とかそっくりだもんね」
 泊さんは煙草をふかし笑ってみせる。褒めているつもりなんだろうけれど、溢歌はお気に召さないのか不機嫌そうにしている。
「じゃあ、今日家にいなかったのも」
「やっぱり追い駆けて来てたのね。青空クンらしいわ」
「ゴ、ゴメン……」
 どもっていると、横で見ていた泊さんが含みを持たせた顔で笑みを浮かべていた。
「しかし僕も、二人がそんな関係とは知らなかったよ。不思議な縁もあるものだねえ」
「うるさいわねっ」
 溢歌は顔を赤らめもせず、物凄く邪険に泊さんの事を扱っている。初対面に近いから、敵対心剥き出しなのも仕方無い。しかしそんな相手と一緒に出かけていたなんて、一体どんな用事があったのか皆目見当が付かなかった。
「私だって、青空クンとこの男が知り合いだなんて思わなかったわ」
「知り合いと言うか、顔見知りと言うか……」
「前にグデングデンに酔っぱらって足ケガした時に、偶然助けてもらったんだよ。ま、こういう身だしね。青空クンのバンドは、それから何度か観させてもらっているよ」
「あ、どうも」
「どうしてこんな奴に頭を下げる必要があるの」
 溢歌は泊さんの事を物凄く胡散臭い目で見ている。
「本当に君は気性が荒いね。君のお母さんはとてもおしとやかな人だったのに」
「いいからもう、どこかへ行って!青空クンと二人だけで話がしたいの」
「そうか、それは気が利かなかった。それじゃ一旦僕は中へ退散することにするよ」
 邪険に溢歌に追い払われ、泊さんは茶目っ気たっぷりに肩を縮こめ、煙草をくわえながらスキップして裏口へ入って行った。いなくなった後、溢歌が大きく溜め息を吐く。
「一緒にこの店に来たの?」
「偶然行き先が一緒だっただけよ。私と黄昏クンの仲は、ほとんど話していないわ」
 憎らしい目で、泊さんの入って行った扉を睨め付ける。
「――何か訊きたそうな目をしているわね。あの男が言った通り、私は母親の忘れ形見らしいわ。どうせロクでも無い事企んでいるんでしょうけど……青空クンが心配する事でも無いわ。安心して」
 強張った表情を崩し、優しい顔で僕に微笑みかける。これ以上、こちらからデリケートな部分をほじくるような話題をするのは止めておこう。
「どうだった?僕達のライヴ」
 先程再会した時にはライヴ後すぐでほとんど話ができなかったので、改めて尋ねてみる。溢歌は両手を後ろに回し、足下に視線を落とし言葉を選んでいる。
「青空クンが私に伝えたい事、本当の意味で理解できた。そんな感じかしら」
 その言葉を聞けたのが嬉しく、心の底から胸を撫で下ろす。
「てっきりもっと後になったら聴けると思っていた私への曲を、最後に演るだなんて思いもしなかったわ」
「そう?本番前に、溢歌に聴かせたくて頑張って仕上げたんだよ。……自分一人の力じゃ、できなかったけど」
 残念そうに答えると、おかしそうに溢歌は笑った。
「でも、その方が青空クンらしい。私にも意見を聞かず、自分一人の力で仕上げようとして苦しんでいたけれど――言ってたじゃない、一人で音楽を続けて来たんじゃないんでしょう?私はそんな事気にしていないし、むしろ、青空クンの全てが知れた気がして嬉しいの。それに、とてもいい曲に仕上がっていて。私、かなり胸に来ちゃった」
 頬を染め答える溢歌がとてもいじらしく、不意に抱き締めたくなる衝動に駆られた。
「って、ちょっと、苦しい……」
「ご、ごめん」
 気付くと既に溢歌を両腕の中に抱き締めていて、慌てて手を離す。理性が吹き飛んでしまうほど嬉しい気持ちなんて、過去にそうそう無い。
「……この後、どうするの?」
 体裁を整え、今後の事を尋ねてみた。溢歌は人差し指を唇に当て、夜空を見上げ考える素振りを見せる。
「……昼間は予想外の来客があったから、後回しになってしまったけれど。今夜はちゃんと帰るわ。青空クンに教えて貰った事を胸に、しばらく考えてみようと思うの。大丈夫よ、時間はかかるかもしれないけれど――負の連鎖を断ち切って、前へ進む事ができるかもって、今ならそう信じられる気持ちができたから」
