054.サンタの贈り物
今日はやけに、ハコが狭く感じられる。
客席が満員だってせいもあるけれど、一人一人の想いみたいなものが客席の上ら辺に集まってるように思える。クリスマスという特別な日を、好きな人と一緒にパーティーの中で過ごしたい。そんな想いがひしめき合ってる。
久し振りに楽屋でバンドの四人が顔を揃えた時、誰の顔にも力が漲ってるように見えた。この前みたいな失敗は絶対しない。そんな思いが俺達の背を押す。リハーサルで軽く音合わせした時、今日のステージは絶対成功するって確信した。
いい音に包まれてると、それだけで身体が震えてくる。今日の4人の音はバラけてるようで、強固なグルーヴを作り出していた。前のライヴとは明らかに出来が違う。30分という短さも、今の俺達にはうってつけだった。俺達の出番は一番最後で、前のバンドが十分客席を暖めてくれたおかげでとてもやり易かった。前までは客が静まってようが人数が少なかろうが自分達の音が出せればそれで十分だったけど、今日はできるだけ客の顔を見るようにして唄った。いいリアクションが返ってくると、こっちももっと強い唄声を届けようと懸命にマイクを手に取る。
これだけ客が多いと、どこに誰がいるのか皆目見当がつかない。前のほうでいつものように手を振ってるキュウの姿だけは確認できたけど、愁や和美さん達を探しても見つからない。溢歌が来てるのかさえもわからなかった。
何だか、初めてステージに立った時の事を思い出す。今のバンドじゃなくて、中学の時にクラスの奴に頼まれてヴォーカルをやらされた時だ。
あの頃の俺は、取り立てて目立つような奴じゃなかったと思う。適当に授業に出て、適当にサボって、適当な奴等と適当に暇を潰してただけ。毎日に退屈してたし、かと言って悪さをしようとも思わなかった。懐にナイフを忍ばせてる事もなかったし、校内で起こる暴力事件なんかにも目もくれなかった。あの頃から俺はもう、どうして自分がこの世界にいるのか疑問に思うようになっていた。最初の思春期だったと思う。他の奴らは部活に出たり塾に行ったりして、見た目忙しそうな日々を送っていた。俺は別に何かに打ちこもうとする気にもなれなかったし、そうやって何かを考える暇もなく毎日を生きるなんてうんざりだった。自分自身を見つめ続けて過ごすほうが他の奴等より何十倍も充実した時間を過ごしてると思ってたし、そんな日常に何の疑問も持たなかった。
誘われたのも、ちょうど物事を考えるのに疲れてた時期だった。心にゆとりができれば何でもいいって思ったから、二言返事で引き受けた。
他のメンバーは今まで楽器を握った事もほとんどなくて、全員ド素人だった。俺を誘った理由は、学校の屋上で唄を口ずさんでた俺を見つけたかららしい。と言うより、頭数が足りなかったのと誰もヴォーカルをやろうとしてる奴がいなかったのが本音だった。
組んだバンドはパーマネントじゃなく、文化祭一回切りの予定だった。リーダー格の奴がやりたいって言ったのがきっかけで始めただけだから、ライヴが終わるとすぐに解散して、みんな受験勉強に打ちこんだ。要は想い出作りってやつだ。でも、その考えは俺には悪くなかった。実際、中学高校の想い出なんてそれだけしか残ってない。
やった曲は全部カバー。オリジナルを作れる技量なんて誰も持ってなかった。誰でも知ってる曲のほうが聴いてるみんなもわかるだろうって話で落ち着いた。
練習を始めて文化祭当日になるまで、他の奴らに結構バカにされてた。奴らの気持ちもわかるけど、日常に流されていくだけのおまえ達より俺達のほうが何倍も充実してるぜって自負していた。口には出さなかったけど。
恥をかくならひたすらかこうと腹を括ってたから、蓋を開けてみると驚いた。男達は肩を組んで唄ってたし、女生徒はみんな体育座りで手拍子を打ってた。あれだけ盛り上がるなんて正直予想外だった。俺達をバカにしてた奴等も、終わった後に誉めてくれた。
あの時体育館のステージで感じたものと同じものが、今目の前にあった。
ずっと記憶の底に沈めてた想い出だったけど、あれが俺の原点だったように思う。高校を中退して家に篭ってた時に唄を選んだのも、きっとあの日があったからだ。
まさかもう一度、ステージで同じ感動を得られるなんて思ってもみなかった。
どうして、俺は独りで唄ってたんだろう?そんな疑問が、頭の中を駆け巡る。多分それは、自分の苦悩は自分独りにしかわからないって思っていたから。今でもそう思うけど、青空の世界を唄声に乗せた俺達の演奏を聴いてくれる奴がこんなにもいるんだから、世の中まだまだ捨てたもんじゃない。目の前に聴いてくれる人間がいる、それだけで俺が唄っている意味はあるんじゃないか?
