048.樫鳥屋の前で
寒い。
「……なあ、俺、帰ってもいいか?」
深夜の商店街の合間に、冷たい風が吹き抜ける。
「なに言ってんだ、来たばっかじゃねーか」
「寒いんだよ、帰って暖かい風呂入ってエアコンつけて寝たい」
「それだけ厚着してんのになにめめしーこと言ってんだおめーは」
イッコーはおれの姿を指差して笑った。自分の姿を見てみると、確かに言われた通りだ。中2枚にトレーナー、その上に黒のセーター、そして足元まで伸びたコート。シャツに茶色のジャケット一枚羽織っただけのイッコーと比べてかなりの厚着をしてる。
だけど、それでも寒い事に変わりはない。
どうしていつもそんな薄着で肌寒い夜の街に出られるんだって、イッコーを見るたびに思う。肌を見せるストリート系のファッションばかりしてるから慣れてるんだろうか?
冷たい俺の視線にも構わず、イッコーはギターケースを抱えて先を歩いていく。人通りは全くなくて、屋根のある商店街に俺達二人の足音が響く。脇にある風俗店のネオンが無言で俺達を誘ってる。もう少し早く来たら、ここも終電の客で賑わってたんだろう。
水海にある、東通り商店街。駅の中心からは少し離れてて、地下街もここまでは伸びてない。イッコーの中華料理店『龍風』があるのはここから1kmほど離れた隣の駅の商店街。水海駅に向かって歩いていくと、庶民的な街並からビルの並ぶ大都会へ様変わりする姿が見れて面白い。とはいえ、こんな夜中じゃ高速道路の明かりしか見えないけど。
「ここ、ここ」
イッコーが立ち止まったのは、ここを突き進んで次の大きな商店街を抜けたところにある、シャッターの下りた百貨店の前だった。更に正面入口から建物沿いに歩いていって、大きな歩道橋の下になるところでケースを下ろす。
「ここなら風もあんまり来ねーし、歩道橋に反響して唄がいいかんじに響くんよ。正面入口の近くでストリートライヴやってるやつらに比べりゃ、地味だけど。ま、そんおかげで練習にはもってこいの場所ってわけ」
ここが、イッコーの歌の原点になった場所らしい。夜中になるとここにギターを抱えて来ては、朝方まで練習して学校で寝る。そのうちに音痴も治ったってわけだ。
「しっかし久しぶりだよなー。最後にここで唄ったんって覚えてねーし、もう」
歩道橋と百貨店に囲まれたこの場所をぐるりと見回しながら、イッコーは感慨深げに呟いた。俺にはただの薄汚れた目立たない場所にしか見えないけど、イッコーの目にはまた違ったふうに見えてるんだろう。
さっそく準備にとりかかる。俺が持ってきたのはイッコーに借りたフォークギター。前のバンド仲間から譲り受けた大切なものらしい。イッコーのは赤茶色のボディを持ったアコースティックギター。おじさんに初めて買ってもらったギターで、ディガーが使ってたのと同タイプらしい。それなら高価なんじゃないかって思うんだけど、どうやら下のランクのモデルらしくて、それほどでもなかったそうだ(それでも十万単位はするけど)。
「えーこれから、題しまして『たその秘密特訓 ストリート編』を開催したいと思います!」
準備が終わると、イッコーが大声で叫ぶ。そのださいネーミングセンスはわざとやってるのか?開催って何だ、開催って。
俺の無言の視線を無視して、イッコーは即興でギターを爪弾く。何だか、俺のためにやってるんじゃなくて、単に自分が楽しけりゃいいだけなんじゃないかって思えてきた。
「ま、とりあえずなんでもいーから、一曲唄ってくれや」
イッコーが俺の肩を叩く。足元でいろいろなヒット曲の載ってるスコアブックを広げてるけど、俺は全然他人の音楽なんて聴かないから、何を唄えばいいのかわかるはずもない。それに俺達の曲だって、普段はバンドアレンジしてるから弾き語りなんてできない。
あと、何よりも『Days』の曲は唄いたくなかった。あれを唄うと、どれだけ振り払おうとしても青空の影がつきまとってくるんだ。
唄いたくない歌に気持ちをこめるなんて、できるわけがない。
俺が一番苦しんでるのは、そこだ。
