→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第3巻

   066.誰かの冬の日

 とっくに丑三つ時だと言うのに、神社の周辺はやたらと騒がしい。
「何で俺はこんな所にいるんだろう……」
 心の底から呟いて、遠くにそびえ立つ人だかりのライトアップされた神社を見上げる。鳥居の向こうは人が多すぎて、すぐ逃げ出してきた。新年を迎えて、人々の心は浮かれているのがよく分かる。深夜なのに、正月だからと言ってこれほどまでに集まってどんちゃん騒ぎする人のエネルギーは凄い。
 しばらく独り身になってしまったた俺は、ラバーズのマスターに拉致されて、スタッフ達と一緒に水海地域最大の神社に車で初詣に連れて来られた。この後は山の方に登って、展望台から初日の出を見に行くらしい。
 何で俺は駐車場に止めてある黒いバンのそばで、一人甘酒を啜ってるんだ。
 そんな己の境遇を惨めに思いつつ、眠気で瞼を落としたまま騒がしい神社を眺めていた。マスター達は人混みの中で賽銭を投げに行ってる。俺は遠慮しておいた。一人でお参りに行って、何かを神様に願うのもアホらしい。
 年の最終日は一人寂しく溢歌の家で過ごしていた。溢歌がずっと住んでいる一軒家の空気を、肌で感じていたかったからだ。昼間は海岸沿いに散歩に出たり、前々から気になってた防波堤前の喫茶店でスパゲティを食べたりした。頼んだカルボナーラの味が青空の作るのに似てたのはちょっとばかり驚いた。
 しかし何で、大晦日に一人で喫茶店で昼食摂ったりしなきゃならんのだ。
 溢歌は本当にしばらく戻るつもりがないのか、冷蔵庫の中身は全て空になっていた。作り置きしてくれたおにぎりで食材を使い切ったみたいだ。空の冷蔵庫を見て改めて、溢歌はしばらく俺と会えない事を前提に接してたんだと思う。
 短い間に、もっと溢歌にしてやれる事はたくさんあったはずだ。そんな心残りな思いを引きずる一方で、再会した時にはもっと優しく接してやろうと思った。
 このままあいつが二度と俺の前に現れないなんて事は――ない。
 その想いは願いよりも祈りに近かった。ただでさえ溢歌が隣にいなくなって胸に大きな穴が空いているのに、この穴が一生埋まらないなんて耐えられない。少しでも疑心暗鬼になってしまうと、溢歌が帰って来ないような気さえしていた。
 一人でいるとあの家は、驚くほど広く感じた。肉親がいなくなってからずっと溢歌は一人で、あの家で過ごしてきたのかと思うとやるせない。心を空虚にしてしまうには十分すぎる広さだった。
 畳の上に寝転がって、溢歌がどんな思いで暮らしてきたのかを想像する。誰にも悩みを打ち明けずに、死人のように横たわっていたのかと思うと涙が零れそうになる。
 太陽が沈む頃には、俺の心はとっくに疲弊し切っていた。夢の世界へ逃げなかったのは、溢歌の事を五感全てで感じたいと思ったから。そうする事で、溢歌の想いを少しでも理解する事ができたら。
 得られたものは、漠然と体に圧しかかる時間と言う名の暗闇と、無限の孤独だった。
 心の中にあるメロディを口ずさむ事で、自分自身を守る事ができた。溢歌が独りでここにいた時、俺と同じように歌をお守りにしていたのかな。あいつの背負ってるものは俺には途方もつかないくらい、黒く、重いものなのかもしれない。
 人はそれぞれに過去を抱えて生きてる。俺はこれまで幾度となく苦しい思いをしてきたけど、千夜や溢歌はそんな比じゃなかったのかもな。千夜なんて男にズタボロにされる運命を背負ってるようで、神様は何であいつの事を無視し続けてるんだと心から腹が立つ。
