→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第3巻

   072.奇妙な夜

 少しばかり眠ってたのか、目が覚めてからベッドの上で横になってることに気付いた。
 そうだ、千夜は?
 慌てて上体を起こして部屋を見回すと、いない。台所のほうへ行ってみると、俺が寝てる間に押入から引っ張り出してた毛布を被って、テーブルの上に突っ伏してた。寝てるのかと思って近づいてみると、俺の足音に気付いたのかこっちに体を向けて、次の瞬間飛び起きた。椅子がガタガタなってそのままずり落ちそうになる。
「ああ、悪い、起こしちまった。というか俺、おまえほったらかしで寝てたみたいだな……胃袋に飯が入ったせいで眠気が来てたのかな」
 とりあえず何か飲もうと、やかんに水を入れて沸かし始める。テーブルの上に置きっぱなしだった俺の携帯で時計を確認すると、すっかり夜になってた。
「おまえ体冷えてたのに、毛布一枚で大丈夫なのか?部屋の暖房すらつけるの忘れてたな…どれどれ」
「さ、触るなっ!」
 熱を測ろうと額に手を持って行ったら、千夜に裏返った声で拒絶されてしまった。もはや男アレルギーの域まで達してる。一々文句を言っても始まらないので、ため息をついてエアコンの暖房を入れに行く。戻ってくると千夜は仮眠してる間に外していた眼鏡をかけ直していた。
「何か食うか?即席の味噌汁くらいならあるぞ」
「……いらない」
 千夜が俺の気遣いを拒否した瞬間、腹の虫が大きく鳴った。真っ赤な顔で俯く仕草がおかしい。俺は何も言わず、2人分の味噌汁と冷凍うどんを用意してやった。釜玉うどんくらいならすぐにできるので、何か口の中に放りこみたい時には重宝する。
 10分もかからずに夜食ができあがって、千夜の分と一緒にテーブルに持っていく。
「どうせ家を飛び出してから、何にも食ってなかったんだろ。明日の分も腹に入れとけ。それ食ったらベッド貸してやるから、悩みを忘れるくらいまで寝ろ。あと、礼はいいからいただきますくらいは言え」
「……いただきます」
 俺のおもてなしに千夜は困った顔を見せてたけど、箸を手に取って両手を合わせて出された食事を口にした。食べてる間は何も話してこなかったけど、俺も特に気の利いた話題がすぐに浮かんでくるわけでもなかったので、無視して自分の分を胃の中に平らげた。
「歯磨くくらいは……愁の奴の使ってない物があったはずだ」
 洗面台隣の小物入れを漁ると新品の歯ブラシが出てくる。台所に戻って千夜に渡して、一足先に俺も歯を軽く磨いておいた。食べたすぐ後で歯磨き粉をつけると戻しそうになるので、空磨きで。終わった俺と入れ替わるように、千夜も洗面台へ行った。
 この相手に気遣う感じは悪くない。早く溢歌に戻ってきてくれて、こうした時間を共有したいもんだ。何が悲しくて千夜と寝泊まりしなきゃならないのか。
 イッコーとキュウに連絡だけでも入れておこうかと思ったけど、面倒だし終わってから後で説明したほうが楽だ。ともかく今の千夜はひ弱かつ情緒不安定なので、余計な真似をしないようにしておこう。
「とりあえず、部屋でくつろげよ。座布団並べて横になるだけでも気分は楽だろ」
 と誘っても俺が中にいたら抵抗されるので、台所でのんびりしてる。千夜は戸惑った表情で断ろうとしてたけど、俺の気持ちを汲み取ったのかお言葉に甘えた。
 暖房で室内温度も上がってきて、いい感じにリラックスしてきた。起きたばかりだけど腹に物を入れたのですぐに眠気がやってくる。しょうが湯を飲むかと声をかけると、小さな返事があったので愁のマグカップに入れて差し出してやった。部屋の前に座布団を敷いて、そこで俺の手から受け取る。距離としてはさほど離れてないけど自室と台所の違いなだけで、千夜としては安心するようだ。
 とは言え、家の主の俺が自分の部屋を追い出されたままなのは少し癪に障る。中身を飲み干したコップを受け取って、流し台に放りこんでから用を足しに行くと、俺とすれ違いで千夜もトイレに入った。その間に軽く皿を洗っておいて、戻ってきた千夜が部屋に入る前に俺も並んで引き上げると、隣にいる俺に驚いて大きく後ずさった。
「……あのな、気持ちはわかるけどそんなリアクション見せられると俺としても傷つくぞ」
「わ、悪い……」
 ため息をついて、先に部屋に入ってベッドの上に体を投げ出す。端に寄って千夜の方を振り返ると、固まったまま部屋の前でおどおどしていた。
「だ、駄目だ……いい!私はこっちで寝る」
 想像以上に抵抗があったのか、変な汗をかいてる千夜は真っ赤な顔で台所へ逃げて行く。
「バカ、お客さんにそんな真似できるか。いいからこっち来い」
「いやだ、やめっ……!」
