→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第2巻

   047.誰が為に唄声は響く

「あ、お客さんもう閉店……なんだ、たそじゃねーか。挨拶して損した」
「をい」
 入口のシャッターが半分下がった龍風のドアを構わず開けると、床にモップをかけてたイッコーが手を止めて呆れた顔を俺に向けた。
「唐揚定食一つ」
「おめーなー、いつもいつもタダ飯食らいに来てんだったら、少しぐらい手伝えっつーの」
 カウンターの椅子に腰かける俺に、イッコーはモップを突きつけてくる。
「掃除しに来たんじゃないんだけどな」
 面倒臭いけど、イッコーの言う通りだ。着ていた黒のコートを脱いで、Yシャツの袖をまくる。床掃除なんて何年ぶりにするだろう?
「こことここと、そこ。バケツはあそこにあるから、終わったら水を外に捨ててくれ」
 てきぱきと指図して、イッコーは調理具の洗浄を始めた。やれやれと肩をすくめて、俺も客のいない店の床掃除を始める。
 慣れてないから何だか上手くいかない。でもイッコーは自分の作業に集中してるから、少しぐらい手を抜いたって構わないだろう。
「あとでちゃんと床見るからなー、手抜きすんんじゃねーぞー」
 なんて思ってたら、しっかり見抜かれてた。モップのかけてない範囲がなくなるまで、じっくりと掃除する。中腰の姿勢でずっといると腰が痛くなる。
「ん、この曲……?」
 掃除中に店内に聴き覚えのある曲が流れ出して、俺は手を止めた。男性ヴょーカル唄っている洋楽のロックで、思い出せそうで思い出せない。
 じれったい気持ちが抑えられなくなって、イッコーに訊いてみた。
「これ、何のバンドだったっけ?」
「『discover』の『Rock'n Roll』。デビューアルバムのオープニングチューン」
「ああ!」
 思わず大声を上げてしまう。するとモップが手から離れて、音を立てて転がった。
 あの時のバンドだった。俺が生まれて初めて、心の底から感動した時。名前がわからなくてずっとやきもきしてた、あのバンドの曲だった。
 地続きに全ての音が転がっていくような曲調、ヴォーカルの魂の叫び。今まで記憶の底に紛れて思い出せなかった想い出が甦ってくる。
 この曲を、ライヴのアンコールで最後にやったんだった。俺は溢れ出す涙を止める事もできないで、構わず一人泣いた。帰りにCDを買おうと思ったけど名前がわからなくて、ライヴハウスにいる間に誰かに訊いておけばよかったってひどく後悔したのを思い出した。でも、馴染みのない洋楽の曲だったせいか、いつしか記憶は薄れてしまった。
 あの後、俺はもう一度部屋に戻って唄い始めた。唄う事で生きてる実感を取り戻した。どれだけ足掻こうが、俺にはこれしかなかったから。
 ステージに立つ前には、いつもあのライヴが脳裏をよぎる。あれだけ素晴らしいステージを、俺も見せられるのか。だけど終わった後にはすっかり完全燃焼してて、次のステージまであのバンドの事を思い出そうともしない。
「ああ、そうか、こんな曲だったんだっけ――」
「手を止めてないでちゃんとやれよー!」
 目を閉じてあの時の気持ちを胸に呼び起こしてると、イッコーの怒声が飛んできた。無視して曲に聴き惚れてると、やがて終わった。
「なあ、借りていいか、そのアルバム?何なら他のも全部」
 すかさずイッコーに頼んでみる。この曲だけじゃなくて、他のも全部聴いてみたい。
「3枚しかねーぜ。3年前に解散しちまったし」
「何で!?」
 何気ないイッコーの言葉に俺は過剰に反応した。俺に背中を向けて洗い物をしながら、理由を簡潔に説明してくれた。
「ヴォーカルが死んじまったから。自殺したん」
 ――胸を抉られたみたいだった。
 名前も知らない人間なのに、心の中に虚無感がじんわりと広がっていく。
「よくある話よくある話。行き切ったつーんかなあ?死ぬまでロックンローラーだったんだろ、きっと」
