→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第2巻

   042.『路地裏の天使』(I wanna be loved)

 この、照明の照らされてないステージってのが結構好きだ。
 明かりがつくまでのほんの数秒の間、視覚が全く働かなくなって音と匂いだけが世界の全てになる。人の集まった会場の匂いに鼻を傾けると蒸せ返ってしまうから、もっぱら聴覚に意識を集中させる。
 すると人々の息遣い、期待混じりの歓声、そして俺達の奏でる音達が全身に染み渡っていく。普段生きてるだけじゃ見えない生の鼓動をはっきりと感じる。
 青空のピックを持つ手が振り下ろされると、ステージに明かりが灯った。
 次の瞬間、歓声と戸惑いの声が客席から上がる。俺はしてやったりと思って、ステージ中央のイッコーと目配せした。
 今日のステージ配置はいつもと違う。普段ならスタンダードにステージに向かって俺が中央、青空が右、イッコーが左、そして千夜のドラムが俺の後ろにある。
 でも、今日はそのドラムがヴォーカルの位置に大きく構えていた。更に、そこに千夜の姿はない。代わりに椅子の上にリズムマシンを用意してて、そこから短いドラムパートが繰り返し流れてる。
 その上、マイクを持ってるのはドラムマシンの後にいるイッコーだ。波打つベースを引きながら、ハイテンションなシャウトを上げる。
 『トラウマ』は俺の持ち曲なのに、俺が唄わないでコーラスに周ってるのも客席が戸惑う原因の一つだった。それでも構わず、いつもより早いテンポでアッパーに演奏する俺達3人。投げかけられる罵声や戸惑いの視線を放っておいて勝手気ままに演奏する俺達の盛り上がりに客席が困惑気味についてきたのは、最後のサビに入ってからだった。
 曲が終わったあと、俺はステージ横のカーテンに隠れているキュウに親指を立てる。向こうも同じように親指を立ててみせると、笑みが二人の間にこぼれた。
 いつもならキュウは客席からステージを見るけど、千夜が来てからの準備もしないといけないから今日ばかりは裏方の役割に回ってる。それと委員会側が俺達の演奏を止めに来るのを防ぐためでもある。せっかくの祭りをぶち壊されちゃたまらない。
 次の曲に入る前に青空が澄ました顔でリズムマシンの前まで歩いて行って、黒と白の縞模様のYシャツから取り出したメモを見ながら、書かれてある通りにリズムと音色を変更する。それが終わると、イッコーのベースラインから『ブラックペッパー』が始まった。
 これが俺達の打ち合わせしてた大学側への皮肉だった。もちろん向こうに渡した曲順のプリント通りに演奏するつもりだ。ただ、普通通りに行こうなんて思っちゃいない。一見観客を裏切ってるようにも見えるけど、ちゃんと最後には満足したって思わせるようなステージにするつもりだ。
 あと、俺がまだ唄えないからしょうがなくっていう部分もある。結局キュウを中心に他のメンバーと相談した結果、以前の感覚が戻ってくるまでステージの中央に立って唄う事はやめようって話になった。
 そしてひとまず、以前3人で演奏してたところにサポートみたいな感じで俺が加わるバンド形態でステージを乗り切ろうって決まった。唄う曲は全部俺の持ち曲で、イッコーの曲は一つも演奏しない事。そして千夜が間に合わない場合は、リズムマシンを使って演奏するって事も。千夜はただ一人不満そうな顔を見せてたけど、自分が開演前に間に合うかも微妙だから何も口出ししなかった。
 案の定、千夜はまだ到着してない。開演前にはあと20分で着くって言ってたから、ちょうど中盤頃には姿も現すだろう。客席を盛り上げていくにはいい演出だと思った。
 でもこうして俺の曲をイッコーが唄うところを横で見てると、面白い部分もあれば、一人だけ取り残されたような複雑な気持ちもある。だけど今の俺が文句を言える立場じゃない。それよりもこうしてまたみんなとステージに立てる事が、俺は何よりも嬉しかった。