「……自作のは、駄目?」
「却下」
考え抜いた提案もあっさり払いのけられてしまった。そうなると、俺に唄える曲はない。
「自分の曲でいーじゃん、『Days』の」
イッコーは俺の顔を見てそう言うけど、素直に頷けるはずもない。唄ったら絶対、前のライヴを思い出してしまう。そんな苦しんでまで唄いたいなんてちっとも思わない。
「……イッコーの曲なら唄える」
苦し紛れに出した最後の妥協点だった。俺がイッコーの持ち曲を唄った事なんて今まで一度もないけど、何度も真横で唄を聴いてればいくら俺でも歌詞は覚える。というか、ヴォーカルの習性で唄に耳を傾ける癖が身体に染み付いてしまっていた。
「おーし、んじゃ『チェイン・レッド・ドーベル』でいくわな」
イッコーはしかめた顔もなしに頷いてくれて、カウントを取り始める。そのまま即興でつけたようなアレンジでギターをストロークする。
「いてっ」
聞き惚れてると、いきなりイッコーに後頭部を叩かれた。
「何だよ、一体」
「もう唄のパートに入ってるわ」
「そんなのわかるかよ。原曲と全然違うんだから」
俺が文句を言うと、イッコーはため息をついて、今度は違う伴奏で演奏を始めた。主旋律を追ったそのギターの音色に合わせて俺も唄う。
自分の持ち曲じゃないから、唄ってる時に身構えなくていいから気は楽だ。でも、この曲の持つ感情を俺が明確に唄えるわけがないから、結局終わったところでカラオケみたいにしか思えなかった。
「ふーん……」
適当に弦をアルペジオで爪弾きながら、イッコーは考え事をしてる。そして、同じく自分の持ち曲の『partytune』を一人で弾き語り出した。
イッコーが唄ってる時の横顔を見ていると、いつも楽しそうに見える。基本的にイッコーの曲にバラードはないけど、悲しい曲だろうがお構いなしに伸び伸びと唄う。歌詞にこめられた感情を全て吐き出す俺とは正反対な唄い方だ。
「さあ、今の二曲の違いは一体なんでしょー?」
曲が終わると、イッコーがクイズ番組の司会者みたいな口調で俺に訊いてくる。
「曲が違う」
そう答えたら、どこに隠し持ってたのかハリセンで思いきり頭を叩かれた。心地いい音が辺りにこだまする。
「……唄ってる時おめーさ、すっげー苦しそうに見える時があんだわ」
イッコーは似合わない神妙な顔で、歩道橋を見上げながら口にした。
「一曲一曲にいっつも全身全霊こめて唄ってっから、『こいつ頭の血管切れてぶっ倒れんじゃねーか?』ってよく思うぜ。ま、最初の頃なんてペース配分も考えねーで一曲終わったら燃えつきましたってなもんだったかんなー。確かにそれはそれですげーんだけど、見てるこっちが苦しくなっちまったりすんだわ」
本当に、イッコーは俺の事をよく観察してる。言い返す言葉なんて一つもない。俺達の演奏を聴いて涙を流す子もいるけど、感動したっていうより切羽詰って泣いたように見える。原因はもちろん俺なんだろうけど。
「おめー、歌唄ってる時、楽しい?」
唐突に、そんな質問が出てきた。
楽しいかって言われれば、楽しいのかもしれない。アップテンポの曲を唄ってる時なんかは普段では信じられないくらいに内心じゃ大はしゃぎしてる。楽しい云々より、どれだけ相手に唄声を届けられるか、どれだけその曲にこめられた気持ちを再現できるかってばかり考えてるから、唄う事そのものに目を向けてない。俺にとって唄は呼吸のようなものだから、好き嫌いで測れるものじゃない。
「……よくわからない」
多分どれだけ考えたところで結論なんかに辿りつきやしない。そんな考えはとっくに放棄してる。そう、八畳一間で暗闇に脅えながら唄ってた時から。
「なーんかさ、おれん場合、声出してるだけですっげー気持ちよかったりすんだわ。よくわかんねーけど、エンドルフィンが出てるってやつ?頭ん中がハイになってさ、こいつらと一緒に盛り上がろーって客席見ながら思うん」
俺に深く追求しないで、イッコーは語り出す。
「唄うこと自体楽しんでるっつーかさ。声出してるだけで最高じゃん!ってな。あるだろ?そーゆーの」