「――そう。良かった、本当に……」
「そんな、他人の事で泣きそうな顔になる事無いじゃない。――そうね、他人じゃないわね。私達はお互いに、相手の事をとても大事に想っているもの」
 励ますつもりが励まされているなんて、何だかおかしな構図。だけど、最高のクリスマスプレゼントを溢歌に渡せた事が、心の底から嬉しく思えた。
「やっぱり、家まで送ろうか?何ならこのまま抜け出したって構わないし」
「青空クンも、すっかり大胆になったものね。大丈夫よ、一人で帰れるわ……もう少し、ここにいるけれど。黄昏クンとも、話したい事があるもの」
「……そう」
 黄昏の名前を出され、悔しいと言うより仕方無い気持ちになる。本当ならこのまま溢歌を連れ去ってしまいたい。けれどそれではこれまでと何も変わらないだろう。本当に溢歌の事を想うのなら、溢歌の気持ちも尊重してあげないといけない。
 ずっと黄昏のジャケットを羽織っているのは、そう言う事だと思うから。
「そろそろ、戻らないと。溢歌の事、みんなに紹介しようか?」
「いいわ。私が出て行ったところで、困る人も何人かいるもの。後少し夜風に当たって、胸の興奮を冷ませたいわ。誰かの音楽を聴いてこんなにも胸躍らせる事なんて、久し振り過ぎて困ってしまうほどだもの」
 胸に手を当て苦笑する溢歌。その笑顔に、普段ならどこかまとわりついている負の陰は薄れているように見えた。いつの日か、心の底から溢歌が笑える日が来れば。そのきっかけに今夜のライヴがなってくれたら、こんなに嬉しい事は無い。
「……じゃあ、先に戻るね。何も言わず帰ったりしちゃ駄目だよ」
「大丈夫よ。私は青空クンのペットだもの」
 溢歌は小さく笑い、犬の真似をして吠えてみせる。すっかり元気を取り戻した溢歌の姿に安堵し、僕は名残惜しい気持ちを引きずりつつ裏口から楽屋に戻った。
「ダレ今の子?」
 扉を閉め顔を上げた瞬間、目の前にキュウが立っていて心臓が飛び出るほど驚いた。
「誰って……キュウには関係ないよ」
「ふーん」
 物凄くニヤついた顔で僕を眺め回しているキュウ。これ以上詮索されると辛いので、早足にそばの階段を下りる。
「ホラ、僕を呼びに来たんでしょ?インタビューは楽屋でいいんだよね?」
「ハイハイ。全員と、個別にインタビューあるらしいから。まずは全員でやって、その後パーティが始まってから、一人一人声を取りたいんだって。使われるかどうかわかんないけど、いいんじゃない?人気者っぽくて」
 見られてはいけない場面を見られてしまったような気がする。でもこれで、キュウの僕へのちょっかいが減ってくれれば、それに越した事は無いが。
 楽屋に戻ると、僕達のスペース一角に皆が既に集まっていた。雑誌のインタビューの女性も来ている。これまでに何度も僕達のライヴに足を運んでくれている人で、スペースは小さいながらも僕達のバンドの特集記事を載せてくれている。ただ、その実感は未だに無い。何だか遠い世界の事のようで、自分達の事とは思えない節がある。
 しかしこんな一地域だけ人気のある、まともな音源も出していないバンドを取り上げてくれるのは有り難い。雑誌の記事を読んで今後のライヴに足を運んでくれる人が増えればと願う。
 全員のインタビューが終わる頃に、スタッフの人がパーティの準備ができたので楽屋に呼びに来た。他の出演バンドの人達もお呼ばれしているので楽屋内にいる人達が一斉に部屋を出て行く。他の人達がほとんど出るのを待ってから、僕達も後に続いた。
「愁ちゃんとみょーさんは?」
「下で待ってる。愁や和美さんはいいとしてあいつは入れるつもりはなかったんだけど」
「そーそー!まーた二人で一緒に来てやがるんだぜ!ムカつくったらありゃしねー」
