→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第3巻

   062.シーラカンス

「ここか」
 バイクで到着した病院は、最近建てられたのか随分と綺麗な大きめの建物だった。駐車場にバイクを止める。背中にしがみついた溢歌が下りて、メットを脱ぐと後ろでまとめた髪を開放した気分で解いた。
「寒くて凍え死ぬかと思ったわ」
「だから言ったろ?電車で行くか、もっと厚着しろって」
 いくら何でもワンピースにジャンパーと手袋だけじゃ無茶すぎる。普段から薄着には慣れてる溢歌とはいえ、冬の夜風は相当堪えたみたいだ。もっと山の方に行けば、冷凍庫みたいな山風を味わえるだろう。
「じゃ、行くか」
「少し休憩してからの方がいいわよ。ここに来るまでふらふらだったじゃない」
 溢歌の言う通り、精神的にかなりきていた。ここに来るまで事故らないようにバイクもひたすら安全運転に努めたくらいだ。それくらい、あの後の電話で疲弊した。
 3人ともさすがにショックを受けていて、特にキュウには直接電話でひたすら罵詈雑言を浴びせられた。もちろん溢歌の事は話してないけど、千夜の件と重なって最初から最後まで泣きじゃくってた。そばに行って頭を撫でてやりたかったくらいだ。
『もう嫌よ、アタシの大事なヒトばかりこんな目に遭うのは……』
 キュウの嗚咽混じりの言葉が、胸の奥に突き刺さってる。
 俺は愁だけじゃなく、その周りにいる大切な人まで裏切ってしまったんだな。
 イッコーは和美さん経由で教えてもらったらしく、今回の件を冷静に受け止めていた。
 もちろん俺の事を非難してたけど、恨んでる様子にも見えなかった。むしろ、普段の愁の俺に対する態度を横でずっと見ていて、危うい部分は感じてたらしい。一途になればなるほど反動がでかいって。実際は、忠告する前に事が起こってしまった。
 青空にはキュウが知らせたようで、言葉少なかった。今回の事を溢歌がどう思ってるのか俺に訊いてきたので、本人に電話を替わろうとしたら青空の方から断りを入れた。まだ溢歌と直接話せるだけの気持ちの整理がついてないらしい。なので俺が間に入って溢歌の気持ちを伝えると、納得した様子だった。
 千夜の件については明日改めて話す事にした。イッコーの協力のおかげで暴行した奴等数人の身柄は確保できたらしく、少し安堵した。全員を捕まえるにはもう少し時間がかかりそうだ。
 キュウは昨日も今日も見舞いに来たらしい。イッコーと青空は明日以降になると言ってた。二人は俺が全部責任を背負う事はないって言ってくれたけど、当事者からするとそう考えるのはなかなか難しい。
「しかし……寒いな、今年は」
 すっかり日の暮れた夜空を見上げ、呟く。ここは水海から少し離れてるので、冬の星座も綺麗に見えた。
「帰りに何か洋服買ってやるよ」
 内股で寒そうにしてる溢歌に声をかけ、病院の入口に向かった。
 受付で部屋の番号を聞く。面会謝絶と言われたけど、家族に会うと言う事で受付の人を納得させた。4階にある一室らしい。症状が症状だけに集団の一室ではないようだ。
 エレベーターに乗ってる間、自分の心臓の鼓動が高鳴ってくるのが分かる。溢歌の方を見ると、表情は変えずに俺の手を握ってくれた。ほんの少し気が楽になる。4階に到着して扉が開くと、一度大きく深呼吸して、溢歌の手を離した。
 千夜の時もそうだけど、何度来ても病院の匂いは慣れない。乳白色のライトの下を歩いていると妙に浮世離れした感覚に陥る。
 目指す部屋の前に、みょーがいた。和美さんと一緒に部屋の前の長椅子に座ってる。
 みょーの姿を見た瞬間、思わず反射的に俺の足が止まった。その靴音に気付いたのか、二人が俺達の方を振り向く。俺の姿を確認して、みょーが腰を上げて俺の方に歩いてきた。
 俺は、覚悟を決める。
 口を真一文字に近づいて来るみょーから目線を逸らさない。
「このッ……!!」
 大股で俺の目の前までやってきたみょーは、そのまま胸倉を掴んで歯軋りした。かける言葉が見つからず、逃げる訳にもいかないから視線を逸らす事もできない。結果的に睨み合う体勢になり、慌てて後ろの和美さんが止めに来て、ようやくみょーがその手を離した。
「何でオマエが来るんだよっ」
