→Rock'n Roll→  Aozora Tokunaga  top      第4巻

   115.オトメゴゴロ

「ここ?」
 キュウの言う通りに道を歩いて行くと、5分もかからずに細い通り道の所に建つ、小綺麗な4階建て程の白いマンションの前に辿り着いた。イッコーや黄昏の家より水海中心部に近い気がする。人通りはほとんど無く、周辺はひっそりとしていた。
「ここ、ここの2階〜、の真ん中の部屋〜」
 背中に乗りかかるキュウが酒臭い顔を近づけ答える。千鳥足で支えながら帰るのは大変なので、僕のギターをキュウの肩に担がせ、そのキュウをおんぶする形になっている。
 いざ入ろうとすると、入口がガラス戸で閉ざされている。一旦キュウを下ろし、ロックを解除するのを手伝い、中に入った。エレベーターの横にある階段は使わず、素直にエレベーターで二階へ上がる。他人の住んでいる場所に初めて向かう時は何かと緊張してしまうのは子供の頃から変わっていない。
 廊下に出ると、一つのフロアには3つしか扉が無かった。迷う事無く真ん中の扉の前に立ち、キュウに声をかけると返事が無い。耳元で寝息を立てていた。
「ちょっと……寝るのは家の鍵を開けてからにしてよ」
 背中を揺するとキュウが目を覚ます。半分眼が落ちた状態で僕の背から降り、自分のポーチの中から鍵を探す。
「あれ?どこやったっけな……」
 不安になるような言葉を吐かれ参っていると、ようやく見つかったのか嬉しそうに鍵を掲げる。そのまま後ろに放り出してしまいそうになるのを危惧しつつ、横でキュウが家の扉を開けるのを見ていた。
「ただいまぁ〜」
 へろへろな声を上げキュウは玄関に雪崩れ込み、そのまま床上へ突っ伏した。これで役目は済んだのでこのまま玄関の戸を閉め帰ろうかと一瞬思ったけれど、部屋の電気は落ちていてどうやら誰もいないようなので、とりあえずお邪魔する事にした。
「ほら、そんな所で寝ると風邪引くよ。せめて自分の部屋まで戻ろうよ」
「ううーん」
 キュウは身体をくねらせながら、カーペットの敷かれた玄関先を這いずる。僕は大きく溜め息をつき、玄関戸を閉め自分の荷物を適当に降ろした。
「ほら、ちゃんと立って。明かりはどこ?」
 電池が切れたおもちゃのようにまた動かなくなったキュウを立たせ、明かりのスイッチを探す。難なく見つかったので、適当に全てのスイッチを入れた。すぐ突き当たりの扉を開けると、キッチン込みのかなり大きなリビングに出て少し驚く。何だかいかにも女性の住まいと言った感じの居間で、芳香剤の甘い香りが鼻についた。
 少し気恥ずかしい気持ちになりつつ、重いキュウを大きな白い円形のソファの上に持って行く。キュウはそのまま丘に上げられた魚のように寝添べってしまった。何か色々格好がきわどい。それを見ていると急に全身に疲れを感じたので、とりあえず僕も適当なクッションの上に倒れ込んだ。とてもいい匂いで一気に睡魔に襲われそうになる。
 人生で初めて上がる女の子の家とか、そんな感慨を感じるよりもとにかく疲れた。この二日間、まるで人生の大部分を凝縮したような経験をしたので、しばらく何にも起こらない普通の生活がしてみたいと痛烈に思う。溢歌の事はもう黄昏に任せてしまったので、後は溢歌がどうするのかしばらくは待ってみようと思う。
 寝返りを打ち、全身をカーペットの床に横たえる。天井の丸い蛍光灯が眩しく、瞼を閉じた上から白い光が突き刺さる。多少事前に千夜と練習していたとは言え、ライヴ後の疲労はいつになく大きかった。夏頃に毎週やっていた時のような体力はどこへやら。