 しょうがないのでベッドから抜け出し台所に向かって、千夜の腕を掴んで引っ張る。するとテーブルに手をついて全力で抵抗されてしまうものの、貧弱とは言え男の俺のほうが力は強い。部屋の中まで引っ張ってきて、ベッドの上に千夜を放り投げた。小さく悲鳴をあげる千夜を無視して、俺もベッドの隅に寝転がって背中を向ける。
「部屋の扉も閉めなくても電気もつけたままでいいから、疲れてるんだからとにかく布団の上でぐっすり寝ろ。俺ももう寝る」
 手を出すつもりはないことを態度で示すと、ようやく俺のぶしつけな親切心を理解したのか千夜も暴れることなく、ベッドに横になった。もちろん毛布は別々だ。
「フェミニストならここで男のほうが台所や床で寝るってのがセオリーなんだろうけど、あいにく俺も喉の調子が悪いから、暖かくして寝ないとやばいんだ。かと言っておまえに風邪を引かせるわけにもいかないしな。ずぶ濡れで体冷えてたんだし」
 背中を向けたまま千夜に声をかける。濡れタオルを用意するのを忘れてたけど、今更仕度してベッドの上の千夜を脅えさせるわけにもいかない。扉も開けてるしそれほど乾燥しないだろうと勝手に決めつけて、不貞寝する。
「喉、大丈夫なのか……?」
 恐る恐る尋ねてくる千夜に、ぶっきらぼうに返事する。
「ただの風邪の引きかけなだけだよ。録音に差し支えがあるといけないし、練習しとかないと声の張りがなくなるしな。こうして長々と人前で喋るのも久しぶりなんだ、せっかく泊めてやるんだから、俺の体もいたわってくれ」
「すまない……」
 何度も何度も気弱な声で謝られるとこっちの調子が狂う。今日のこと自体、早いうちに忘れてしまおう。あまりにイレギュラー過ぎて途中から今日の予定がパーだ。
「心配するな、手を出すなんて真似はしないから」
 緊張をほぐしてやるために言ったつもりだけど、実際のところ効果はあるのか。男の匂いの染みついたベッドの上で、毛布は違うと言ってもすぐそばで眠るなんて劇薬以上の何物でもない。それでもこれ以上暴れないだけで、千夜も十分頑張ってると思う。
「おまえは美人だと思うし、俺に誰も恋人とかいなかったらまた違うのかもしれないけど、元々おまえのことを女として見てなかったしな。それに、俺はおまえが嫌いだ」
 フォローのつもりで言ったものの、逆効果にしかなってない気がしなくもない。気まずい空気のまま次のフォローを考えてると、千夜が後で大きなため息をついた。
「やっぱり私は、嫌われ者か……」
 諦めに似た口調で呟かれて、つい寝返りを打って反論してしまう。
「そういう意味で言ったんじゃなくてだな……」
 かと言って、じゃあどういう意味なのかと上手く説明しようがない。実際苦手だし、バンドの仲間でもない限りあまり一緒にいたくないタイプだ。反りが合わなさすぎる。
「いい。最初から私は、誰かに好かれようと思って生きていない」
 千夜は天井の明かりを見上げたまま、悟りを開いたような語り口をする。
「いや……両親にだけは、好かれたいと今でも……」
 見開かれた目は悔しさに歪んで、目尻を伝って涙がシーツを濡らす。俺は小さくため息をついて、千夜のかけたままの黒縁眼鏡を取ってやった。
「人づき合いのほとんどない俺が言うのも何だけどな」
 眼鏡を渡して、寝返りを打ち直して背中を向ける。
「他人の手を払ったり自分から他人に手を差し伸べないとそういうのってうまくいかないものなんじゃないのか?好き好んで自分から嫌われ者になってるんならそれでいいけど」
 忠告のつもりで言ってみるものの、余計なおせっかいか。そんなの本人が一番理解してるだろうし。
「私は――何も他人に好かれようと思って音楽を続けてきた訳じゃ無い」
 千夜は悲壮感漂う声で、しかしはっきりと言った。
「ただ、何かに打ち込む事で、本来の自分を忘れたかっただけ。生まれもあって、他人より少しだけ音楽への習熟が早かったから、それを選んで、忙しさの中に自分の身を置いただけ。そうする事で、見たくないものに蓋をする事が出来たから……」
 見たくないものとは、家庭環境のことだろうか、それとも襲われたことだろうか。
「ドラムを叩く時の外見も、作り物。ああでもしないと、私は人前に立てなくなってしまった。……本当なら、音楽なんてやらずに、ずっと引き籠もっていれば良かった。でも私はまだ、一人の人間で有り続けていたかったから。……もう、私の女としての尊厳は、どこにもないけれど」
 着飾って、強く自立した偽りの自分を演じ続けることがきっと千夜にとっての残されたプライドだったんだ。そう考えるとひどく悲しい気がした。そうでもしないと自分を保ち続けることができなかったに違いない。
 その唯一の拠り所を砕いた連中に、仲間の俺は心から腹が立つ。
「私にはもう、生きる価値が無い――」
 か細い声で呟く千夜の声に、生きることへ渇望する気力は宿っていなかった。
 こんな時俺はなんて言えばいいんだろう。どんな慰めの言葉をかけても霧散してしまいそうで、千夜を助けてやることが俺にできるんだろうか?