そういう部分はないわけじゃない。唄い終わった後にすっきりするのは、自分の中にあるものを吐き出したから以外にもある。でもそれは人間の性質みたいなもんで、わざわざ大声上げて鬱憤を発散しようと唄ってるつもりはない。
「おれ、前のバンドん時によく考えてたんだけど、なーんか唄の感情を100%引き出すってのは無理なんじゃねーのかなーって」
膝の上のギターを横に置いて、イッコーがため息混じりに言った。
「悪い意味じゃねーんだ、だからよ……人間生きてりゃそん時の気持ちなんてモンは少しづつ自分でも気づかねーほどゆっくり薄れちまうん。それをさ、歌を唄う時だけ心ん中に呼び戻すなんて無理だわ、無理」
そんな否定的な言葉がイッコーの口から出るなんて思いもしなかった。とは言え、それを受け入れた上でどう唄うかをずっと模索し続けてるんだろうけど、こいつの場合は。
「別にそんなふうに唄ってるつもりはないけど」
こっちの考えを否定されたような気がして反論すると、イッコーは目を丸くした。
「ただ……毎回毎回、他人に唄を届けようって思ったら、自然と歌詞と同じ気持ちになれるっていうのかな……繰り返してるって感覚はないんだ。それなら俺も……こんなに悩まなくて、唄ってられたはずだし。――何だよ」
イッコーが俺の顔を覗きこんだまま、ぽかんと口を開けてる。そして納得したのか、大袈裟に手槌を打って何度も頷いた。
「みーんなおれと同じ考えで唄ってるんかって思ってたわ」
「それを言ったら俺も同じだって」
他人がどうだなんて、これっぽっちも考えた事なんてない。普通誰しも、他人に自分を当てはめて考えたりするから話がこじれたりするんだろう。俺の場合単に、自分の事だけで精一杯だって言うのが一番の理由なんだけど。
俺の考えに余程ショックを受けたのか、イッコーはずっと何かを考えてる。
「あー、でもそーかもしんねーなー。おめーの唄って、なんつーか……叫んでるもんな、魂が。この唄声が向こうの魂に届けって言わねーばかりに」
褒められてるのかバカにされてるのかよくわからないけど、言ってる事は当たってる。
俺にとって唄ってのは相手に何かを届けるための唯一の手段で、上手に唄おうだなんて考えてもいない。唄う事でこっちの感情が相手に届けば、他に何もいらない。だから俺はいつも心の奥底のメロディを唄声に載せて届けてるつもりだ。
「俺も……イッコーの言うようなその時の気持ちってのを持ってるのかもしれない。でも俺の歌詞を書いてるのは全部青空だし、唄ってる時に届けたい相手は大概目の前の客だよ」
「そこだよそれ」
俺が首を傾げていると、イッコーが身を乗り出して指を立てる。
「結局、誰のために唄ってんのかってこと」
「誰のため、って言われてもなあ……」
胸に手を当ててよく考えてみる。青空と再会するまでは、周りに誰一人いなかったから100%自分のために唄ってた。でもそれは何かを得たいからだとか、そんな想いは一つもなかった。
ただ、生きるだけ。
それだけのために、この場所に生きてる実感が欲しかったために、俺は唄ってた。
青空と出会ってから、意識が変わっていった。自分のためじゃなく、青空のため。俺の気持ちを代弁してくれてるような青空の歌詞をステージで歌い上げる事が、俺の役目だった。青空の気持ちを、代わりに俺がみんなに対して唄ってた。
でも今は、そんなつもりで唄いたくない。溢歌と青空のキスシーンを見てしまったのが
原因になったのはわかってるんだけど、それ以外にも要素はある。
どこか心の片隅で、このままでいいのかって思ってたのかもしれない。このままこのバンドで青空の気持ちを歌い上げる事で、俺の全てが満たされてたのか――そう思うと、疑問が残る。
確かに自分の意志で青空のために唄ってた。でもそれで、自分が本当に満足してたのかって言われれば、違う気がする。満足してたなら、俺は何度もバンドをさぼる事なんてしてなかっただろう。
じゃあ俺は一体誰に、何のために唄いたいんだ?