 けれどこの疲れもしばらくは味わえないんだなと思うと、安堵すると同時に少し寂しくもあった。
 そのまま何も考えず5分程白い天井を眺め身体を横たえていると、キュウが起き上がったのか足音を立て、遅れて冷蔵庫を開ける音が聞こえた。
「せーちゃん、何かのむ〜?」
「えー、あー、何でもいいよー……」
 間延びした問いに億劫な返事を返す。自分の背中についていたスイッチを切ってしまったみたいに、すっかり動けなくなってしまっている僕がいる。
 キュウがゆっくりと戻って来たので懸命に寝返りを打ち体を起こすと、僕の手の上に冷たい缶を乗せてくれた。その冷たさに若干目が覚め、プルを開けようとする。
「ってこれ、ビールじゃない!」
 僕が叫ぶと同時に、景気良く室内にビールのプルタブを開ける音が響いた。立ち上がると、ソファで腰を下ろしくつろぐキュウが缶ビールで喉を潤している。
「飲んじゃ駄目でしょー!また酔っ払うよー!」
「えー、だっておいしーんだもーん。飲みの後、家に帰ってのお酒がいーのよー」
 快活な声で言われ、よくよく考えてみるとここはキュウの自宅なんだからいつものように何も咎める必要は無い事に気付いた。いや、一応未成年ではある。
「何だか寒いわねー」
 冷たいビール飲んでいるんだから当たり前じゃないと思いつつ、キュウはリモコンを手に室内の暖房を入れる。自宅だからか物凄くくつろぎモードに入っている。大きな部屋には大画面テレビはあるし部屋は綺麗だし、奥にも二つ個室の扉があり、そこそこ裕福な暮らしをしているように思えた。僕の家の狭い部屋とは大違い。
「ところで、家族の人は?」
 これだけ広い部屋なのに、誰もいないのが気になった。
「ハハはおシゴトちゅ〜」
「そうなの?何してる人?」
 とキュウの答えにオウム返しに質問を被せてしまい、後悔する。
「ん、看護婦さん。今は看護師って呼び方だっけ?あれ、違ったかな?何だかよくわからないけど、産婦人科の医師か何かなはずよ」
 予想外の答えに胸を撫で下ろす。てっきり水商売か何かと。曖昧な答えだけど、僕も父親の仕事なんてサラリーマンと言う以外あまり詳しく知らない。
「もしかしたらおシゴト休みで、ま〜たオトコ引っかけてるのかもしれないけどね〜」
 自分で言いおかしそうにキュウは笑う。なるほど、何となく家族関係を理解。
「とゆ〜わけで、今日はアタシ一人だけだから、ゆっくりしていっていいのよ〜ん」
「あ!……しまったぁ……」
 キュウの言葉にふと終電の存在を思い出し、項垂れる。もう今から駅へ向かっても終電時刻には間に合わないだろう。部屋の時計を確認するより先に諦めた。
「いーのよいーの、泊まってけば?」
 あっけらかんとキュウがソファの隣を叩きながら言う。
「いや、さすがにそれは……」
「でもどーするの?朝まで」
 正しい指摘に返答に詰まった。今からでもラバーズに戻るかイッコーの家にお邪魔させて貰うか、夜が明けるまで24時間営業の漫画喫茶ででも避難するか(一度も入った事は無い)、それともおやっさんの所にでも居座らせて貰うか。昨日まで溢歌と一緒に居た状況を顧みると、今の自分の状況に少し泣きたくなる気持ちもある。
「どーせ明日も集まるんだから、泊まってっちゃえば〜?アタシは全然カモンカモンよ」
 何そのリアクションは。どうにもならない溜め息を吐き、とりあえず手の中の缶ビールを空けた。今日の打ち上げはほとんど飲んでいなかったし、これがご褒美と思おう。
「あー汗ベトベト。お風呂沸かそっと」
 キュウの何気無い言葉に思わず飲んでいたビールを吹きそうになる。僕が固まっているのをよそに、キュウは足音を鳴らし玄関先へ向かって行った。