 鍋を片付けながら、何の感嘆もなくぽつぽつと話すイッコー。興味がないのか、それともすっかりその事実を受け入れてしまってるのか。どちらにしろ、気に食わなかった。
「聴いてみるんがいっちゃん早いと思うぜ、順番に」
「ふーん」
 反論したい気持ちを堪えて、間延びした相槌を打った。家に帰ったら早速聴いてみよう。その前に、掃除を終わらせて飯を食わないとな。
 と思ってたのに、その後モップがけどころか、ドアとテーブルの拭き掃除までやらされてしまって、結局俺が席に戻れるまで30分以上かかった。
 イッコーは黙ったまま定食の準備にとりかかる。その間、俺はずっとテーブルに背中をもたれかけて、無言で店内に流れる音楽に耳を傾けていた。
 言葉は一つも飛び交わない。
「ん、二つ?」
 俺の前に、イッコーは二人分の唐揚定食を置いた。
「おれも今日、なんにも食ってねーんだわ」
 中華帽を脱いで、こっちに回ってくるイッコー。俺はビールを一本頼んで、水を汲むついでに持ってきてもらった。
 香ばしい匂いが鼻につく。別にそれほど腹が減ってるなんて思ってなかったのに、匂いを嗅ぐと空っぽになってた胃が催促しだす。
「いただきます」
 ちゃんと手を合わせてから、箸を運ぶ。何度食べても、この唐揚の味は飽きない。
「うまい?」
「うん、美味い」
 隣に座るイッコーに率直な感想を返す。男二人で誰もいない店のカウンターに並んで飯を食うってのも奇妙な絵だった。
「なあ、たそ」
「ん?」
「なにしに来たん?」
 一言も喋らないで呑気に飯を食ってると、横から怪訝な顔で話しかけられた。
「飯食いに」
 そのままの回答を出して、俺はビールで喉を潤す。イッコーは俺から目線をそらして、湯気の立つ皿から唐揚をつまんだ。
「食えなかったからな、この前」
 ぽつりと俺がそう漏らすと、イッコーは箸を止めて天井を見上げた。
「しょーがねーって、ありゃあ。ショックだったもんなー、みんな」
 3日前のライヴは、今までの中で一番酷い内容だった。てっきり俺が一番足を引っ張るって思ってたのに、蓋を開けて見ると千夜の調子が最悪だった。終始浮かない顔をしてて、曲の出だしを間違えたりして俺達の足を引っ張ってた。
 ドラムはベースと同じく曲の核だ。だからそれが崩れると、他の楽器の演奏にも影響が出る。客席から見てみれば、俺のどうしようもなく間延びした唄声も今回はそれに紛れて目立ってなかったかもしれない。俺も青空も、リズムは全部イッコーの即興で変えたベースラインで取ってた。千夜のドラムはがむしゃらに叩いてるように見えて、それが最初から最後まで一本の幹を作ってるところが最大の特徴なのに、全てがちぐはぐになってしまってちっとも魅力のないドラミングになってしまっていた。
 途中何度もインターバルを入れて曲順を変更したり、急遽イッコーがマイクを取ってみたりと懸命に軌道修正を試みたけど、一度崩れたグルーヴは形を全く取り戻す事なく終わってしまった。アンコールに応えようにも、楽屋の椅子に座った千夜は俯いて口を閉ざしたままでいたからできなかったし、やりたくもなかった。ステージから降りる時に、
「……みんな、ごめん。」
って呟いた俺の言葉が客席に届いてるのを願うしかない。
 かく言う俺だって、出来は今までで最悪だった。いつもなら唄ってればそれだけで頭が真っ白になって余計な事を考えられなくなるのに、しこりのように胸の奥に恐怖がまとわりついてた。
 この唄声がみんなに届くのか?
 もっともっと強く上手く唄わないとダメなんじゃないか?
 本調子を欠いた千夜のおかげで、代わりに客席の視線が俺に集中する。そんな目で見られても、俺だって――俺のほうが唄えないのに。
 考えれば考えるほど、俺の唄声は届かなくなっていく気がした。無理矢理頭から雑念を振り払おうって思っても、それが逆に手枷足枷になって、俺の身体を縛り付けてしまう。
 俺は、こんなにも唄えない奴だったのか?