 あいつを癒してやるには、バンドで音を出し続ける事以外ないんだろう。一番理想的だし、俺もあいつのためにできるだけの事をしてやりたい。何度も口喧嘩して恨みも一杯持ってるけど、それ以上にここまで一緒にやってきた仲間という想いの方が強い。
 問題は、このまま千夜がバンドを諦めてしまう可能性がある事だ。
 言ってみれば今回の件は、バンドをやっていたから起こった事件だ。周囲の人間が復帰させるのを拒む事もあるだろうし、千夜自身、『Days』を呪っていてもおかしくない。
 事実、相当デリケートな問題だと思う。そりゃバンドを一緒にやってきた俺達からするとこれまでと同じように振る舞って貰うのが一番いいけど、陰口や目線は一層厳しくなるだろう。根も葉もない噂を流されて、千夜が傷ついてしまう事だってある。
 バンドのこれからに関しては、みんなと話し合うしかない。もちろん俺としては、一刻も早くステージに立ちたい気持ちがある。溢歌が隣にいない今、望みは歌を唄う事しかないから。再会したあいつにもっといい歌声を届けてやるのが、俺の使命だ。
 その信念を失ってしまったら、俺は濁流に呑み込まれてしまう。
 隣に溢歌がいない状態で愁と再び顔を合わせた時に、俺は愁の望みを断れる自信がない。だから、今の俺は溢歌のために生きてるんだと盲信してしまうくらいじゃないと、俺は今の俺を保てなくなる。
 溢歌をまた、絶望の中へ手放してしまう事はしたくない。畳の上で仰向けになりながら、そう強く思った。
 このまま一人、暗闇の中で新年を迎えてしまおうかと考えていたら、携帯電話に着信が入った。最小回数のベルで留守録に変わるようにしてあるので、放っておく。
 後で確認してみると、ラバーズのマスターからの初詣の誘いだった。
「顔を出すだけだったはずなのに……」
 イッコーも年越しライヴの楽屋に顔を出してるはずだから、家に戻るついでに寄ってみただけだったのに、ライヴハウスに引きずりこまれた。
 もちろん青空以外の歌を唄う気にはなれなかったので、全力で嫌がってステージに上がる事はしなかった。ぐだぐだと、地上階のレストランのカウンター裏でとぐろを巻いていただけだ。
 今もライヴハウスは、年越しイベントを続けてる。なのに何でマスターは仕事放り出して初詣に来てるんだ。受付の井上さんや、スタッフも数人来てる。マスターの思考回路は俺にはさっぱり理解できない。
 店に残ってるスタッフを送り迎えして初詣が済んだら、初日の出を見に行くらしい。無茶苦茶だ。とっととこの場を抜け出して、溢歌の家に戻りたい。あの岩場から初日の出を見るんだ。
 イッコーの姿を見つけたけど年越しライヴで忙しそうだったので、声をかけるのは止めておいた。水海の他のライヴハウスの年越しイベントにも足を運んでるらしく、相変わらずその行動力には参る。胸のもやもやを吐き出す事ができずにこんな所でくすぶってる俺とは大違いだ。
「眠い・・…」
 大きなあくびが出る。溢歌が戻って来るまで、ずっと眠り続けていたい気分だ。こんな後ろ向きな気持ちのままで冬を過ごさなきゃいけないのかと思うと、気が滅入る。
 俺が今、できる事は何なんだろう。
 どうすればいいのか自分でもわからない。ひたすら、自分を救う為の歌をただひたすらに唄い続けていたい気分だった。
「何一人で黄昏れてんだ、お前は」
 冷めつつある甘酒を啜っていると戻って来たマスターに不意に声をかけられて、眠気が覚める。連れて受付の井上さんや、他のスタッフも戻って来ていた。
「人の多い所、苦手なんだ」
 神社の境内に続く長い階段を埋め尽くす人混みを眺め、げんなりする。こんな場所で初詣する気にもなれなかった。それに、今の状況を神頼みする気にもなれない。
 本音を言えば年が変わったからって、ちっとも嬉しくない。去年の事が全て洗い流せる訳でもないし、時間は絶え間なく地続きだ。