 イッコーの家で打ち上げやった時はよくシャワーを貸して貰ったっけ。ライヴで僕もかなり汗を掻いたので、少し全身のべとつきが気になる。
 キュウがお風呂に入っている間に、僕もイッコーに電話をかけてみようか。
「どこに電話しようとしてるのよ」
 携帯電話を取り出しイッコーの番号を確認しようとしていると、頭の上からキュウの声が飛んで来た。顔を上に向けると、影になるようにキュウの顔が真上にある。
「貸して」
 僕の手から携帯を軽く取り上げ、中を覗き込む。慌てて手を伸ばすも、綺麗にかわされてしまった。
「返してよ」
「えーっと、例のカノジョはっと……せーちゃんって、あんまりアドレス入れてないのね。友達いないの?」
「だってバイト先とバンドを行ったり来たりしてるだけだもん。中学や高校の友達なんて卒業したらすぐに疎遠になってるよ」
「確かにアタシも、学校より街中で知り合ったトモダチの方が多いけどね〜。ハイ、例のカノジョの番号でもあるかと思ったら無いのね」
「例の彼女って誰の事なの」
「ホラ、ライヴ終わった後に駐車場で話してたあの子」
 痛い所を突かれる。
「あの子は……何と言うか……一ファンだよ一ファン」
「ふぅ〜〜〜〜〜〜ん」
 視線が強烈に冷たい。柊さんならもっと簡単に嘘をつけたものの、溢歌は僕達のバンドのファンでも無いので場を取り繕うような答えしかできなかった。
「ま、い〜わ。アタシがお風呂から上がった後で、じっくり答えてもらうとするから」
 やっぱりイッコーの家に逃げ出した方が良い気がしてきた。
 携帯を返して貰い、キュウはふらつき気味にソファの上へ再び横になり、ビールを幸せそうに飲む。飲み過ぎるとまた酔い潰れると思うけれど、今はその方が有り難い。
「せーちゃんもそんなトコ座ってないでコッチ来ればいいのに」
「いや、いいです、ここで」
 顔を向けずキュウの誘いを断り、ビールの味を確かめる。僕はただ、この家へキュウを送る為に来ただけだから。
「そんなにアタシに魅力がないっての〜?」
 業を煮やしたキュウが大声を上げると、その場で途端に着ている上着を脱ぎ出した。慌てて背中を向け、見ないようにする。
「何で僕の居る前で脱ぐのっ。寒くないの」
「もう暖房効いてきてるじゃない。オトコのヒトの前で服脱ぐなんていつもやってるコトだもの、今更恥ずかしがるコトなんてないわ」
 平然と言ってのけ、キュウは缶ビールの残りを一気飲みで空にすると、勢い良くこちらへ向かいダイブして来た。かわして怪我させる訳にもいかず、迷っている内に上から圧し掛かられる。手の中のビールをカーペットにこぼさないよう、何とか確保した。
 一息ついていると、上半身下着姿のキュウのお腹が顔の前にあった。
「ホラホラ、これがジョシコーセーのカラダよ〜」
 楽しそうに言い、キュウが僕の顔を抱き締め素肌に息苦しくなるほど押しつける。溢歌より適度に脂肪が付き、クッションみたいにへこむ。嬉しさや興奮が思った以上に湧いて来ないのは、溢歌と別れ全くそうした気分になれないからなのかな。苦しくなって来たのでタップすると、ようやくキュウも離してくれた。
「何なら、このままココでしちゃう?」
 真向かいにカーペットに腰を下ろしたキュウが、ミニスカートの裾を摘み誘惑して来る。一度は本気で抱きたいと思った事もあったのに、今は驚くほど気が滅入っている。
「しないってば。僕は千夜に頼まれてキュウを家に連れて帰っただけだよ。そろそろお風呂も湧いて来たんじゃない?」