 今も悔しさがまたこみ上げてきて、涙腺がふっと緩む。白飯の湯気が目に入った振りをして、目尻を拭った。
 ライヴが終わってから、ずっとこの調子だ。あの時を思い出せば出すほど、自分の無理気さを痛感してどこか遠くへ逃げ出したくなる。だからあえて考えるのをやめて、できるだけ思い出さないように努めた。俺の気持ちを察してくれてるのか、夜になったら家に顔を出す愁も話題に触れないようにしてる。
「あそこまで千夜が取り乱すなんて思いもしなかったけどな」
 でも、俺以上にショックを受けてたのは千夜だった。溜まっていた怒りが爆発したのか、楽屋の中にあるものを引っ掴んでは壁に投げて、暴れ回った。他人にぶん投げる事はあっても決して折らないようにしてるスティックも、コンクリートの壁に投げつけて破壊した。終いにはいつも携帯してある替えのスティックとか入ったケースも壊そうとしたから、殴られるの覚悟で男3人がかりで慌てて取り押さえた。
 すると、その場にへたりこんで大粒の涙を零し始めた。それを見てた愁も貰い泣きするし、どう扱ったらいいのか途方に暮れてるとキュウが千夜を慰めてくれた。やがて泣き止むと、キュウは一足先に千夜を連れて帰った。あの男勝りで誰も寄せ付けないオーラをいつも放ってる千夜が、キュウの服の袖を子供のように掴んでるのを見ると、仲の悪い俺でも胸が絞め付けられる思いがした。
「打ち上げもまたなんだかんだで中止になったし、みーんな暗い顔してるしよ……せっかく和姉が来てくれたってのになー」
 残念そうに呟くイッコー。あの時は俺達も和美さん達を笑顔で迎える事もできなかった。俺も愁に慰めてもらうのが嫌で、一人で家に帰った。今慰められたら、それこそ一人で立ち直れない気がして。
「……何かあったのか?中学の時」
 今まで訊くのがためらわれていた疑問を、俺は口にした。それはイッコーも同じだったんだろう。掌を上に向けて大袈裟に肩をすくめてみせる。
「あいつの住んでるとこって隣の県境らしーんだよなあ。だから誰も千夜の中学時代なんて知らねーし、本人はちっとも話したがんねーし」
 千夜は昔から自分の事を一言も話さなかったし、訊かれても口を横一文字にしたままだった。青空は多少知ってるらしいけど、今回の件に関しては首を傾げてる。
「電話は?」
「何度かけても反応ナシ。すっかりふさぎこんじまったみてーよ」
 苦笑するイッコー。これまでにも千夜に何度か同じように電話が繋がらない時があった。そのせいでライヴを延期した事もあったし、当日になっていきなりライヴハウスに先に入っていて俺達を怒鳴った時もあった。普段から行動が掴みにくい部分が千夜にはある。俺だって他人の事は言えないけど。
「ま、キュウが千夜と連絡取れてるみたいだから、別にいーんじゃねー?あと今年残ってんのはクリスマスライヴだけだし、あと一月以上も残ってるしよ。あいつだって受験があんだし、今の俺達が最高のライヴを見せれる状態じゃねーってことぐらいわかってんだからよ。気持ちを切り替えるにはちょーどいいと思うぜ?次の練習のメドが立ってないんがちょい心配でもあるけど、なるよーになるって」
 そこまで一気にイッコーは言って、ぐいとコップの水を飲み干した。
 イッコーの言う通り、ちょっと休みたい気分だった。ちっとも湧き上がってこない自分のメロディに苛立って、何のために唄えばいいのか、その答えを必死に捜してる。だけどそれで本当にもう一度自分が唄えるようになるのかさえわからない。それでもこのまま唄えないと、俺は俺じゃなくなってしまう。
 水の中で人間が空気を欲しがるように、俺も呼吸するためにメロディが必要なんだ。
 それをほんの少し忘れさせてくれる溢歌も、今は青空の腕の中。求めれば求めるほど離れていくから、あいつの事を今はあまり考えないようにしてる。
 唄う事は楽しい、気持ちいい。でも今は苦痛でしかない。
 何故?