「マスターはホント元気だな」
「たりめーよ!ま、年末すげえ忙しかったからな、今日は初日の出を見た後は、帰って久々に爆睡でもするさ。でないと正月からのライヴが乗り越えられねーからな」
 豪快に笑い飛ばすその姿を見て、俺の方が疲れる。どれだけ元気なんだ。
「んじゃさっさと戻るか。他の奴らも待ってるからよ」
「へーい」
 マスターの合図で他のスタッフもおのおのの車に戻って行く。俺も残りの甘酒を口の中に放り込んで、さっさとマスターのバンの後部座席に乗り込んだ。
 車内の暖房でますます眠くなる。隣のスタッフに眠気覚ましのガムを差し出されたので、一枚貰った。こりゃ、帰りのバイク運転できるかな。
「しけた面してんなー、大丈夫か?」
「いいからちゃんと前向いて運転してくれ」
 バックミラー越しに俺の顔を確認するマスターに注意する。車を運転するからもちろん酒は飲んでないけど正月早々事故に巻き込まれたら敵わない。
「で、前言った事は考えといてくれたか?」
「考え中」
 もういい加減レーベルへの誘いは止めてくれ。行けるようになったら、こっちから言うからさ。それに、千夜があんな事になったんだから見通しなんて立ってない。
 千夜の件については、まだラバーズの人間には知られてない。千夜自体ヘルプで他のバンドで叩く機会がなくなっていたので、顔を見せなくても不思議に思う人間はいなかった。でも、噂が広まるのは時間の問題だろう。どこから漏れるかわからないのが世の中だから。
「マスター……あ、いや、何でもない」
 例えば俺一人だけでライヴを組んでみたらどうなるだろうと考えたけど、言っても無駄だと思って引っ込めた。
「何だよ、もったいぶらなくていいぞ」
「あー、多分再び4人揃うのに時間がかかると思うから、ラバーズにライヴの日程は入れられないなって。悪いな」
「ああ、それくらい気にすんなって。じっくりやりゃいい」
 適当に誤魔化すと、マスターは疑いもなく笑ってくれた。本当の事を打ち明けたら、とんでもない事になりそうだ。遠くのライヴハウスに警察が連中を捕まえるために聞き込みに訪れてる事くらいは小耳に挟んでるかも知れないけど、被害者が千夜とはまだ知らない。
「そういやこないだ新しいエレキ買ったんだが、お古いるか?お前まだイッコーの借り物使ってるだろ」
「え……ああ、俺、自分用のギター貰ったから」
「あ、そうなん?そりゃ良かったじゃねーか。誰に貰ったんだ?」
「秘密」
「ったく、たそも隅に置けねーなあ」
 勘違いでもないけど、まあいい。溢歌の事を一々説明するのも面倒だし。
「じゃあ、今度持って来てくれよ。どんなんか見てみたいからさ」
「まだ、バンドのメンバーにも見せてないし……次のライヴの時には、使うよ」
「何だ、もったいぶらせやがって」
 マスターがじれったそうに笑い飛ばす。俺もまだ、アンプに繋げた時の音は聞いてない。一体どんな音色を奏でるのか、不安でもあり、楽しみでもある。
「愁ちゃんにフラれたからって正月早々ジメジメした面するなよ?」
 俺の方から全然口を開かないんで、マスターが余計なお世話で元気づけてくる。
「振られた、というか、まあ、色々あったんで……。あんまり詮索しないでくれ」
 誰に話しても100%俺が悪いって言われるに決まってるのに、口にする真似はしない。
「黄昏くん、彼女に振られたの?」
 助手席に座っている受付の井上さんが首を捻って俺の顔を覗き込む。
「何と言うか……そういう事でいいです。正月は独り身だし」
「お?何ならラバーズに泊まってくか?仮眠室くらいなら正月空いてるぞ」
「勘弁してくれ……」
 横から変な誘いをしないでくれ、マスター。冗談に聞こえないのが困りものだ。