 キュウの下着姿に目もくれず腰を上げ、中身の残ったビールをソファ前の丸テーブルに置く。つまらなそうにキュウは舌を出すと、お風呂のお湯を見に行った。キュウの頭の中には男女のしくみの事しか頭に無いのかと、げんなりする。
「アタシお風呂に入るから、せーちゃん絶対に帰っちゃダメだからね」
「わかってまーす」
 風呂場から声がして来たので、返事して空いたソファの上に腰を下ろす。もう仕方無いので、朝が来るまでじっとしていよう。背中を柔らかなソファに預けると、再び睡魔が襲って来た。
 眠気で真っ白になりそうな頭を回転させ、この一日の出来事を頭から順に再生して行く。溢歌と交わしたたくさんの会話は、一字一句間違わず、全て再生できる。楽しい気持ちや切ない気持ちや胸が温かくなる気持ちや、思い出すだけで心の中がくすぐられる想い出ばかり。これを完全に想い出にしてしまうかはこれからにかかっている訳で、また新しいスタートに立ったとも言える。
 隣に溢歌がいない事は悲しいけれど、それ以上に音楽で満足させられたのが嬉しい。今回のライヴを観た事がきっかけに、良い方へ歯車が噛み合ってくれる事を祈る。
 とりあえず、明日からは何をしよう。溢歌のいなかった、バイトと自宅を往復する日々に戻るのかな。『days』もしばらくは動かないし、その間に何をしよう。ずっと贈りたくて作っていた曲は皆のおかげでクリスマスプレゼントにする事ができた。となると、やはり再始動後に出す為の音源の新曲作りかな?
 とは言え、新曲ばかり作っていても仕方無い。曲の総数はそこそこあるのに、まだ完全な形で音源として売り物にしたのは一つも無い。それらを厳選する所から始める事になるだろう。
 溢歌も何かしらの形で加わってくれると嬉しいけれど、さすがにまだ厳しいかな。
 そう言えば音楽業界の仕事をしている泊さんと知り合いの溢歌の母さんって、やっぱり歌手かミュージシャンだったのかな?溢歌があれだけ心に響く歌を唄えるんだから、一般人とは考え難い。泊さんに直接聞けば簡単な話だけど、さすがに実行する気にはなれない。興味本位で知った所で、また溢歌が嫌な顔をするだけだもの。
 トイレに行きたくなったので、沈むソファから何とか起き上がり部屋を出る。トイレの隣の風呂場から明かりが漏れ、キュウの鼻歌が聞こえていた。室内もとても綺麗で、女の園と言う感じがする。
 用を済ませ部屋に戻り、今度は寝るつもりでソファに横たわった。照明が億劫になるも、熟睡してしまうつもりは無いからこれで構わない。
 僕やイッコーはいいとして、これから黄昏はどうするんだろう。春まで何もしないと言う訳にはいかない。助け船を僕が出した方がいいのかな?しかし溢歌が間にいるので、これまでみたいにやり繰りできる自信は無かった。
 今回もイッコーと一緒に路上ライヴをやっていたと言うし、またイッコーの力でも借りよう。今日はもうこれ以上、今後の事について考えるのは止めにした。
 思考を停止すると眠気が急激に襲って来る。そのまま夢も見ずに、僕の意識は空白になった。
「んっ……」
 眠っていると突然口の中に何かがねじ込まれる不快感が襲い、意識を取り戻す。
 口の中で這いずり回るものに似た感覚を思い出し、重い瞼を開くと、目と鼻の先に目を閉じたキュウの顔があり、心臓が飛び出そうになる。
 眼鏡を外しているキュウが僕の顔を両手で掴み、激しいディープキスをしていた。
 こちらが目を開けている事に気付いていないので、再び目を閉じされるがままにする。溢歌の舌とは感触が違い、やや長い。口の中に寝る前に飲んでいたビールの苦みが広がる。頭の中で、唾液が絡み合う音が響く。