 唄いたくない気持ちばかり生まれてくる。あれだけ唄が好きだった自分が、今は嫌いになってる。そんな自分自身が大嫌いだった。
 そしてどうにもならない気持ちを、愁で紛らわす。その繰り返し、その繰り返し……俺はいつの間にか、無限回廊にさまよいこんでしまっていた。
 自分一人で悩んでたって、答えなんて出てこない。それなら、いっその事誰かに話したかった。胸の中でざわめいてる気持ちを全部ぶちまけてやりたかった。
 そう考えてると、自然とここに足を運んでた。
「イッコー、あのさ……」
「ん?」
 酔いのせいもあるんだと思う。頭に浮かんだ疑問がすぐに口を突いて出た。
「どうして唄ってたんだ?前のバンドで」
 少しの間イッコーが目を丸くしたと思ったら、急に活き活きとし始めた。
「その質問が来るんを二年も待ってたんよ、二年!」
「そういや質問するの、初めてだったかな」
 頭を巡らしてみるけど、俺はイッコーに唄に関して教わった事なんて一つもないし、イッコーもほんの少し悪い部分をたまに指摘してくれるだけだった気がする。
 イッコーの過去なんて俺にはどうでも良かった。今のバンドにいるイッコーが大切だってずっと思ってきたからだ。
「とにかく目立ちたかったんよ、おれ」
 上機嫌になったのか、イッコーは席を立って缶チューハイを持ってくる。俺の分も一緒に持ってきてくれて、缶を開けると続きを話し出した。
「親父の影響で洋楽ばっか聴かされててさー。とにかく親父もおれをミュージシャンにしたかったみたいで、いろんなもんを片っ端から聴かされたなー。小学校高学年ん時なんか、ヘッドフォンつけさせられて学校行ったりとかさせられたもんよ」
「何それ」
 想像してみると、凄く変な光景が頭に浮かんだ。
「いやいや、マジマジ」
 どうやら素面でこの話をするのは恥ずかしいんだろう。イッコーはチューハイを一気にあおって、ゲップを吐いて話を続ける。
「おれが自分から音楽聴き始めたんは中学ん時かなー。ほら、さっき流れてた『discover』にハマっちゃって。それからロックに目覚めたっつーとこかな」
「俺もかな」
「えっ嘘ぉ!?」
 まさかイッコーがあのバンドのおかげで今があるなんて、俺も思ってもみなかった。
「俺は昔テンパってた時に偶然見たライヴかな。今思えば、あれってシークレットライヴだったのかな。まさかあのライヴハウスがラバーズだったなんて、ちょっと出気過ぎのような気がするけどさ」
「あ、それおれらが前座やったやつ」
 思わず椅子から滑り落ちそうになってしまった。イッコーがゲラゲラ笑ってる。
「そう言えば本番の前に誰か唄ってたような記憶がある……」
 本当にうる覚えだけど、『discover』の前に知らないバンドが前座を務めてたような記憶がある。ただ、『discover』が強烈に印象が残り過ぎて、よく覚えていない。
「ちょうどおれらの人気に火がついた時で、おれが頼みこんだん。前座やらしてくれって」
「何だ、じゃあそのヴォーカルと会った事もあるんだ?」
 俺が訊くと、イッコーは笑うのを止めて、遠い目をしてみせた。
「なんか……すっげーカッコよかった。どんな人だったかって言われると……あ!」
 突然イッコーは大声を上げて、手槌を打って俺を真正面から指差す。
「おめーだおめー!たそに似てんだ!!」
「はあ?」
 いきなり興奮しだしたイッコーについていけないで、ぽつんと椅子に座ってる俺。
「あーやっとわかったよーなんだよチクショーっ。今全部、謎が解けたわー」
 頭を抑えて、テーブルに突っ伏すイッコー。何がどうなってるんだ?