「踊ろうぜイヤーッホぅ!」
 間奏でイッコーが叫ぶ。するとまだ呆気に取られてる客席のあちこちでモッシュが起こり始めた。普段なら耳を傾けて聴くような曲でも、アップテンポでダンスミュージックのようにアレンジされたナンバーは客を踊らせるのに十分な力を持っていた。イッコーも青空もいつもより弾けて演奏してる。青空も相当鬱憤が溜まってたのか、弾けっぷりが尋常じゃない。俺も自分のパートが休んでる間は思わず客を煽って手拍子してしまう。
 盛り上がったまま次の曲に突入するかと思いきや、青空がまたすかした顔でドラムマシンの前まで歩いて行って一旦客席を静めた。その姿が妙に受けたのか、ステージ横にいた次のバンドの奴らが爆笑してる。俺達を止めていいものかどうか迷ってるスタッフを置いておいて、次の曲の『カシス・ソーダ』に突入した。
 わけもわからずにはしゃいでいる観客もいれば、完全に呆然として口を開けてる客の顔も見える。そのギャップが面白い。
 俺達がメインバンドじゃないのに体育館は結構な入りで、これほどの人間を前にして演奏するのも初めてのような気もする。ちょっとぐらい緊張してもいいものなんだろうけど、それ以上にバカらしいステージを繰り広げているのが面白くて面白くてたまらなかった。
 唄えない自分の劣等感を打ち消そうとするためにも、わざと大袈裟にはしゃいでる部分もあるのかもしれない。だからコーラスの部分も何とか唄おうとするんじゃなくて、逆に力を抜き過ぎてだらだら唄ったりする。いつも気張って唄ってばかりいたからわからなかったけど、「唄う」ってこんな楽しみ方もあるんだなって事に今更気付いた。もう一度心の底から唄えるようになったら、もっとメリハリをつけてやるのもいいかもしれない。
 再度青空がリズムマシンに向かって4曲目の『言葉はいらない』。まだ千夜は来ない。
 このままあいつが来るまで同じように続けてるだけじゃ面白くないから、客席に向かって一人でダイヴをかましてみたりする。客席から一際大きな歓声が上がって、もみくちゃにされながらステージに押し戻される。それを何度か繰り返してると、いつの間にか曲が終わっていた。
 一体愁達はどんな気持ちでこのステージを見てるんだろう?あまりに人間が多すぎてどこに3人がいるのかちっともわからない。でも、何となしにみょーには大受けしてそうな気がする。あいつの絵に勝るぐらいのステージングを俺達は見せてるとは思わないけど、あいつの心に残るライヴになればいいと思った。
 青空がまたまたリズムマシンの前に足を運ぼうとした時、ステージ横が騒がしくなった。俺達が全員そっちに顔を向けると、キュウに無理矢理押されて一人の制服姿の女子高生が姿を現した。
「…………」
 一瞬奇妙な沈黙が場内に流れた後、マイクのスピーカーからイッコーのひっくり返った奇声が飛び出た。
「千夜っ!?」
 言われるまで、誰だかわからなかった。上品なブレザーに身を包んで、いつもの横にピン跳ねたシャギーカットが全部真っ直ぐ降りている。おそらくコンタクトレンズでもつけてるのか、同じくトレードマークの丸い黒眼鏡をかけてない。
 いつもの強気で人を寄せつけない千夜の姿とは180度違っていた。でも、手に握られたスティックが目の前の女子高生が千夜だって事を証明している。
 顔を真っ赤にして慌ててカーテンの裏に引っこもうとする千夜を、キュウが笑いながら押し返す。客席からもはやし立てるような歓声が上がって、相当困ってる様子だった。
「誰かと思っちゃった」
 目を丸くしていた青空がぽつりと呟く。青空も俺と一緒だったらしい。
「ジョシコーセーのコスプレだったんだなー」
 感慨深く頷くイッコーに、次の瞬間千夜の手から放たれた二本のドラムスティックが突き刺さった。間髪置かずに場内大爆笑が巻き起こる。
「後で絶対全員叩きのめしてやる……」
 いつもの物騒な口調で千夜が呟くと、観念したのか転がったスティックを拾ってドラムの前まで歩いて行った。立ち止まると、カーテンの後に隠れたキュウを思いっきり睨む。慌ててキュウは奥に身を隠した。