苦しみと辛さと切なさはいつも付きまとってくるけれど、こうやって大勢の人の前で唄える俺は、幸せなのかも知れない。日常で積み重ねた心の中に溜まったもやもやしたものを吐き出す場所と方法を知らなくて、頭を悩ませる事もない。
でも、俺がその人達のわだかまりを代弁してるつもりなんて毛頭なかった。似たり寄ったりの感情でも、人それぞれ感情の発生源は違うから、決して同じ感情を共有できるわけじゃない。青空の歌詞の中でも、それを匂わす言葉がいくつか見られる。
人は一人一人違う生物だ。決して同じ感情を受け取る事はないし、相手の気持ちをわかってるつもりでも、それは実のところ自分の経験を相手に当てはめてるだけ。
でも、唄で他人と繋がる事はできる。同じ一つの事で、心を通い合わせる事ができる。だからこそ、唄い続けられるんだ。
今日演奏できるのは全部で5曲。アンコールは今日出演したバンドで『きよしこの夜』を合唱するのが決まってるから、ワンマンの時みたいに時間を引き延ばせない。イベントという事も考慮して、最後を除いて全てアップテンポのナンバーを演った。イッコーの曲はその中にあったけど、俺がマイクを手に取った。俺達を支えてくれるみんなに、できる限り俺の声を届けてやりたい。前の失態を挽回するためにも、まだまだ俺達が凄いって事を見せつけてやろうと思った。
今日はとても、喉の調子がいい。一曲終わるたびに倒れそうなくらい気力を消耗したけど、客の耳元で唄ってるような、きちんと相手に唄声が届いてる実感がある。それだけで、俺の身体は前に動いた。
4曲目の『夜明けの鼓動』が終わって俺が息も絶え絶えに水を飲んでる時に、青空が近寄って来て耳元で囁いた。
「溢歌が来てる」
俺は身体を震わせて、とっさに客席を見回した。そんな俺をたしなめるように青空はタオルを差し出してくる。
「ステージに上がる前に会ったんだ」
俺はタオルを受け取って、汗を拭いた。この満員の客席から溢歌の姿を探し出すのは困難だろう。だけど、溢歌が来ている事がはっきりしただけでも、俺の気持ちに火がついた。
「どうする?アレ、やるか?」
イッコーがアンプを調節しながら俺達に訊いてくる。千夜は俺達に任せるって目配せして、気の向くままにドラムを叩いている。
俺は青空の顔を覗った。青空は決意の篭った眼を俺に返して、頷く。俺も腹を括って、客席へ振り向いた。みんな、最後の曲を今か今かと待ち焦がれている。
タオルと空になったペットボトルを客席に投げ捨てて、曲の名前を告げた。
「ラスト、『everything gonna days』」
どれだけ君はこの道を歩いてきただろう?