 恋人でもない相手だし、溢歌のように抱き締めてやることもできない。異性の仲間という存在がとてももどかしく、考えたところでしょうがないので出たとこ勝負で行った。
「自分の価値なんて自分で決めるなよ」
 上体を起こして、仰向けで広い天井を見上げたまま呆然としてる千夜に言う。
「俺なんてその千夜が言う、人間であり続けられなかった引き籠もり状態を何年も続けてたんだぞ。今も大して変わってないしな……。全然自慢にならないな」
 慰めるどころか自分の話を晒してるだけで、苦笑してしまう。
「他人に邪魔されて全てが崩れてしまうほど、おまえって弱い人間なのか?悔しくないのか?もう一度やり直そうとか思わないのか?」
 少なくとも俺の知ってる千夜は、そんな弱音を吐く奴じゃない。そこまで言おうとしたけど、さすがにこっ恥ずかしくて無理だった。ダメだ、愁や溢歌相手なら気軽に言える言葉でも、千夜相手にかけることができない。初めての経験で、俺も戸惑った。
「やり直す……無理だ、そんな事。私はもう、誰かに恨まれて傷つけられたくない……」
 生気のない顔をした千夜は震える声で唇を噛みしめた。その泣きそうな表情を見て、千夜のずっと抱えてた気持ちがようやくわかった気がした。
 きっと千夜は、他人に認めてもらいたかったんだ、自分の存在を。
 恨まれるほどに完璧主義だったのも、その裏返しなんだ。結果的にそれが他人から反感を買うことになるんだから、皮肉にもほどがある。
 自分を保つ術を失ってしまった千夜に、何か新しいきっかけを与えられるだろうか?
「別に同じことをやれって言ってるわけじゃない。自分自身を肯定できる方法は、もっと他にもあるはずだ。たとえ、生き甲斐が音楽しかなかったとしてもだ。別に俺もバンドをずっとやり続けてくれなんて、そんな無茶をおまえには言えない。俺だってバンドを抜け出して、青空達に迷惑かけてきたし。でも、またドラムを叩くことで、また新しい礎が築ければいいんじゃないか?言ってて凄く、調子のいい話だと自分でもわかってるけど」
 俺は遠回しに千夜を求めた。自分達の描くものを産み出すための一つのピースとして。演奏の上手さとか見てくれなんて関係ない。俺達のバンドにこいつが本当に必要なんだと、今になって心の底から思えたのが笑える話だ。
「――黄昏は」
 千夜は初めて俺の目を見て、訊いてくる。
「黄昏は、本当に私なんかを必要としているの?」
 まるで捨てられた子犬みたいな眼差しで見つめてくるんで、思わず背筋がぞわぞわするほど恥ずかしくなってしまった。
「そりゃ、大切な仲間だからな」
 こんなセリフ、直視して言えるか。溢歌を目の前にしてもならなかったほどのこっ恥ずかしさで、耳の先まで熱を帯びて真っ赤になってる自分がわかる。まさか千夜相手にこんなことを言うハメになるなんて、かえって俺のプライドが崩壊しそうだ。
「その、性格とか、気に食わない部分はあるけど、今詳しく喋って傷ついてるおまえを責めるつもりもない。おまえも俺の気に食わない部分もたくさんあるだろうし。でも暴露合戦でおまえの気晴らしにつき合うつもりもない。そんなことしたらむしろこっちのほうがへこんでしまいそうだ」
 千夜が俺にどれだけ深い根を持ってるのかなんて、いくらでも想像できる。こいつをマジ切れさせたことなんて、それこそ両手じゃ数え切れない。そのほとんどが俺のわがままだってことも十二分に理解してるから、恨みを買ってるに決まってる。
 でも誰にも恨まれたくないと言ってる奴が他人を恨んでるなんて、逆説的で少しおかしい。ひたすら苦笑いを浮かべてる俺の顔を見て、ようやく千夜は小さな微笑みを浮かべた。
「くしゅん」
 いい気分になったと思ったところで、千夜が可愛らしいくしゃみを上げる。部屋の扉を開けてるせいで、いつもより室温が上がってないから寒く感じるのはしょうがない。
「深夜だとさすがに冷えるか。もう少しエアコンの温度上げるか?」