 俺が一人取り残されてると、イッコーが上体を起こして俺に向き直った。
「だからさー、ディガー・E・ゴールドと雰囲気が似てんだよ、おめー」
「だからそいつは誰なんだよ」
「なに言ってんだおめー、『discover』のヴォーカルじゃねーか」
 だんだん酔っ払ってからんでくるイッコー。そんな事言われても今日まで知らなかったんだからしょうがない。
「なんつーんだ?だから……俺言葉下手だからうまく言えねーけど、誰とも全く違う人生歩んできたよーな……そう」
 一呼吸置いて、天井を見上げてイッコーは何気なく漏らす。
「唄がいつでもそばにあるよーな」
 心臓の鐘が高鳴った。
 俺をちゃんと見抜いてくれてる人間がいる。その事に何だかとても嬉しくなって、こいつになら俺が胸に抱えてるものを何でも話せそうな気がした。
「そりゃそーだよなー。憧れてたやつに似てるんだったら、横で楽器やりたくもなるわ」
 イッコーは上機嫌に破顔する。今の今まで考えもしなかったところが、イッコーらしいと言うか、何と言うか。
「……なあ、イッコー。訊いてくれるか?」
「なんなん?いきなり改まっちゃって」 
 よっぽど今の俺の顔が真剣すぎたのか、イッコーはこっちを見て吹き出した。それで俺も肩の力が抜けて、気楽に悩みを話せた。
「――ふーん。たそにでも唄で悩むことなんてあんだなー」
 全部聞かせた後、イッコーはまじまじと俺の顔を見て頷いてる。 
「人を天才みたいに思わないでくれよ」
「いや、おれはおめーが飛び抜けてすげーやつだと思うぜ?」
 心にもない事を言われる。
「俺は普通にやってるだけだって。生きてくためにしょうがなかったから唄ってるんだ」
 慌てて弁解すると、ジト目でイッコーが睨んできた。
「普通の人間はさ、そんな状況まで追いこまれないんだわ」
「そんな事言われても、俺だって好きでこんな生き方してるわけじゃないのに」
「そーそー、おめー、唄に選ばれた感じがするん」
 真顔で詰め寄られて、俺は思わず後ずさってしまう。
「何バカな事言ってんだ……そんなの、自分で唄を選んだ奴らのほうが俺より何倍も凄いじゃないか。だから他のバンドの奴らを羨ましく思ったりする時もあるって」
 イッコーの視線をかわそうとその場凌ぎで思いついた台詞だったけど、よくよく考えてみると納得してしまう。俺の思いとは裏腹に、イッコーは目を丸くして俺の顔をまじまじと見つめた。そんな考えなんて、周りから見れば全然似合ってないのかな。
「ふーん……ま、そーゆー考えかたもあるわな」
 俺から視線をそらして、イッコーは何か考えてる様子だった。その間に俺がビールで少し冷えた身体を熱い烏龍茶で温めると、また顔を向けて話を続けてくる。
「でもよ、多分それは持ってる側から見た台詞だと思うぜ?持ってねー側から見れば、いくらたそが努力してよーが、才能の言葉一つで片づけられるに決まってんだわ」
「別に他人の目線なんか関係ないって。要は自分ができるかできないか、それだけ。で。今はできなくて悩んでるわけ」
 すぐさま反論すると、両腕を組んでイッコーが難しい顔をする。俺だって、こんな口論をするためにわざわざここに足を運んだわけじゃない。
 しばらくそのまま空白の時間が流れて、やがてイッコーが口を開いた。
「おれさ、ガキん頃は結構音痴で。親父にヘッドフォンつけさせられて学校行かされるくらい聴いてたってのに、音楽の科目は毎回『がんばりましょう』だったんよ」
 店内の曲が変わって、『discover』の別ナンバーが流れ始める。他の曲を聴いた事がなくても、ヴォーカルの唄声だけですぐにわかる。それだけ、他人の唄声とは違う何かを持ってるんだろう。
「唄うのがマジ大嫌いでさ。だから唄より、ギターのほうに目が行くのも当然っちゃー当然で。バンドやることあっても、絶対ヴォーカルだけはやんねーって思ってたんだわ」
 顔の前で大袈裟に手を振って、唄うなんて冗談とばかりにふんぞり返って歯を見せるイッコー。そして、上体を元に戻してから、俺に目線を向けたまま天井を指差した。
「でも、この唄声聴いちまってさ。『うわ、すっげーおれもやりてーっ!!』って心底思っちまって。ギターばっか弾いてたから音感は鍛えられてたんだろーな、一人で練習してたらだんだん治ってったんだわ。そんな時に、ヴォーカルんやつが辞めちまって。あ、おれが『styagold』に入ったのは14ん時。ギターの腕をリーダーに見こまれちまってさ」