「今まで誰に向かって唄ってきたのかおれが知るわけねーけど、さっき言ったよーにてめーのことだけ考えて唄ってりゃいいと思うぜ。誰のためだろーがなんだろーが、聴いてる客はステージの下なんだし。ホントにそいつのために唄ってんなら、それこそそいつの目の前で唄えばいいだけのことだと思うしさ。要はたくさんのやつと一緒に心を動かしたりしてーから、ステージで唄ってんだと思うぜ。んで、それが楽しーんだな、きっと」
イッコーは今までにない屈託のない笑顔を見せた。そしてギターを担ぎ直す。
「ま、だから頭がテンパるまで考える必要はねーってこった。なんにも考えなくったって、唄えることは唄えるわな。でもさ、唄うことが好きになれたら一番よくねー?そんためには、やっぱ楽しまなきゃなー」
歯を見せて笑うイッコー。全く、その通りだな。
俺もちゃんと座り直して、ギターを弾ける姿勢を取る。イッコーは足元のスコアブックを開いて、適当なページで折りこみをつけた。
「あとさ、いろんなやつの曲を聴いてみるんもいいと思うぜ。チャラチャラしながら唄ってるよーなモンもごまんとあるけどよ、その人その人の唄に取り組む姿勢ってのが聴いてりゃわかるから。なにも世ん中で唄ってんのはてめー一人じゃねーんだしさ」
イッコーはそう言って、すかさず弾き語りを始めた。街角で流れてたのを耳にしたぐらいしか聴いた機会がない知らない人の曲だけど、すごくいい。そういえば、他人が唄ってるところをじっくりと横で見るなんてこれが初めてだ。
もう少し、気楽になってもいいのかもしれない。イッコーの唄声を聴きながら、そんなふうに思った。
二人で何曲か唄ったところで少し冷えてきたから、吹きつける風が少し収まるまで休憩がてら温かい飲み物を買いに行く。俺がためらいもなくミルクティーのボタンを押したら、イッコーに似合わねーって笑われてしまった。溢歌と出会ってからは、自動販売機じゃミルクティーしか買ってない。別にあいつの好物じゃないだろうけど。
戻ってきて、百貨店前の段差に腰かけて早速飲む。口に少しまとわりつくような感覚が、妙に心地いい。この場所だと風を遮ってくれる建物が多いから、かなり気が楽だ。
「なー、愁ちゃんとはどーなん?」
ホットの烏龍茶を手の中で転がしながら、イッコーが突然訊いて来た。
「どうって……今じゃ自分から口でしてくれてる」
「誰も愁ちゃんとの性生活なんて訊いちゃいねーわーっ!」
ハリセンの突き抜けた音が街中に響いた。くそ、頭がくらくらする。
「おめーが変なことゆーから想像しちまったじゃねーか、バカやろー」
イッコーは胸を押さえながら、顔を真っ赤にして俯いてる。こいつも何だかんだ言って、青空と同じぐらい純情だと思う。答え方が悪かった事は認めるけど。
そう考えると、俺と愁はすっかり恋人になってるみたいだ。毎日会って、四六時中スキンシップして、抱き合う。二人共他人とつき合うのは初めてだから、さじ加減がわからない部分もある。他の恋人達が俺達のように過ごしてるかなんて知るわけがない。
「俺は上手く行ってるって思うけど……並んでいると、恋人同士に見えるだろ?」
少し得意気に訊いてみると、イッコーは微妙な顔をしてみせた。
「まーそーだけどよー……愁ちゃん、時々すっげー悲しい顔見せるん、ほんの一瞬だけど。おめーがかまってくれねー時とか」
「そんな事言われたって、愁のリアクション全部にいちいち受け答えなんてできるか」