 以前、初めてキュウにディープキスされた時もお酒の味がしたっけ。
 息苦しくなって来たので大きく肩で息をすると、キュウが目を開け唇を離した。
「起きちゃった?」
「そりゃ、もう……」
 裸にピンクのバスローブを巻いたキュウが、僕の上に覆い被さるように肌を密着させている。上着の上からなので、押し当てられた胸の感触はよく分からなかった。
「んじゃ、続き」
 言ってすぐ、キュウが再び僕の唇を奪う。嬉しさよりも眠気や疲労で体が重い事の方が先に来ていて、あまり興奮しない。キュウは何かに取り憑かれたかのように僕の唇の中身を吸い尽くそうと舌を絡めて来るけれど、僕から求めようとはしなかった。
 そんな僕の反応に少し頭のスイッチが入ったのか、今度は僕のズボンの上に自分の腰を押し当てて来る。物理的な反応に意識も高ぶるかと思ったら、意外と平静な自分に驚いた。眠気と疲労以外に、溢歌の事が心の大部分を占めているからだろう。
 こちらがウンともスンとも言わないので、キュウは僕から離れ頬を膨らませる。
「んもー!せっかくコッチがご奉仕してるのに、ちゃんと反応してよー」
「と言われましても、とても疲れている上に、眠いです……」
 僕は身体をソファの上に投げ出したまま、目を閉じ答える。
「もうお風呂上がったの?そのままの格好でいると風邪引くよ」
「んもー。お風呂が空いたからせーちゃんも入ればと思って優しく起こしてあげたのに」
「いや、普通の起こし方でいいです……」
「もー!初めてのディープキスだからもうちょっと喜んでくれたっていーじゃない」
 散々な言われようだけど、どうしようも無い。イッコーの家で酔い潰れていた時のディープキスは、本人はすっかり覚えていないらしい。
 僕が溢歌と出会う前ならこの状況も天にも昇る気持ちで迎え入れていたはずなのに。キュウも何度も僕にアタックをかけ、キスを交わしているだけに絶対に誘いに乗ってくるものとばかり思っていたんだろう。
 女心を考えない僕が悪いとは言え、さすがに溢歌に操を立てているつもりはある。
「ホントに寝ちゃいそーね。アタシが服脱がして上げよっか?」
「勘弁して下さい……。そもそも、着替えも持ってないし」
 イッコーの家なら男なので未使用のトランクスを頂戴したりしてその場を凌げるけれど、ここではそうは行かない。
「もうっ、寝るの?寝ないの?」
「……寝ます……」
「それじゃアタシがつまらないじゃないのよ〜っ。初めてせーちゃんを家に呼んだんだから、もうちょっと起きてなさいよ〜」
 酔い潰れていたのを運んだだけなのに。一々言い返すのも億劫なので、目を閉じたまま聞かない振りをする。
「いいから早く寝間着に着替えた方がいいよ、風邪引くよ」
「はぁ〜い」
 つまらなそうに返事をすると、キュウは足音を大きく鳴らしそばから離れて行った。溜め息をつき、寝返りを打つ。着ている服が邪魔とは言え、脱ぐ訳にも行かない。
 しばらくしてキュウがまた足音を鳴らしながら戻って来る。薄目で確認すると、可愛らしい薄桃色のパジャマに身を包んでいた。そのまま僕のそばに腰を下ろす。
「……ねえ、いいんだよ?今日のスッゴイライヴを見せてくれたごほーびに」
 僕に顔を近づけ、また誘って来る。酒の力なのか本心なのか僕には計りかねる。とにかくしばらく一人で休ませておいて欲しかった。
「やっぱり、カノジョのコトが気になるワケ?」
 キュウの言葉にしばらく考えた後、決意を固め口を開く。
「あの子と、今朝まで一月くらい、一緒に暮らしてた」
 溢歌と会っている所を見られてしまったし、もうこれ以上隠していても仕方無い。包み隠さず素直にぶっちゃけた。