足跡が風に吹かれても流した涙は地面に種を植えた
僕は一人暗い部屋に閉じ篭ってばかり
いつの日か君に聞かせられる唄を作り続けては棄てた
繰り返される毎日に心が麻痺して
些細な喜びで笑えない僕がいて
悲しい君の背中をいつまでも見送っていた
長くなる夜に憂鬱をぶちまけて
眩し過ぎる太陽に唾を吐いて
血で滲んだ拳を何度も壁に叩きつけた
弱々しい声で、君の名前を、叫び、続けた……
必ず昇る朝日に未来を託して泣いた
心が耐え切れなくて暗い夜に溺れ続けた
あるがままに生きようと願えばそれだけ傷ついて
時に誰かを傷つけて それでも日々を過ごしていく
優しい言葉を受け取って少しだけ笑った
痛みを振り撒いて部屋で一人泣き喚いた
すれ違う僕らは今日もまた同じ夜明けを見ていた
君が背負ってきたものを僕は知らない
分かり合えない心を抱えたままそっと手を伸ばした
僕は人よりほんの少し弱い人間で
不器用な態度でしか想いを伝えられなくてその度に悔やんだ
誰かを助けられるほど誰も強くなくて
なりふり構わず自分の身を削って
振り向いて欲しくて何度も唄をうたった
弱い心を君に繋ぎ止めて欲しかったんだ
悲しみに隠れた喜びを見落として
どれだけ歩いて来ても迷う君がいて
届かない気持ちをこめてそっと手を繋いだ everything gonna days
寒く長い冬に絶望しながら眠った
引き裂かれそうな心で何度も泣き叫んだ
触れ合おうと裸で近づけばそれだけ傷つけて
時に傷つけられて それでも歩み寄っていく
温もりを想い返して少し淋しくなった
本音を投げつけて深い傷を胸に残した
すれ違う僕らは今日もまた同じ夜を過ごした
すれ違う僕らはこれからも同じ日々を歩いていく
いつまでも君を支え続けられるように
everything gonna days この唄をうたうよ
笑い 涙を流し 時に愛し合う日常に流れる
懐かしい唄声にそっと耳を傾けてくれ
この曲はリハーサルの時、明日以降集まる時間がないからと仮歌のついた未完成の状態で青空が弾き語りをした。それを観ていたマスターの言葉がきっかけに、本番が始まるまでの間に4人で何とか形にして、こうして披露することになった。
青空は千夜に事前に曲を聞かせていたらしく、アレンジも即興だけどある程度形になった。俺がこの曲を耳にするのは初めてだったけど、コード進行だけで今までの中で一番いい曲だって事はわかった。
これまでの青空が作ってきた曲は歌えなかったのに、何故かこの曲だけはすんなりと俺の心に届いた。一度聴いただけで、この曲が『Days』用に作られていないのははっきりとわかった。それがかえって、俺が歌おうと前向きに思える気持ちになれた。
歌いながら、今まで空っぽだった心の底から感情のメロディが湯水のように溢れ出してくるのがわかる。これまで苦悩していた日々が嘘のよう。それは、俺が青空の事を昔のように信じられる事ができるようになったのを表していた。
循環コードで繰り返される静かな曲調の上で、それぞれの想いをこめて自由奔放に楽器を奏でる。俺の唄声も楽器の一つになって、ステージの中央でとぐろを巻いてるグルーヴに吸いこまれていく。
歌詞は断片的な文章の羅列になっていたのを、みんなで話し合いながら並べていった。
紙に書かれた断片的な歌詞を読んだだけで、この唄を誰のために書いたのか一目でわかった。まるで申し合わせたかのように自分の心情とリンクしてたのは、青空と同じ気持ちを抱えてたって事だろう。それがとても嬉しくて、何度も何度も食い入るように仕上がった歌詞の書かれた紙を読んだ。
今日のステージで、俺は人生の中で一番いい唄をうたえた気がする。唄う事そのものを楽しむ気持ち、みんなの前で唄える幸せ、そして唄を届けられる相手がいる素晴らしさ。心の底から、自分を産んでくれた母親に感謝した。
サンタが俺にくれた、最高のクリスマスプレゼントだった。
みんなはどんな想いでこの曲を受け取ってくれたんだろう?今日のステージをどう受け止めてくれたんだろう?こうして成長できた俺を見て戸惑った人もいるだろうけど、ステージの上から満足した客の顔がたくさん見えただけで俺は嬉しかった。
客席に向かって思いっきりピックを投げる。普段ならこんな真似はしないけど、今日は聴いてくれた人達へ感謝の気持ちで胸が一杯だった。
ステージを降りて楽屋へ戻ろうとすると、階段を上ったところで一番逢いたかった女の子の顔が見えた。後にいた青空も気付いて足を止める。
溢歌は赤くした顔を俺達から背けて言った。
「観てあげたわ。これで満足かしら?」
俺と青空は顔を見合わせて、苦笑した。