「そんなカッカしなくても、イッコーが声をかければ女の子の一本釣りなんて簡単じゃなくて?そこの人だって、誰か連れて来ているようだし?」
「なっ……!違うよ、ねえ黄昏?ただの知り合いだよね?」
「あ……まあ、そうだな」
「ふーん、あっやしーわねー。ま、後でじっくり調査してあげるわ」
「…………。」
 キュウにからかわれながら、準備の整ったホールへ向かう。一番後ろを歩く千夜は、何も語らず冷めた目で僕達三人を眺めていた。背中が視線で痛い。
「おー、相変わらずライヴ後だってのに、毎年毎年はりきってるわなー」
 飾り付けのされたホールをイッコーが見回し、他人事のように感心する。フロアには円形のテーブルが用意され、いかにもクリスマスと言った食事が並べられていた。
 基本的には今日のライヴの出演&関係者とスタッフ、業界の人達が集まる打ち上げ的なイベントで、昨年はクリスマスライヴに出演したけれど、打ち上げはイッコーの店でしていたので参加は初めてになる。ステージに勝手に上がり演奏するのも自由。こんな場所だとイッコーが暴れ出しそう。ちなみに僕達はそれほどバンドの交友関係も広くないので、ちびちびと固まって食べている。
 結構人が多い。人混みの中に愁ちゃん達3人の姿を見つけ、向こうから愁ちゃんが近づいて来て、黄昏の腕を取りテーブルまで連れて行く。そんな姿に苦笑しつつ、僕は周囲を見回し溢歌の姿を探した。いないと思ったら、ホールの片隅に泊さんと一緒にいる姿を見かけた。ジャケットを脱いでいて、周囲から浮いていると言うか、背景に溶け込んでいるようにじっとしている。
 近寄り話しかけようと思った所でホールの照明が落ち、ライトに照らされたステージの上にラバーズのマスターが姿を現した。海賊の船長みたいなコスプレまでして、周囲から拍手喝采が湧き起こる。そちらに気を取られていると、振り返った時には溢歌の姿は見えなくなっていた。
「ドコ行こうとするのせーちゃん」
 慌てて探そうとその場を離れようとすると、背中の裾をキュウに引っ張られた。ちゃんとマスターの口上を聞いて行けと言う事らしい。ステージ上のマスターは本物かどうかさえ見分けがつかないサーベルを取り出し、何やら映画のワンシーンみたいな演技がかった前説を行っていた。髭とごつい体躯と掘りの入った風格が良く似合う。
 マスターの乾杯の音頭が終わった所で、ホールに照明が戻った。いろんな人が談笑し合い、今日のライヴの感想や今後の事や雑談を交わしている。溢歌を探しに行こうと思ったのに、立ち止まっていると誰かしらに声をかけられ、この場から抜け出せない状況に陥ってしまった。
「よー、せーちゃん。今日のライヴ、よかったよ」
「みょーさん」
 一息つく暇も無く、人の途切れた合間を縫い、みょーさんが近寄って声をかけてくる。すっかり出来上がっているらしく、レモンサワーの入ったグラスを片手に抱えている。
「何と言うかね……あんた達のライヴ見てると、俺も何かやらなきゃー!って思うんだよね。前のライヴは残念だったけどさ……たそが奮起してるのわかってたから、俺もポスターの絵を描かせてもらったりしてちょいと手伝ってみたりしたんだけどね」
「あ、あれ、みょーさんの絵だったんだ!?」
 今回のクリスマスライヴ、ポスターがあちこちに貼られていたけれど、毎年マスターが渾身の腕を振るい(本人曰く)描いていて、てっきり今年もそうとばかり思っていた。と言うか、全くポスターの絵なんて視界に入っていなかったのでどんな絵なのかさえはっきりと思い出せない……。心の中でみょーさんに平謝りする。
「たそ経由で頼んでね。ただの自己満足なんだけどさ。ギャラはいらないっつったけど、一応ここにお呼ばれしたし、うまいモン食わせてもらって満足してるかな。評判なんて、たかがポスターの絵だから耳にしないけどね。でも、いい絵を描けたと思うわ」