「ご丁寧に中央に置いてくれちゃって……」
 スティックで肩を叩きながら、千夜は髪の毛をかき上げる。ドラムを中央に持ってくるステージングは、もちろんイッコーの思いつきで今日決まった事だ。こんな事をする人間はあいつしかいないのを千夜もわかってるから、赤くなった鼻を押さえてるイッコーを殺意の篭った目で睨んでる。普段よりハイテンションになって俺も爆笑してると、視線の相手がこっちに変わった。慌てて口をつむぐ。
 ドラムマシンを止めて、千夜がドラムの前に座る。制服姿の女子高生、それも見るからにお嬢様系統の格好だからとてもその絵が奇妙に映る。かっこいいとも言えなくもない。
「そんじゃま4人揃ったところで、後半戦といきますか!」
 イッコーの声が上がって、千夜のカウントが始まる。どうやら観客のほとんどをこれまでの演出(?)で掴めたみたいだった。
 立て続けに『シング』『ciggerate』『32番街の少女が観る夢』へと続く。持ち時間を最大限に使おうと、MCは途中で挟まなかった。
 演奏自体は本調子じゃないけれども、それを補うくらいのパワーが今のステージにはある。単に鬱憤が溜まってただけだからなのかも知れないけど、それも悪くない。
 弾けられる時にはなりふり構わず弾けまくったほうがいい。
 こうしてイッコーの唄う歌詞を聴いてると、素直にその内容を受け入れられない自分がどこかにいる。やっぱりそれは青空の書き上げた詞だからなんだと思う。いい曲だっていうのは自分でもわかるけど、前に自分で唄ってた時みたいに心の奥底に張られた琴線が全く揺れない。唄えない理由を今、改めて認識した。
 自分が本心から唄おうと思ってない曲なんて唄えるわけがない。
 だから俺は、一度試してみようと思った。
「ほらよっ」
 7曲目が終わったところで、イッコーが俺にマイクスタンドを放り投げてきた。難なく受け取って話し出そうとすると、騒がしかった客席が波が引いたように静かになる。
 溢歌がこのステージを見てくれてたらいいのにな。
 そんな事を思いながら俺は慣れないMCを始めた。
「えっと……次やる曲は新曲」
 客席最前列付近から拍手が起こるのに少し照れて、俺はすぐに続ける。
「というか、昔からあった曲なんだけどバンドでやるつもりはなかったっていうか……それに今回限りの曲で、他のライヴじゃ唄うつもりはないんだ。ちょっと長くなるけど……いいかな?」
 ステージ横のスタッフに目線を送ると、右手の人差し指を開いた左の掌に当てて、次に親指と人差し指で輪っかをつくった。どうやら最大10分延長できるらしい。
 俺は首を鳴らしてから、改めて客席に向き直った。
「えっと……俺はこのバンドを始める前に、一人で曲ばっかり作ってた時期があって……それもただ作ってるっていうんじゃなくて、暗い部屋に一人篭って、それこそ仙人じみた生活を送りながら作ってて……その時の曲なんだけど。でも、その時に作ったたくさんの曲は人前でちっとも唄うつもりなんてなくてさ。それこそもう二度と日の目の見る事のないものにしようって自分でも思ってたんだけど、ちょっと最近スランプに陥っちゃったみたいで。だからこの曲を唄って自分の気持ちをもう一度確かめたい気分になったんだ」
 マイクに向かって話ながらメンバーとキュウの顔を順に眺めていく。目を逸らすかと思ってた青空もしっかりこっちを見たまま、その場に立ち尽くしてる。
「だから今の曲とは全然似つかないし、メロディの部分しか作ってなかったしバンドでアレンジする時間もなかったから、結構スカスカのアレンジだったりするんだけど……まあ、肩肘張らないで聴いてくれると嬉しい。バンドを始める前に作った最後の曲なんだ、これ。だから……うん、だから聴いて欲しい」
 時間がゆっくりと流れる様をギターのストロークに乗せるように俺は演奏を始める。
「『路地裏の天使』」