「ごめんなさい明星、私が呼んだの」
「和美が?……チッ。病院教えるなって言ったのに」
 みょーは舌打ちして、俺に背を向ける。余計なお節介を焼かれて、腹が立って仕方ないんだろう。俺は冷静を取り繕い、襟元を直した。
「ここでは迷惑になるわ。そっちの休憩所に行きましょう」
 和美さんに諭されて、突き当たりにあるソファの並んだ広間に移動する。
「溢歌ちゃんも来たの?」
「ええ、愁ちゃんがあんな事になったって聞いたので。連れて来てもらいました」
「…そう。ありがとう」
 和美さんは俺と溢歌の顔を交互に見て、柔らかに微笑んだ。
 もしかすると和美さんは愁が手首を切った原因を、俺達二人にあるのだと女の勘で気付いてるのかもしれない。それでも彼女はみょーに告げ口するような人には思えなかった。
「面会は・・…できませんよね」
「オマエはっ、のこのこやってきておいて愁に顔合わせる気かっ」
「違う違う、俺じゃない、こいつこいつ」
 すかさずみょーに喰ってかかられたので、隣の溢歌を指差す。即座に理解したようで、みょーもおとなしくなった。
「また別の機会でいいわよ。嬉しがるかどうかもわからないし」
 愁が溢歌を一緒に一つ屋根の下で過ごした友人としてか、それとも俺との恋のライバルとして受け止めるのかわかりかねる、そんな思いが溢歌の言葉には込められていた。
「まー、溢歌チャンが来てくれたコトはうれしーよ。心配したんだぜ?」
「ごめんなさい、勝手に家を飛び出しちゃって。今はもう大丈夫、実家に戻って、不自由なく暮らせてます」
「そっか。わざわざ見舞いに来てくれてありがとうな」
 溢歌の言葉に初めてみょーが表情を崩した。つられて俺も表情を緩めてると、みょーがこちらを向いて詰め寄って来た。
「ホントなら、オマエを今すぐにでもここでぶっ飛ばしてやりてーんだが」
 病院の建物内を見回して、ため息をつく。もちろん俺は、いくらでも殴られてやるつもりだった。それでみょーの気が晴れるのなら。
「でもきっと、愁はそれを望んでねえ。だから、オマエには手を出さない」
 みょーのその態度は、大切な妹を思いやる立派な兄貴そのものだった。
 崩れるように近くのソファに腰を下ろし、話し始める。
「……手首を切った愁を見つけたのは和美だ。あの時俺は学校の部活で油絵塗ってたから、先に家に帰った和美が風呂場で泣いてる愁を見つけたらしい。昨日の昼間のコトだ」
 和美さんの方に目線を向けると、みょーの言葉に頷いていた。
「家に帰ると風呂場の方から鳴き声が聞こえたから何事かと行ってみると、洗い場が血だまりになってて、必死に愁が血の流れる左腕を押さえて泣いていたんだと。すぐ救急車を呼んで、和美が止血手当をしてくれたから、大事には至らずに済んだ」
 その光景を想像するだけで胸が痛い。どんな思いで愁がリストカットしたのか、その気持ちが俺には痛いほどよくわかるから。
「リストカットくらいで、人って死ぬものなの?」
 空気を読まない溢歌の発言に、思わず頭を叩きそうになる。確かに、自傷行為をする若い女性の話なんかは昔TVか何かで見た事があるけど、よっぽど深く切らないと失血からショック死には至らないと聞いた事はある。
「切り傷は動脈まで行ってなかったから大丈夫だと。それでも突発的だったせいか、傷は思ったより深くて危なかったらしい。一歩間違えてりゃ……」
 そこでみょーは感情がこみ上げてきて、言葉を詰まらせた。俺もその言葉の先は想像さえしたくもなかった。
「和美が言ってた。錯乱して血の流れる手首を必死に押さえて死にたくない、やっぱりまだ死にたくない。たそに嫌われたままだなんて嫌だって泣き喚いてたって。搬送されてる救急車の中でもうわ言のように、ずっとオマエの名前を呼んでた。わかってんのか!?愁がどれだけオマエのコトを想ってたのか?こうなってしまったのもオマエのせいだぞ!!」
 立ち上がったみょーが俺に詰め寄って、廊下に響く大声で怒鳴り散らす。その声を聞いた看護婦が近くの扉から様子を窺ってきたのを、和美さんが頭を下げて対処する。
「ちょっと落ち着いて、明星も。たそさんに当たりたくなる気持ちも解るわ。でも愁ちゃんは、二人のそんな姿を見たくないでしょう?」