 とても満足そうな表情を浮かべ、フライドチキンを頬張る。僕達とは違い、とても自分を飄々と生きている人に見える。そんなみょーさんが少し羨ましい。
「青空さん達って、本当に何でもできるんですね」
 僕達二人が話しているのを見て、和美さんもやって来た。白で合わせた上下の洋服が映える。こんな場所だから、気品のある和美さんの姿は余計に際立っていた。と言うか、バンドマンの外見なんてとても俗世染みているので……。
「何でもって……満足して貰えたなら嬉しいんですけどね。相変わらず、本番で無茶ばかりやっていると思いますよ」
 ステージに立っている間はどんな困難な事さえこなせそうな気持ちになるのに、終わって見ると自分達の成し得た事に驚く、そんな事の繰り返しな気がする。他のバンドはもう少し、地に足をつけて行動するものだと思うし。
「そうですか。このライヴ前にも何度か、二人で黄昏さんやカズ君が路上で演奏しているところに遊びに行ったりしたんですけど、みんな普通に喋るように音楽を奏でるんですよね。私にはそんな才能なんてないから、心の底から凄いなあって」
 口の前で両手を合わせ、目を輝かせ感心したように言う和美さん。案の定、横のみょーさんが少し不満気な顔で僕を見ていた。和美さん自身には自覚が無いだろうけど、結構男殺しだったりするんじゃないだろうか?ところでカズ君って?
「そんな人達と知り合いだなんて、何だかちょっと私、鼻が高いですよ」
「ウチの妹は熱を上げ過ぎて、将来たそに兄さんとか呼ばれそうで怖いけどな、マジで」
 みょーさんは向こうのテーブルで談笑している黄昏と愁ちゃんを眺め、呟く。ステージの上で全精力を使い果たした黄昏は眼を半分落とした状態で、胃の中に食事を取り入れていた。口の周りについた食べかすを、愁ちゃんが困った顔で拭き取っている。
「……仲良過ぎですね」
「だろ。ま、オレは何も文句を言わないコトに決めてるんだけど」
「いいじゃないですか、黄昏さんも愁ちゃんもラブラブですよ。昨日は二人でクリスマスパーティしたらしいです」
「ラブラブねぇ……ま、オレんトコも昨日は同じだったけど」
 愚痴を言いたそうな顔で、プライドポテトと続く言葉を一緒に飲み込んでいる。喉に詰まったのか、咽せた所を和美さんに背中をさすって貰っていた。
 黄昏に直接聞いた訳でもないので、未だに愁ちゃんとの関係がよく分からない。本人は溢歌と愁ちゃんとの二人の距離を、どんな風に置いているんだろう?
「アタシもクリスマスパーティした〜い」
 考え事をしていると、いきなり背中から酔っぱらったキュウが抱き付いて来た。目を離した隙に早速アルコールを開けていたみたい。頭にパーティ用の三角帽子を被っている。ちょびひげでも付けてやろうかと思った。
「学校の友達とか街で遊ぶ友達とかとしたんじゃないの?」
「したけど、したけどぉ〜。アタシはこのみんなとしたいのよ〜」
「と言われても、今がクリスマスパーティだよね?」
 横にいる二人に振ると、何度も頷いた。
「違う、違うの〜!ア〜タ〜シ〜は〜」
「はいはい、烏龍茶でも飲んで酔いを冷ましましょうね。そもそもイッコーのインタビューに同席してたんじゃなかったの」
「おれならここにいるよー」
 後ろから突然イッコーの声がしたので、驚いて振り返った。もう終わったのか、すっかりくつろぎモードで料理を紙皿一杯に山盛りしたのを右手に持っている。
「次はたその番だな。ほら、キュウ。酔っぱらってないでちゃんとたそのとこ行け」
「ふぁ〜い」
 イッコーに首根っこ摘まれ、キュウが退場して行く。その姿を見てみょーさんと和美さんが面白おかしく笑っていた。
 昨日たくさん食べたせいか、あまりお腹が減っていない。とりあえず何か飲むかと適当に紙コップを手にし、飲み物を探しているといつの間にか横にいた愁ちゃんがオレンジジュースを注いでくれた。慣れない事につい会釈してしまう。
「お疲れさまでした」