 その場で、ギターのストロークの手振りを見せる。イッコーが今、ベースを担当する前はずっとギター専門だったのは結成当時に聞いてた。
「でさ、それって人気に火がついた頃だったから突然新しいヴォーカル入れるんもなんだし、どーすっかなーってみんな迷ってたんよ。そん時にリーダーから勧められて、そこの空いた穴を埋める形でおれがマイクを取ったんだわ。ギターと兼ねて」
 そのせいなのか、イッコーは難なく楽器と唄を両方同時にこなせる。俺がやるとどうしても唄に集中してしまってギターがおざなりになる感が強い。ドラムを曲の核とすれば、曲の幹になるベースを唄いながら弾きこなせるイッコーの技量は相当なものだと思う。
「ちょーどそん時に、『discover』が来日するって聞いてさ。みんなの反対押し切って、シークレットの前座やらしてもらった。もちろんそん時がステージで唄うんは初めてだったんけどさ。すっげー緊張したんだけど、興奮もしてて。憧れてたやつに見られてるって思ってたから気張りに気張って。自分でも思うけど、あん時が一番唄えたんじゃねーかなあ」
 イッコーは少し頬を赤くして、遠い目で昔を懐かしむ。その横顔を見てると、思い返すだけで胸の熱くなるような想い出なんて一つも持ってない俺にはとても羨ましく思えた。
「そっからがおれ、今でも全然はっきりと覚えてんだけど……前座が終わってステージから降りる時に、ディガーがおれの肩を叩いて「Nice vocal.」って言ってくれたんだよ!おれもー喉から心臓が飛び出るくらい嬉しくなっちゃってさー。そっから本腰入れて唄い始めたんだわ」
 その時の喜びようなんて、今目の前で全身で照れてるイッコーの姿を見れば想像に難くない。この想い出は美化される事も薄れる事もなく、ありのままで胸の中に生き続けてるに違いない。
「じゃあ、どうして俺達のバンドを組む時に、ヴォーカルやろうとしなかったんだ?自分中心で他の奴とバンド組んで唄ってもよかったのに」
 率直な疑問を、イッコーにぶつけてみた。するとはしゃいでたのが嘘みたいに静まり返って、椅子に深く腰を下ろして二杯目のビールを口につけた。
「悪かった」
「いや、いいん。いいんだけど、ちょっち昔を思い出しちまって」
 どうやら訊いちゃいけない部分に触れてしまったようだ。胸の中に苦味が広がっていく。
顔に出てしまってたのか、俺を見て軽い声をかけてくれた。
 やけに店内に流れる曲が耳につく。そのナンバーが終わると、次の曲に入るまでの沈黙を消すようにイッコーが話し出した。
「あのライヴをきっかけに、おれ達のバンドの人気もうなぎ上りになってきてよ。それこそラバーズの客席をすし詰めにするくれー客も毎回毎回入ってきて。メジャーデビューも決まって、ああもう最高じゃんって思ってたんだわ」
 嬉しそうな顔は見せるけど、さっきまでとは違って陰りがあった。
「そん時、ディガーが自殺したん聞いたの」
 吹き抜けて行く風のようにその台詞は消えた。
 そこでイッコーは話を途切らせて、すっかり冷めてしまった定食を口に運んだ。俺も一緒に平らげる。
 皿の上から全部なくなるまで、お互いに言葉は何一つなかった。イッコーはその間にも何かを言いかけては、白飯を口にかきこんだ。
 ビールが空になったジョッキを恨めしそうに眺めてから、ようやくいつもの口調で話を再開した。本人は気付いてないだろうけど、多少早口になってる。
「憧れてたやつが突然逝っちまってよー。すっげーショックで三日間ぐらい自分ん部屋にこもりっぱなしで。今思えば、それがおれの思春期だったんだろーなー。『どーしておれ、唄ってんだろ?』なんてことばっかり考え始めて。そっからはもー練習ん時もライヴやってる時もお構いなしにぐるぐる頭ん中回ってて、だんだんバンドに亀裂が走ってきたん」
 それを聞いて俺は内心焦ってしまった。イッコーの出来事と今の俺の状況とは全く違うけど、これからそう転んでしまう可能性だってあるわけだ。
「終いにゃおれも耐えらんねーよーになっちまってさ。最後のインディーズでのツアー最終日、ライヴが終わった後に言ったんよ、『おれ辞めるわ』って。だからそー、解散の原因っておれなんだわ、実は」