「自分が悪いと思ってるなら、後でちゃんと謝っておかなきゃダメだよ?」
「わかってます」
「ここのマスターも色んなヒト引っかけてるもんね、仕事中に」
「ホント勘弁してくださいよ、客ナンパすんの。わざわざ仕事着から着替えたりして」
「うるせー、酒と美人は人生の花だろーが」
 井上さんやスタッフに突っ込まれて厄介そうに答えるマスター。
「ん、まー、その、アレだ。黄昏なんて俺の人生の半分も生きてない青二才だし、色々恋愛経験を積んでおくのも修行の内ってモンよ」
 大勢の女性と付き合う事が人生経験になるのか?一途に誰かを想い続ける事も正しいような気もするけど、愁に酷い目に遭わせてしまった俺が言える立場じゃないな。
「一人でいる方が、ずっと楽だ」
 怠惰だろうが平穏に似た、変わらない日々を送るだけならそれでいいんだろう。ただ俺は、もうあの部屋から外に出てしまったから。そこで、愁や溢歌と出会ってしまったから。その中で得たものを捨て去るなんて真似、到底できない。
「そうは言うがな、こーやって気の知れた奴とドライブするのも楽しいんだぞ?」
「ドライブって……マスター、さっきから気になってたんだけど寄り道してない?」
「バレたか。一直線で店に戻るのもつまらねえしな。道も空いてるだろ」
 指摘してきた井上さんに舌を出して笑ってみせると、大きく溜め息をつかれた。彼女もマスターの性格を解ってるみたいだ。
 大きな水海の交差点で長い信号待ちをする。年越しの深夜でもあるし、車の数は少ない。
「マスターってあんまり、店長って感じがしないよな」
「うん?まー、バイトの連中によく言われるな」
 気に留めていた感想を漏らすと、マスターは首をマッサージしながら言った。
「でもしっかり者だからね。怒ると物凄く怖いんだよ。その10分後には、平気で怒った相手とも笑ってたりするんだけど」
 隣のスタッフが俺に告げ口する。マスターがそのスタッフを睨みつけて顔が引きつるのを見て、一笑した。信号が青に変わり、交差点を越える。
「物事覚えさせるには間違った時に怒るのが一番効果的だからな。俺だって怒りたくて怒ってるワケじゃないぞ」
『嘘だ、絶対嘘だ』
 俺達3人の声がハモった。予想外だったのか、目を丸くするマスター。
「あー、ま、仕事だからな。金のかかる事ぐらいはきちんとやってくれねえと、こっちもそれ相応の対価は払えないってワケだ。決めるトコをビシッ!っと決めてくれりゃ、後はどれだけ笑ってようが、気抜いてようが構わんさ。足でコード引っかけなけりゃな」
 どうやらそれがマスターの美学らしい。俺には少し窮屈だと感じてしまったのは、きっと俺が自発的じゃないと動こうとしない人間だからなんだろう。
「もちろん、お前のバンドがうちのレーベルと契約してくれた時にも、ビッシビシ行くからな、ビッシビシ」
「マスター、ビビらせるような事言わない」
 誰かの物真似みたいな口調で脅すマスターを、井上さんがたしなめる。今度バンドがどうなるかはわからないけど、ちょっとは覚悟しておく事にした。
「くぁ……眠い。俺、ちょっと寝ていいかな」
「もうそろそろ店に着くから、仮眠室で寝とけ。初日の出観に行く時間に起こしちゃる」
「悪い……」
 この後マスター達と一緒に行くかどうかは別として、このまま一人家に戻れば、絶対に寝過ごしてしまう気がしたのでお言葉に甘えさせて貰う事にした。今もやってる年越しライヴを観る気も参加する気もないけど、人のいる所に来ると不安な思いに苛まれずに済む。
 眠い目を擦りながら、初日の出に何を願おうか、そんな事を考えていた。


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