「ありがとう。黄昏は……あ、そうか、インタビューなんだね」
 愁ちゃんは微笑み、黄昏の行った方向を眺める。隣に並んでみて、溢歌とさほど身長が変わらない事に気付いた。顔も小さく、溢歌とはまた違った抱き締めたくなるような可愛いタイプで、一人でフロアを歩いていたらたくさんの男にナンパされる事だろう。
「どうだったかな?僕達のライヴ」
 尋ねてみると、俯き加減に目配せして答えた。
「あの、その……思わずあたし、涙がこぼれちゃって。ちょっと恥ずかしかったかもです。これまで『days』のライヴはたくさん見てきたけど、うるうる泣いちゃったのは初めてで……ジーンときちゃって、ステージの上で歌うたその姿を思い出すだけで、涙あふれてきそうになっちゃうんですよ。恥ずかしいなぁ」
 照れ臭そうに顔を赤らめる愁ちゃん。多分愁ちゃんにはステージの上にいる黄昏しか目に映っていないんだろうけど、良かったと言ってくれるならそれだけで大満足。
 しかし本当に、恋する女の子と思う。全身から「恋してます!」と言うオーラが放たれ過ぎていて、見ているこちらが気恥ずかしくなるくらい。『純情』と言う言葉が当てはまる。
「次はいつやるんですか?」
 愁ちゃんの突然の質問に、思わず考え込んだ。その間に愁ちゃんからテーブルのつまみを差し出され、チーズスティックをありがたく口に含む。
「一応今の所は、千夜の受験が一段落してから――卒業した後にでも、やれればいいかなと思っているけどね。来年度になってしまうと、また忙しくなってしまうだろうから。それまでに、また音源を作るつもりではあるんだけど……」
「そう!CD!」
 いきなり後ろからみょーさんの大声がし、食べていた物を落としそうになった。
「CD出すんなら呼んでくれな。またジャケット描いてやるから」
「はぁ……」
 そこまでは全く決めていなかったので、生返事しかできない。何を収録するかとか、全く考えてもいないもの。その辺はまたおいおい、話して決める事になるだろう。
「ちょっとトイレへ」
 適当に嘘をつきその場を抜け出し溢歌を探しに行こうとすると、泊さんが目の前に現れた。物凄くタイミングが悪い。
「やー青空君。君を探してたんだよ。ちょっといいかな?」
「はぁ……」
 その後、今日のライヴの感想や今後の話、そして他の業界関係者の人達も交え雑談と言うか音源を出さないかとか事務所への誘いとか色々話をした気もするけれど、溢歌の事が頭で一杯になっていて、会話が右の耳から左の耳へ抜けて行くばかり。とりあえず僕達のバンドに注目してくれる人達がいる事を素直に喜んだ上で、適当にはぐらかす。
「おーい青空―」
 なかなか抜け出せなく困っている所に、インタビューの終わった黄昏が救いの手を差し伸べてくれた。泊さん達に断りを入れ、早足で逃げるように黄昏の元へ向かう。隣で帽子を脱いだキュウがマリオネットのように揺れながら立っているのを見て、苦笑した。
「また明日集まって、ミーティングする必要があるかもね」
 これじゃいつものライヴ後のミーティングはできそうに無い。今日の所は、このパーティが終わったら解散でいいだろう。その頃には終電も近いから。
「ほら、行くよキュウ」
 キュウの腕を引っ張り、インタビュアーの所へ行く。アルコールが入ると、マネージャーとしてはてんで使い物にならなくなるのが困りもの。
 個人のインタビュー自体は、5分もかからなかった。残りの時間は雑談。別にバンドで聞かれて困る事も無いので、正直に答えておいた。一人でも受け答えできるし、別にキュウは必要無いけれど、一応形式上。
 インタビュー中に溢歌の姿を探そうとするも、失礼なので止めておいた。
「ありがとうございました」
 礼を言い、席を離れる。面倒なのでキュウはそのまま椅子に置いておいた。これまでに何度か会話しているけれど雑誌の人は礼儀正しく、音楽が好きなのが純粋に伝わって来て悪い気はしなかった。どんな風に雑誌に記事が載るのか少し楽しみでもある。