 イッコーはおかしそうに笑って言う。だから俺もつられて笑った。俺がイッコーの立場だったら、そうして欲しいって思っただろうから。その後のイッコーの顔が少しほころんだように見えたのは、見間違いじゃない。
「取っ組み合いの大ゲンカになったけどな、そん時。でも、次の日にリーダーから電話がかかってきて『解散する』って。別におれいなくても代わりんやつ入れればいーじゃんって思ったけど、どーやら違うらしくて。おれだからやってきたってゆーんよ、みんな。涙が出るほどすっげー嬉しくて、もう一度やろうって思ったんだけど、前から結構メンバー同士が仲悪かったらしいんよ。おれ全然そんなん気付かなくってさ。多分前しか見てなかったんだろーなー、あん時のおれって。んで、このままじゃプロに行ってもどのみち数枚しかアルバムは作れないって結論になってさ、解散。」
 最後の言葉を噛み砕くように強く言う。おそらくその中に、何も知らない子供だった自分に対する悔しさとかが詰まってるんだ。
 一つ年下だけど、俺より遥かにたくさんの世界を見てきたイッコー。本当にガキなのは、誰が見たって俺のほうだ。
「あん時はでも、一人で全部しょいこんじまって……申し訳ねー気持ちで一杯でさ。あれだけ楽しかった歌を唄うんも大嫌いになっちまって、『二度と唄うか!』なーんて思っちゃったりしたんだわこれが。解散してからもいきなりバンドをやろーなんて気にもなれなかったし、細々と宅録やり始めたんよ」
 宅録がどんなものかはよく知らない。録音機材を部屋に用意して録音するらしいけど、前にイッコーの部屋に上がらせてもらっていざその作業を見せてもらったところでチンプンカンプンだった。どうやら俺は、唄う以外に全く能がないらしい。
「そこで音楽やめなかったんは……親父達を裏切ったんもあるし、なんだかんだ言って……好きだかんよ、音楽が。おめーみてーに『唄わなきゃ死ぬ』なんつーことはねーけど」
 照れ隠しなのか、イッコーに苦笑される。でも、そうやって言い切れるほど好きなものを持ってるところが羨ましく思えた。俺にだってそういうものはあるけど、他人の垣根にあるものはよく見えるって奴だ、きっと。
「それを言ったら、俺だって好きじゃない時でも唄わなきゃいけなかったんだから。と言うか、好きとか嫌いとか考える余裕さえないほど切羽詰ってたんだからな、昔なんて」
「どっちもどっちってわけか」
 どれだけ苦労したかなんて、比べたところでバカらしい。確かに俺とイッコーは全然違う生き方をしてきたわけだけど、二人共唄に触れられた事に変わりない。
 こうやって酒でも飲みながら言葉を交わしてる今こそが、素晴らしいとでも言うのかな。
「まー、そんでずっと宅録やってたんだけど……やっぱりヴォーカルが欲しくなんのよ。でも自分じゃ唄いたくねーし、唄ったところで聴こうとも思わねーし、さーどーすっかなーって考えて、『もう1回バンド組もう!』と。解散から半年以上経ってたしさ、もうそろそろみんな許してくれんだろーなーって思って。そっからちょくちょく行きつけのスタジオに顔出すよーになってから、青空に声かけられたん」
 これが、俺達『Days』の始まりだった。青空の性格を考えて、まさか自分からイッコーを誘うだなんて当初は思いも寄らなかった。青空がガキ大将だったのは小学校の頃だけで、中学に入ってからは人が変わったようにおとなしい今の性格になっていった。何が原因なのかなんてちっとも覚えてないから、多分思春期なんだってぐらいにしか俺も受け止めてなかったんだろう。
「どうだった?初めて会った時の青空」
 酒のせいもあるんだろう。こんな質問をするのも珍しいけど、他人の話を訊くのは嫌いじゃない。ただ、いつもは聞いたところで意味がないって思ってるだけだ。
「どこまで言っていーのかわかんねーけど……ド素人って聞いた時にゃ『アホかこいつ』」
「あははははは!」
 ツボにハマって爆笑する俺。さすがにもう夜中だからカウンターを叩いて全身で笑う真似はしなかったけど、珍しい俺の姿を見てイッコーも機嫌がいいみたいだ。
 アルコールの魔力とは恐ろしい。
「まーそれでも、青空が書いた小説読んだり、おめー連れてきて唄ったりして……もう『やる!!』って。千夜がかけ持ちだけど叩くって言ったんがさらにやる気出たね。そっから今に至るってわけ」
 ようやく話に一区切りついて、イッコーは椅子の上で姿勢を崩した。俺も腹が一杯になったから、もう一つの椅子の上に足を投げ出して楽なポーズを取る。