「そーゆーもんなんだわ、恋するジョシコーセーってのは。それとおめーも……真っ直ぐ愁ちゃん見てねーんじゃねーかなーとか思う時もあるからよー」
「それは……」
それは、溢歌がいるから。
口にはできなかったけど、イッコーは勘付いたらしい。
「あの子か?」
俺の顔を見ないで烏龍茶のピンに視線を落として、開ける。
「好きなん?」
率直に訊かれたところで、どう答えていいのか俺自身わからない。
「……かも、しれない。愁とは違った部分で、そばにいて欲しいって考えたりするから」
多分、初めて溢歌と出会ったあの夜から、俺はあいつに心のどこかを奪われてるんだろう。だから、愁をいつまで経っても真っ直ぐ見れない。
本当に真っ直ぐ見ていたいのは――
「愁は俺をいつでも慰めてくれる、心の拠り所みたいな存在で……溢歌は全く正反対で、ホントに自分の事しか考えちゃいないような奴だけど……俺が欲しいもの、欠けてたものを全部持ってる……そんな気がするんだ」
「ミッシングピースねえ……男の永遠の憧れってやつか」
俺の部屋にある絵本を例えに出して、イッコーが呟く。溢歌を初めて月明かりの下で見た時の全身を駆け巡った感覚。あれは一目惚れだとか簡単な言葉で片付けられるものじゃない。生まれた時から欠けてしまってるものを見つけた時のような――そんな感覚。ただ、それが一体何なのかはわからない。でも、同じ気持ちを溢歌も俺に持ってるみたいだ。
「溢歌も……あいつも俺の事、好きだって言ってくれた。今はどういう理由か青空と一緒にいるけど……その言葉に、その時の目に嘘はないと思うんだ」
それが俺と溢歌を繋げる唯一の糸。たったそれだけなのに、俺達は屈折したままお互いに惹かれ合ってる。
自分の気持ちに素直になればいい?そんな陳腐な台詞で楽になんてなれない。何故って?いつだって俺の心の中は矛盾だらけでぐちゃぐちゃになってるんだから。
「んなこと言ったってよー、二人と結婚するわけにもいかないっしょ」
「ぶっ!」
いきなりイッコーが変な事を言い出すもんだから、飲んでいる最中のミルクティーを吐き出してしまった。気管に直接注ぎこんで咳きこむ俺を見て、イッコーが笑顔で謝る。悪気がないのはわかるけど、ジト目で睨み返してしまった。
「結婚だなんて、まだ早すぎる問題だろ」
「でもそんなこと言ってもよー、最後に行きつくとこはそこじゃねーか」
「そりゃまあそうなんだろうけど……」
結婚の二文字なんて、言われたところでちっともピンと来ない。もちろん避妊は心がけてるから愁が子供を産むなんて事もありえないけど、二人でいる時間が一番安心できるから一緒にいるわけで、そこまで考えてつき合ってるわけじゃない。
「まだ愁なんて高校生だし、俺だってガキと変わりない生き方ばかりしてるんだから、もしするとしてもまだまだ先の話だって。それを言うならみょーと和美さんのほうが早いだろう。どっちとも結婚できる年なんだしさ」
「それを言うんじゃねえええええええっ」
このまま自分の話題が続くのが嫌だから受け流しただけのつもりだったのに、イッコーは滝のような涙を両目から零しながら叫んだ。
「ごめん、今のは悪かった」
悪気があったわけじゃないから余計に性質が悪いな、俺。
「はーっ、やっぱあの二人ラブラブに見えるか……」
「見えるどころかその辺の夫婦より仲良く見えるけどな、俺は」
「おめ−、おれいじめて楽しい?」
「別に」
それ以上、イッコーは食ってかかって来なかった。同情や慰めを俺に求めたところで無駄なのを十二分に承知してるんだろう。