 俺達をたしなめる和美さん。一理ある言葉にみょーも荒げた呼吸を整え、自分のYシャツの襟を両手で直した。
「愁ちゃんはいつ頃退院できるの?」
「しばらく今の病室で、傷の状態が良くなったら一般に移動する予定よ。おそらく…年を挟む事になるかしら」
「ホントなら一杯予定あったろうにな、愁のヤツ」
 溢歌と和美さんの会話を聞いて、愚痴っぽくみょーが吐き捨てる。
「キュウは…もう来たのか?」
 直接の話題を振らないように、知ってはいるものの尋ねてみる。
「ああ、昼間ずっといたぜ。キュウは愁の大切なトモダチだから少しの間、会って話をさせてやったけど…チャラチャラしてんのに、アイツはホントに友達想いだよな。ちょっとびっくりしたわ、オレ。見直した」
 正直なみょーの感想に苦笑してしまいそうになる。あいつの仲間想いなところに、俺達もバンドをやる上で何度も助けられた。
「キュウに会ったら覚悟しときな。アイツ、オマエのコト本気で恨んでるから」
 みょーの忠告は、今日の電話で身を持って知った。直接会った時にも更に酷い言葉を投げ掛けられるのは目に見えてる。もう、刺されなければいいやと開き直った。
「ったく、せっかく前のライヴで、たそのコト本気で見直したんだけどな〜」
 残念そうにみょーが呟く。
「前に言ったよな、アイツを泣かせる真似をしたらオレが兄として本気でぶん殴るって。単にオマエが愁に暴力を振るったとかだったら、問答無用で簡単に殴れたのにな。……今日、オレは愁の気持ちに免じてオマエをぶん殴ってやるコトはしねーけど、オマエがもっと愁のコトを大事にしてくれりゃ、こんなコトにはならなかったと思ってる」
 そうだ、俺は自分の気持ちに嘘がつけなかったために、愁を傷つけてしまった。自分に正直になった結果がこれなんだから、正しくなかったと言えるだろう。でも、そうやって自分の気持ちを殺して俺は溢歌を見捨てる事ができなかった。あの時そうしていたら、自殺未遂を犯したのは溢歌の方だったかもしれない。 
「オマエが愁にクリスマスの晩、何をしようとしたかは聞くつもりはねー。たそが正直で嘘の一つもつけねーヤツだってのはわかってるけど、それを聞いて愁にも悪いトコがあったとして、俺は兄としてその言葉を受け入れるつもりもねーし。和美が本人に後で聞いても、絶対言葉を濁すのはわかってるかんな。だって、あんだけオマエを好いてたんだ」
 その一言が重くのしかかる。
 次に愁が俺の前に顔を見せてくれた時、許してくれるだろうか。……くれないよな、やっぱり。
「愁には……」
 俺は何かを言おうとして、言葉に詰まる。あいつに何を言ってやればいいのか。
「何も、命を捨てるような真似はしないでくれ。俺を、悲しませるような真似はしないでくれって言っといてくれ。じゃあ、俺はもう帰る」
 これ以上口にすると、余計な事を言ってしまいそうな気がした。一刻も早くこの場から逃げ出したかった。だが、その前にみょーが物凄い剣幕で俺の胸倉を掴み、そのまま近くの壁まで一気に押し込む。よろめいた末に背中を打ち付け、息が詰まる。
「愁を悲しませる真似をしたのは、オマエだろうが!」
 ……愁には、早く俺の事を忘れて、新しい幸せでも見つけてくれって言っといてくれ。
 だなんて言葉を口にしようと思っても、できなかった。そんな残酷な事を今の愁に言えるはずもないし、俺の心にもまだきっと未練が残っているし、これ以上みょーに怒鳴り散らされて殴られるのも嫌だった。
「……すまない。本当にすまない。今の俺には、この言葉以外見当たらないんだ」
 みょーから目線を逸らして泣き声で弁明している自分が、とても情けなかった。そんな煮え切らない俺の態度に苛立ちを隠せないみょーは、掴んだ胸倉を力任せに引っ張って、俺の体を病院の廊下に投げ出した。
「俺はオマエを絶対に許さないからな!!」
 見下ろしたみょーが倒れ込んだ俺に向かって、怒声を浴びせる。その表情はライトの影になっていて、判別する事ができなかった。
 そのまま俺を見捨てて大股で、愁のいる病室へ戻って行く。和美さんと溢歌が俺に駆け寄って、上体を起こしてくれた。
 去り行くみょーの背中を、俺はとても物悲しい気持ちで見つめていた。


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