「次、千夜の番だよ」
 腕組みをし、紙コップを傾けている千夜に声をかけると、やや反応が遅れこちらを向いた。ライヴが終わり一息ついているのか、少しお酒も入りぼんやりしていたみたい。
「あ、ああ……すまない」
 コップをテーブルに置き、すれ違うように僕の横を通り過ぎようとした所で、思い立ったように僕に振り向いた。
「青空、後で少し話がある。いい?」
「う、うん」
 何だろうと思いつつ頷き、インタビューの席へ向かう千夜の後ろ姿を眺めていた。
 ようやく解放されたので、溢歌の姿を探してみる。黄昏がフロアの一角で、僕が先程話していた泊さん達音楽関係者に囲まれ色々話をさせられているのを目撃した。目が合い、思わず黄昏に謝る。他のメンバーにも聞いて下さいとはぐらかしたのが悪かったか。
 フロアの入口そばに溢歌の姿を見つけ駆け寄ろうとすると、愁ちゃんと話していた。もしかして二人は以前から面識があったのかな?それにしては、険悪な雰囲気や修羅場と言う訳でもなさそうで、僕が間に入り場をかき乱すより、二人で話をさせていた方がいいように思えた。
「よぉ青空、いいライヴだったぜー?」
 二人を遠目から眺めていると突然、屈強な腕が背中から回され抱きかかえられる。頭の上からマスターの顔が現れた。そばにいた受付の井上さんも笑っている。極端にスリムで、細い目が印象的な女の人。
「ど、どうもです。苦しい……」
 普段一体何で鍛えているんだと思うほど太い腕っぷしに、我慢できずにタップする。解放され咽せていると、井上さんが飲み物を差し出してくれたので飲んだ。それがレモンサワーとも知らず、途中まで飲んでまた咽せる。マスターはその姿を見て大笑いした。
「半信半疑で今回のトリを努めさせてみたが、大成功だったな。一年前に比べずいぶんギターの腕を上げたんじゃねーか、青空?」
「そんな……まだまだですって」
 他の3人は良くても、今日の僕のギター演奏はベストとは言えなかった。時間と共に上達していても、一番調子の良かった頃は今年の春頃だったかも知れない。今年一年は色々とあり過ぎたので、順調に活動できたとは言えなかった。
「僕よりも、黄昏がちゃんとギター弾けるようになって来た方がありがたいですけどね」
「おおそうだな。今日はやらなかったが、イッコーも歌うようになったしな。ま、どーせ後で酔っ払ってステージに上がって一曲演るんだろうさ」
 マスターはすっかりステージ上で盛り上がっている一発芸の団体を眺める。DJの機材まで用意され、色んなバンドの人達が好き勝手にターンテーブルを回したりしている。今日のライヴで今年の締め括りと言う人達もいるからか、結構な盛り上がりを見せていた。それに比べ自分達はこうした場所でもいつもと変わらない打ち上げ。
「そーだ、腹一杯になったら後で黄昏と一緒に楽屋の方に来てくれや。話があるからよ」
「話?」
 僕が訊き返すと、マスターと井上さんは顔を見合わせ、口元を緩ませた。怖い。
 マスター達はステージの方へ向かい、ようやく自由になる。黄昏は愁ちゃんやみょーさん達に囲まれ、身動きが取れないでいる。その隙を狙い、入口近くに一人佇んでいる溢歌の所まで大股で向かい、腕を引っ掴むとそのまま受付前の広間へ移動した。
「大胆ね」
「大胆と言うか、フロアで話してると色々邪魔が入るから……」
 半開きのフロアの扉を眺め、呟く。僕達と同じように広間にはホールの喧噪から離れ、落ち着いた話をしたい人達が何組か先客でいた。
「えっと……」
 いざ面と向かうと、言葉が出て来ない。かけたい言葉は山程あるのに、何から話せばいいのか。ライヴの感想は先程聞いたし、あんな風に出て行かれた手前、すがり付く訳にも怒鳴り散らす訳にも行かないし、かと言って世間話で時間を潰したくもない。
「こうした騒がしい場所は、やっぱり苦手?」