「和姉、惚れっぽいところがあるからなー……」
飲みかけの烏龍茶を掌で擦り合わせながら、白い息と共にイッコーがぼんやり呟いた。
「前から疑問に思ってたんだけど、仲良かったのか?」
「ガキの頃、正月とかお盆とかに顔を合わせる程度だったん。おれが前のバンドをやり始めた時が一番話してて、よく和姉もライヴ観にきてくれてたし……ただ、解散してから自然と会わなくなっちまって。向こうの家にいきなり押しかけるんも変じゃねー?」
そんな目で同意を求められても困る。想像してみたら、確かに変だけど。
「あーでも、おれが目を離してた隙にあんの野郎がそばに寄ってきてたなんてなー。なーんとなくそんな気はしてたんだけどやっぱショックだわ、マジ」
涙でアメリカンクラッカーでも打てそうなくらい、イッコーの背中に影線が張りついてた。思わず笑ってしまいそうになるのを堪えて、適当に言葉を取り繕う。
「多分……好きなタイプと違ってたんだろ、イッコーは。従姉弟だし」
だってみょーみたいに変に抜けたところもないし、自立できる力強さを持った人間だ。母性的な面を持ってる和美さんからすれば、本当によくできた弟としか見てないと思う。
「やっぱ従姉弟ってのが痛いわなー」
「それはそれでずっと面倒見てくれるからいいんじゃないか」
「おめーやっぱすっげー性格悪いわ」
笑いながら言われると、結構胸に突き刺さる。でもこの性格は生まれつきだからしょうがない。愁と仲良くなってから多少温厚になったって言われるけど地は治らない。
「もーおれのことは別にいいんよ、おめーのこと、おめーの」
イッコーも自分の話題はうんざりとばかりに、話を軌道修正してくる。
「どーせ、いつかはどっちかを選ばなきゃいけねーんだ。そん時が遅ければ遅くなるほど、向こうの傷つく度合いも大きくなってくるわな。おれはその……溢歌ちゃん?がどーゆー娘なのかも知んねーし、恋愛上手ってわけでもねーからアドバイスなんてできねーけど。でも、これだけは忘れんなよ」
これ以上ないほど真剣な顔で、俺の目をしっかりと見据えて鼻息荒くイッコーは言った。
「相手はどっちも人間なんよ。モノじゃねー。だから、両方手に入れられるなんてことは絶対できねーんだ。片方は諦めなくちゃいけねー。もしかすっと、何かの拍子に両方手のひらから零れ落ちるかもしんねー。その覚悟だけはきちんとしておけよ。このままずるずるなあなあで引きずってくつもりだってんなら、ぶっ飛ばすかんな、おれ」
右手で力こぶを作るポーズを取るイッコー。俺へのその気持ちにずっと張り詰めてた心がふと緩んで、少し涙ぐんでしまった。
これだけ俺を見てくれてる人間がそばにいる。何て幸せな事なんだろう。
イッコーだけじゃなく、愁も千夜もキュウも、みんなみんな俺の事を見てくれてる。
俺のずっと求めてたものが今ここにある、そんな気がした。
「お前、やっぱり凄くいい奴だな」
「ったりめーじゃん。他人の傷つく言葉グサグサ言う誰かさんとは違うわな」
「だから悪かったって」
わざとふてくされるイッコーに謝ると、ケロッと機嫌を直して笑い合う。こんなふうに話のできる人間って、今までで片手に収まるくらいしかいなかったんじゃないだろうか。
結構俺って、ひねくれた人生送ってきてる事に今更気付いた。
飲み干した烏龍茶の缶を横に置いて、イッコーがギターを用意する。
「んじゃ、身体が冷えないうちに唄っちゃいますか。もちろん、明日もやるかんな」
「勘弁してくれ……」
前言撤回。やっぱりおまえ、性格悪い。