 暗い街角で唄をうたう天使 粉雪降り注ぐ星空見上げ
  『この世の全てのひとがしあわせになれますように』
  汚れた路地裏の片隅で 綺麗なこころで今日もうたってた

  I wanna be loved 昨日は愛の唄をうたった
  I just wanna be loved 明日も明後日もその次も
  いつでも愛し愛されたいから

  雪降る道に横たわる仔犬 氷のように冷え切ったその身体
  こころの温もりだけで誰もが生きてけないのは
  神様がほんの悪戯心で 世界を冷たくしてしまったからなのか

  I wanna be loved 遊び半分でもがれた羽の
  I just wanna be loved 古傷が寒さに痛む日には
  ほんの少しだけキスしてほしい

  道端に散らばる使い捨ての愛 欠片を拾い集めた天使が
  作り上げたハートマークを今夜
  あの時計台のてっぺんに飾ろうって 子供みたく無邪気に笑ってた 
 
  I wanna be loved みんなが見えるあの場所で
  I just wanna be loved 鐘が響く寒空の下で
  残酷なゲームの繰り返されるこの街眺め
  I wanna be loved 笑顔を信じて      
  I just wanna be loved 羽のもげた天使は今日もうたう
  その唄声はどこまでも響いて

  I wanna be loved また傷口が増えてく身体
  I just wanna be loved 悲しくなるのは何故なんだろう
  寂しさなんていらないから oh
  I wanna be loved 日々つのってく恨み辛み
  I just wanna be loved 張り裂けそうになるのを堪えて
  光を与えてくれ year
  I wanna be loved 何かを捨てて歩いてく心
  I just wanna be loved そして今日も気付かない振りで
  扉を開いて欲しい ah
  I wanna be loved 幸せが降り注ぎますように
  I just wanna be loved せめて心の中だけでも互いに
  笑顔を信じてたいだけ lalala lalala…

  I wanna be loved oh yeah
  I just wanna be loved um……


 昔のメロディなら唄えると思った。案の定それはうまく行って、今までが嘘みたいに伸び伸びと唄えた。それは多分、今の俺の本音がこの曲に詰まってたからなんだろう。
 先週の練習の時点で、俺は最後にこの曲を唄わせてほしいってみんなに頼みこんだ。実のところ、この曲は青空の前でも唄った事がない。だからみんなの前で聴かせる時には緊張したし、古傷をくすぐられてるようで凄く照れ臭かった。
 弾き語りでいいって俺は言ったんだけど、その場で即興でアレンジを施す事になった。
笑われてもいいくらいの覚悟で唄ったのに、返ってきたリアクションは全く違うものだったのには驚いた。その時のみんなの顔は、今も俺の胸に焼きついてる。
 俺はバンドに誘われてから、始める前に今までの2年間を総括しようと思ってこの曲を書き上げた。奇をてらったリリックも何もない、他人から見ればくだらなく思える唄だ。
 でも俺は、それで満足だった。書き上げた時に出てきた言葉に笑えて吹き出してしまいそうになった覚えがある。所詮、俺が悩んでた事なんて本当に簡単な事だった。どうしてあれだけ身をすり減らしながら一人で答えを見つけようとしてたんだろう?人と触れ合う事で、すぐにわかる単純な事なのに。
 唄ってみて思ったけど、今の考えに通ずる部分もちらほらと見られる。恥ずかしくなるくらい青空より真っ直ぐで素直な詞だと思う。曲調も淡々と進むループのような曲でサビがあるのかさえよくわからない。
 それでも、終わった後に客席から大きな拍手が巻き起こったのは嬉しかった。
 千夜を筆頭に、みんなステージ裏へ引き上げて行く。しばらく俺一人だけその場に立ち尽くして、客席の一人一人の顔を順に眺めてると胸が熱くなった。
 人前で昔のメロディとはいえもう一度唄えたのが嬉しかったのか、あの頃の気持ちが胸に甦ってきたのか、どちらにしろ今までのライヴ以上に心が充足感で満たされた。
 こんなに唄える事が気持ちいいなんて。
 今までにないくらいいい演奏もできたと思う。音が鳴ってる時の会場の空気が本当に天使の住む冬の街角に変わっていた。それも気持ちよく唄える要因の一つだったと思う。
 だけど、胸に引っかかりはあった。本当に唄いたいのはこのメロディじゃないんだ。聴いていてそれに気付いてる人はいるんだろうか?俺の形のないメッセージを受け取ってくれた人は。
 せめてこの曲だけでも溢歌に聴いていて欲しい。そう願ながら客席に一礼してステージ裏に引っこむと、今にも泣き出しそうな顔をしたキュウが俺の顔を指差してる。
「たその泣き顔笑えるね」
 言われてそこで初めて俺は涙を流してた自分に気がついた。慌てて服の袖口で拭って、キュウに言い返す。
「おまえのほうがひどいって」
 呆れたけど、なるほど、笑えた。


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