「うん……」
 千夜は弱々しい声で答えて肩まで毛布に埋まる。その仕草があんまりに女の子で、思わずぐらっと来たのは単なる心の迷いと受け取ることにした。これぐらいいつもしおらしいほうが、俺としてももうちょっとバンドでやる気になるのかも。
「ちょっと額貸してみろ」
 言ってからさっき全力で断られたことを思い出して、まじまじと自分の広げた手を見つめる。千夜も逃げ出す様子も見せずにじっとしてたので、ゆっくりと額に手を伸ばして触れてみた。びくっと体が跳ねるけど声を堪えて我慢してる時点で、俺のことを多少は信頼してくれてるんだろう。それだけで俺としても気が楽になった。
 あんまり他人の体温なんて測ったことはないけど、かなり熱い気がする。今度体温計ぐらい買っておかないといけないな。
「おまえ、熱出てないか?薬でも飲んでおいた方がいいか」
「いい……そこまで気を遣って貰わなくても、いい」
「あのな……」
 寝返りで顔を背ける自虐的な千夜を見て、もう文句を言うのも呆れた。とりあえず一旦布団から出て、台所に薬と濡れタオルを用意しに行く。お盆に沸かしたお湯と濡れタオルを乗せて部屋に戻って、千夜に呼びかける。黙って薬を飲んでる間に、俺はエアコンで室温を調整して濡れタオルを扉の取っ手にかけた。嗚呼、来月の電気代を想像したくもない。
 お盆を片づけて部屋に戻ると、千夜は背を向けて横になっていた。薬も飲んだことだし、もう余計な悩みも打ち明けずに寝てくれるだろう。むしろ相手にしてる俺のほうがひどく気苦労が多くて、思わず大きなあくびが出てしまった。
 ベッドに戻って布団を被る。室温が上がったおかげか、寒く感じることはない。 千夜の愚痴は明日起きてからまた聞いてやろう。
「どうして私を襲ったりしない?」
 やっとこさ夢うつつになってきたところに、千夜の声が飛んできて目が覚めた。
「私の事が嫌いなら、手を出しても構わないのに。今の私に抵抗する力も気持ちも無い。あの男達みたいに、組み敷いてしまえばいいのに」
「あのな……」
 俺は大きくため息をついて、寝返りを打った。千夜のストレートな髪の後頭部に軽くげんこつを入れてやると、びっくりした様子で振り返る。
「いきなり何言い出すんだおまえは。さっきから余計なこと考えすぎだぞちょっと。どんだけ自虐的なんだ。そんなこと、オープンなキュウですら口走らないぞ、ったく」
 また汚されたからもう何されても構わないなんて破滅的な考えだと、治るものも治らない。そんな女に喜ぶ男もいるんだろうけど、被害者の千夜がそこまで堕ちることはない。
「それに、女とやりたいだけのあいつらと一緒にするなよ。反吐が出る」
 俺自身、愁と溢歌を天秤にかけるような一途でない性格をしてるので聖人とも思ってないけど、誰でもいいだなんて意識もない。普段は性欲なんてほとんど感じてないというか、それ以上に考えることが多すぎて生きるだけでも大変だ。
「男なんて、みんな同じ」
 俺から目を背けたまま、吐き捨てるように千夜が言う。
「私に向ける視線は、どこか恨めしく、私の体を狙ってる。相手の頭の中で自分がどんな姿にされているか、想像すらしたくもない」
 その感覚は男の俺には想像すらつかなかった。ずいぶん前に青空達と女性の興味について話し合ったことがあったけど、千夜が言うようなことすら考えたこともない俺はよっぽど異端なんだろうか。そもそも欲情するという意識も、下心から来るものだと思う。そりゃ俺も男だから、女性のきわどい格好に自然と目が行くことなんて普通にあるけども。
「青空もイッコーも、時折私に性的な目を向ける。……私の体が欲しいのなら、好きにすればいい。おまえもそんな目で私を、心のどこかで見てるんだろう?」
 哀れみを含んだ目を向けられて、俺は大きく肩でため息をついて頭を掻きむしった。
「そのセリフ、イッコーや青空にも言うつもりかおまえは……。そんなに男が欲しいのか?第一おまえ、恋愛とかしたことあるのか?好きな相手に体を許したこととか」