 周囲の時間が固まったように、静かな時間が流れる。キュウは僕を凝視したまま絶句しているんだろう。あえてその表情は見ないようにした。
「せ、せーちゃんってダイタンなのね。アタシ驚いちゃったわよ」
 ようやく反応したキュウの声があからさまに裏返っている。女性と付き合うのが苦手と思っていた相手からそんな言葉を聞くのだから当然だろう。実際僕もここ数ヶ月で、性格や物の考え方が随分と変わってしまった気がする。全ては溢歌に出会ってから。
「……なら、アタシをおぶさってわざわざ家まで送ってくれなくてもよかったのに」
 拗ねたようにキュウが言うのが、少し可愛らしかった。
「そんな事言えないくらい酔っ払ってたじゃない。――それに、あの子は今日、家から出て行ったよ。……昼過ぎに」
 また新たな事柄を打ち明けると、再び周囲に沈黙が流れる。
「えーっと……話が見えないわ……どゆこと?」
「無理に隠すつもりは無かったんだけどね。色々あったんだ」
 衝撃の展開に混乱しているキュウに、僕はこれまでの溢歌との話、そして黄昏との関係を、勢いに任せ強い口調で吐き出すように順番に並べ立てる。自分が何を言っているのか振り返りたくも無いくらい、胸の内を全てキュウにぶつけるつもりで語る。出会いから別れまで、性体験まで全て。途中途中に挟むキュウの疑問や相槌に答えながら10分程、僕が一方的に語り尽くした。
「はえ〜、イロイロあったのね……そんなコトになっているなんて、アタシ全然想像もつかなかったわよ」
「だって言わなかったもの」
「アタシにもっと早く相談してくれれば、アドバイスしてあげられたかもしれないのに」
「言ったらキュウは悲しむか怒るでしょ?」
「そりゃー、まぁ……」
 多分僕が今日まで言わなかったのは、キュウが僕を好きな事を解っていたからだろうと答えながら思った。逃げ回ったりした事もあったっけ。
「あの子は、黄昏に送って貰ったよ。きっと今頃、黄昏が介抱してくれている筈だね」
 溢歌の事を思うと胸が少し痛む。納得済みでいるのにこうした気持ちになると言うのが恋心なのだろうか。
「イヤイヤソレって、絶対寝取られるわよ」
「そんな事は無いよ。黄昏が僕に約束してくれたし――今まで手も出していないし、黄昏には黄昏なりの、相手への思いやりがあると思うから」
 キュウの率直な感想ももっともな話で、あっけらかんと言える僕の考えが奇異に映るのは当然の事なのかも。
「で、せーちゃんの思いやりは素直に身を引くコトってワケ?」
 好きな相手の他人との恋愛話なのに、腹を立てた口調で問いかけて来るのが面白い。
「どうなんだろ……今の僕には、何も分からないよ。分からないから、少し間を置いて時間を取る事が必要なんだよ、きっとね」
「ハァーっ、アタシにはさっぱりわかんないわ」
 参ったように溜め息を付かれてしまう。男心と女心の違いの差なのかな。
「僕達3人の関係を、言葉で他人に上手く説明するのは土台無理な話なんだよ。とても不思議な、トライアングルだと思うから……キュウの言ってる事も十分解るよ」
 何も納得して貰おうと思って話している訳でも無い。僕自身が納得でき、溢歌が幸せになれれば一番良いんだから。
 立ち上がったキュウが部屋の明かりを落とし、液晶テレビ横のインテリアスタンドの照明を灯す。室内灯の眩しい光が目に痛かったので、有り難い。
「こんなコトならもっと早くせーちゃんの童貞奪っておけばよかった」
 冷蔵庫の扉を開け、戻って来たキュウが口を尖らせて呟いた。また持ち出して来たビールの缶を開ける音が響く。