「じゃあ、キュウにヴォーカルやってくれって言われた時は?」
 俺が訊くと、さも当然とばかりに答えが返って来た。
「ホントはやりたくなかったに決まってんじゃねーか。一度一昨年のクリスマスライヴでサービスみたく唄ったけど、あれっておれもたそみたいに歌えるかなって思ってやったんだわ。まー楽しかったけど。でも、解散した時はマジで二度と唄うつもりなんてなかったんだよなー。おめーがいるから『Days』で歌う必要なんてなかったしよ。でも……おれもいつまでもディガーの影ばっか引きずってんのも疲れてきたし、そろそろいいだろって。時間が経ったせいもあんだろーな。ま、結局、おめーにはかなわねーけどよ」
 イッコーとしては褒めてるつもりなんだろうけど、どうも腑に落ちない。俺にはないものをちゃんとイッコーも持ってるはずなのに。
 まあ、手元にないものを欲しがってしまうのは、誰だって同じか。
「そんな事言われたって、前のライヴみたいに今はちっとも唄えなくなってしまったんだから。このまま二度と唄えなくなったらって思うと……思いたくないくらい、暗闇がそこで手招きしてるんだ」
 前までは、二度と唄えなくったって溢歌さえそばにいてくれれば構わないなんて思えたりした。でも今は、静かになってたはずの八畳一間の暗闇が夜中になると襲ってくる。
 どちらかさえあれば大丈夫だなんて、簡単にはいかないみたいなんだ。暗闇に呑みこまれるのが怖くて怖くてたまらないから、わざわざ朝まで愁を引き止めて一緒に寝てもらう。
 何の解決にもなってない事なんてわかり切ってる。それでも絶対に唄を止めたいだなんて思わないから、ここまで苦しんでる。
「どれだけ声を出したって、前みたいに自分の中にメロディが戻ってこないと、俺の唄はいつまで経っても抜け殻のままに違いないんだ。でも、誰に唄えばいいのかなんてちっともわからない。明確な理由がないと、俺の唄にメロディが戻ってこない――」
「あのさ、別に理由なんてどーだっていーんじゃねー?」
 言い訳がましく喋る俺にしびれを切らしたように、イッコーが返してきた。
「だってよ、前みたく別のもんを探してきたところでもう一度唄えるようになるなんてわかんねーし、唄えたところで今回みたいなことがもう起こんねーって限んねーっしょ?」
 黙って頷くしかなかった。俺のやってる事はいつもその場凌ぎでしかない。なぜって、自分の未来なんて考えるだけで怖くなるから。八畳一間の暗闇で、未来を見ない日々をずっと続けてたから、それがまだ抜け切ってないんだろう。
「んならてめーのことだけ考えて唄えばいいん」
 自分の胸に親指を立てて、イッコーは自信満々に言い切った。
「おれも唄えなくなっちまった時、いろいろ考えたんよ……『おれは一体なんで唄ってんの?』って。てめーのためと他人のためん間でバランス取ったりしたけど、結局そんなこと考えんのも最後にはバカらしくなっちまって。どっちみち唄いたい気持ちに変わりはねーんだから、そんならてめーの好きなようにやりゃいいやって。自分で好きなことやって、それが他人に届いたらそれでいいんじゃん?届く届かねーは向こうが決めることっしょ。こっちは一生懸命やるだけで。あ、でも、届けよーって気持ちは絶対忘れてねーけどよ。それ忘れちまったら、唄う意味なんてねーんじゃねー?」
 話を聞いてるだけで、不思議と胸が熱くなってくる。イッコーの唄声がどうして多くのひとに届くのかがわかったような気がした。
「でも、俺、どうしたらいいのか……」
 イッコーにはイッコーの言い分がある。でもそれは自分の経験から出てきてる言葉で、素直に俺に当てはめられるかって言ったらそうじゃない。俺には俺なりの答えがあるはずなんだ。
 それが何なのか――答えのひとかけらすらまだ見つかっちゃいない。
「よし、たそ!食い終ったら出かけるかんな」
 ため息をついてると、突然イッコーが立ち上がった。
「へ、一緒に?どこへ?」
 俺がきょとんとしてると、思いっきり背中を叩かれる。
「いいからさっさと仕度しろ!おやじ―っ、後でちょいと外出るわーっ」
 何が何だかわからないまま食器の片付けを任されて、イッコーは店の奥へ消えて行った。
 凄く嫌な予感がしてきて、俺はげんなりとした。


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