 何でもいいからとにかく尋ねると、溢歌は開いた扉の向こうを見遣った。
「こんな馬鹿騒ぎを見ると、昔の事を思い出して嫌になるの。誰も私の事を知らないから、矢面に立たされる事も無いけれど。そう言った意味では、気が楽かしら」
 過去話をされると僕としても腫れ物に触る感じなので、話題を変える。
「知らないって、そういやさっき愁ちゃんと話してなかった?」
 言ってしまってから思わず口を噤み、少し後悔した。しかし溢歌は別段気にする様子も無く、肩にかかる長いウェーブのかかった髪を振り払う。
「前に、あの子の家でしばらく寝泊まりさせて貰っていた事があるのよ」
「それって……知り合いだったの?」
 思いがけない発言に目を丸くする。
「言ってなかったかしら。秋くらいにしばらくあの子の家でお世話になっていたのよ。家に帰りたくなかったから」
「聞いてない聞いてない。それならそうともっと早く言ってくれればよかったのに」
 どうして文化祭の時にみょーさんから隠れる真似をしていたのか、その疑問がようやく解けた。
 今年の秋から冬にかけての溢歌との日々を思い返してみる。出会ってからしばらく夕方に毎日のように会っていた時、あの時に既に家出していたのかな?
「じゃあ、もしかして前に突然いなくなっちゃった時って……」
「あの日は、謝りに行っていたわ。あの子に何も言わずに飛び出してしまって、ずっと青空クンの家に居候しちゃったもの」
 それを聞き、全身の力が一気に抜けた。それならそうと、電話でもいいから連絡くれれば良かったのに。泣きそうな気持ちで必死に探していた自分の苦労をもっと察して欲しい。溢歌は何とも思っていない顔で、項垂れる僕を見ていた。
「そんなに迷惑ばかりかけている?私」
「いや……そう言う訳じゃないんだけどね……」
「大丈夫よ。もう迷惑かける真似はしないから」
 さらっと言ってのける溢歌の表情を見ても、全く信用できない。やはり僕が家に送った方がいいような気がして来た。
「でも、どうして愁ちゃんの家に……」
 そこまで言い、黄昏絡みな事に何となく想像がついた。次の言葉の止まる僕に、溢歌が答える。
「色々あったのよ。ライバルなのか友達なのか、私にも分からないけれど……。でも、それほど年の離れていない同姓の知り合いなんてこれまで数えるほどしかいなかったから、心のどこかで嬉しいと思う気持ちがあるわ。裏切ってばかりいるとは言えね」
 小悪魔みたいな笑みを浮かべてみせる。どこまで本気なのかは置いておいて、溢歌の同年代の友達っていないのだろう。高校にも通っていないし、昔住んでいたと言う向こうの友人とも連絡を取っていないに違いない。
 溢歌が愁ちゃんの事をどう思っているかは知らないけれど、仲良くいて欲しいと願う。
「あんまり愁ちゃんの事、困らせちゃ駄目だよ」
「分かっているわ。険悪になったら、その時はその時よ」
 全然納得していない(涙)。
「青空さーん、いますかー?」
 ちょうど話をしていた所に、愁ちゃんの呼び声がフロアから聞こえて来た。おそらくマスターが呼んだ件についてだろう。
「ほら、お呼びよ。行ってらっしゃいな」
「う、うん。もう一度言うけど、一言無しに勝手に帰っちゃ駄目だよ」
 きつく念を押し、名残惜しい気持ちを胸にその場を立ち去ろうとする。
「青空クン」
 その背中に声をかけられ、すかさず振り向いた。両手を後ろに回し、晴れ晴れとした表情で僕に言う。
「青空クンの伝えたかった事、確かに受け取ったわ。ありがと」
 無性に照れ臭くなり、思わず涙腺が緩みそうになる。僕は精一杯の笑顔を返し、愁ちゃんの元へ向かった。
 溢歌が希望を持ってくれた事、そして今朝までと変わらずに普段通り会話できた事が、心の底から嬉しかった。


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