「そしたらアタシが、今頃せーちゃんの恋人になれてたのにね」
 少し寂しそうに言うと、キュウは隣のテーブルで喉を鳴らしビールを一気飲みし出した。心配になり、閉じた目を開け諭す。
「あんまり飲んじゃダメだよ」
「コレが飲まずにいられますかー!」
 キュウの心の叫びが室内に響き渡った。これはつまり、僕がキュウを振ってしまった形になるのか。一方的に想われ、勝手に恋心が破れているだけで自覚は全然無くても、形式的には僕が悪いのだろう。
 こうした状況は生まれて初めての事なので、かなり申し訳無い気持ちになった。
「つまりせーちゃんはその子にまだ未練タラタラなワケね」
「だって、まだ一日も経ってないよ……」
「まったくたそも、何考えてんだか。愁はどーすんのよ、フったらアタシ怒るわよ、親友の名にかけて」
「そればかりは僕には何とも……」
「あー、でも愁とたそがこのまましっぽりのままだとせーちゃんにそのヒトが戻ってくるのかー、ソレはソレでアタシの入る隙がなくなるわねー」
「キュウって、基本的に諦めを知らないよね……」
「そりゃそーよ、なせばなる!なせばなるのよ!」
 深夜に大声で叫ぶのは勘弁して貰いたい。弾けた調子のキュウは散々僕に愚痴を言って来るので、仕方無く付き合った。どうして僕が説教されないといけないのだろうと思いつつ、無闇に缶を開け吐いてしまわないように眠気を我慢し、見張る。
 その調子でキュウの涙酒に付き合っていると、やがて再び酔い潰れて来たのか会話の勢いも薄れ間隔も徐々に長くなり、やがて返事もしなくなった。室内に静寂が戻ると安心したのか僕の意識も竹を割ったように遮断される。
 次に意識が戻って来た時には、瞼の上にスタンドの柔らかい光が映った。目を開け上体を起こすと、ソファのすぐそばに眠ったキュウが横たわっていた。
 テーブルの上に投げ出していた自分の携帯電話を掴み時刻を確認すると、朝の4時を回っていた。もうしばらくすると始発も走る頃かも知れない。 
 暖房が入っているのでそれほど寒くないとは言え、このままだとキュウも疲れてしまう。その場で伸びをし、起こさないようにお姫様だっこで持ち上げた。眠っているのでかなり重く感じるけれど、介抱するのは何度もやって慣れている。
 扉の開いているキュウの部屋にお邪魔させて貰い、ベッドの上に降ろす。明かりがついていないのでぼんやりとしか判らないけれど、とても女の子らしい部屋。
「じゃあ、僕は帰るよ」
 酔い潰れ深い眠りに落ちているキュウの耳元で囁き、毛布をかけてあげる。このまま
昼までずっと居ても構わないけれど、やはり一旦帰った方がいいと思った。どのみちこの様子じゃ、今日はミーティングもできそうに無い。溢歌と黄昏の事も考えると、一日から二日程間を開けた方がいい気がした。
 テーブルの上の缶を片付け部屋の明かりを消し、お暇させて貰う。玄関の鍵は開いたままになるけれど、泥棒が入ってくる事も無いだろう。それにキュウの母親が夜勤明けでしばらくすれば戻って来ると思う。
 疲れで全身がまだ重い。それでもキュウに僕の胸の内を色々と聞いて貰ったおかげか、心は幾分と軽くなっていた。自宅で一人で鬱になっているよりは遙かに良かったと思う。他人に口止めするのを言い忘れてしまったけれど、大丈夫だろう。全てを打ち明けてしまったので、これからまたつき合い方も変わって来るのかも知れない。
「キュウ、ありがとうね」
 感謝の言葉を残し、キュウの家の玄関扉を閉めた。


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