 俺の質問に、千夜は何も答えず視線を逸らす。そのまま千夜の答えを待ってると、堪えきれなくなったのか寝返りを打って、聞き取れないほどの小声で答えた。
「……無い」
 当然か。そりゃこんな性格してれば、まともな恋愛経験なんて襲われて意識が変わる以前でも考えられない。男の一面しか知ってないのは、とても悲しいことだと思った。
「きっ、訊くなっ!そんな事、面と向かって女の私に訊くなっ!!」
 恥ずかしすぎるのか、頭まで毛布に埋まって大声で千夜が喚く。
「おまえさっきからおかしいぞ。もう少し頭を冷やしてから喋れ」
 ぶしつけに無茶な質問をした俺も悪いけど、極論すぎる意見にうんざりする。千夜の受けた苦しみからすれば当然とは言え、自分が歪みすぎてることに気付いてないのか。
「そりゃ異性からの目線にそういうのがないって言えば嘘になるだろ。俺だってステージに立ってる時、客席の子の視線が気になることはあるぞ。そういうのに一々過剰反応していてもしょうがないだろ、特に同じバンドの連中には」
 それが嫌ならガールズバンドでも組んでればいい。かえって客の目線がひどいことになりそうな気もしなくもないけど。人前で見せるロックをやる以上、それはどうしても避けられない道だ。また違った音楽ジャンルを求めれば、問題ないのかもしれない。
「それともおまえは、誰かに求められたいのか?自分を認める相手に抱かれたいとか、そういう気持ちがあるのか?俺やイッコーや青空を、そういう目線で見てたってのか?」
「そんな事は一度も無い!!……無い……はず……」
 毛布から飛び出して凄い剣幕で怒鳴ったと思ったら、途端にしおらしくなった。きっと自分自身でもわからないんだろう。本心でそう思ってなくても、今の自分の意識が正しいのかさえも判断がつかなくなってるように見える。
 今の俺が千夜にできることは、まともな判断と考えができるように誘導してやることだと思った。
「でも今の私は、誰でもいいから助けて欲しいと思っている。だから自分を知っている人の場所を探し回った。何でもいい、安らぐ気持ちが欲しくて――」
 千夜の言葉を遮って、布団ごと体に手を伸ばすと大きく身をよじって逃げようとする。
「何を、何をするっ!?」
「あのな、誘ってたのはそっちのくせに全力で逃げるなよ」
 ため息混じりに答えると、千夜は泣く泣く抵抗を止めた。それでも男達に襲われた苦い記憶が脳裏に甦ってるのか、真っ青な顔で歯を慣らして目を見開いてる。俺は千夜の毛布に潜って、なるべく覆い被さらない形で抱き締めてやった。
「あ、ぐ……」
 言葉にならない苦しい声が千夜の唇から漏れる。男に抱きつかれて暴れ出さないのは、俺を信頼してるからだろう。とは言え、言葉ではプライドを放棄したつもりでも、現実には悲鳴を上げそうなほど苦しい姿をしてるのが今の千夜だ。そんな自分自身を教えてやれるだけでも、多少は薬になるか。
「無理するなよ。体の傷は癒えてるみたいだけど、心の方はさっぱりじゃないか。できもしないことを言って俺をからかうのは止めろ」
「私は別に、からかうつもりなんか――」
 かなりの荒療治になるけど、直接教えこんだほうが早い。
「ちょっと我慢しろよ」
「ひっ……!」
 千夜の股ぐらにパジャマの上から手を伸ばすと、千夜は反射的に引きつった声を上げて両手で遮ろうとする。
「大丈夫、撫でるだけだ。力抜いて、俺に任せとけ。酷いことはしないから」
「っ」
 性器の場所を探り当てて、上から優しく愛撫してやる。パジャマはそれほど分厚くないから、突起の場所くらいは楽に見つかった。もちろん、このまま襲いかかって挿入まで行こうだなんて思ってない。それを目線で知らせようと相手の顔をずっと見つめてると、混乱して視線の泳いでた千夜も俺の意図を多少理解したのか、震える両手を胸に当てて必死に逃げたい衝動を堪えていた。
「あああああっ!?」
「辛いなら辛いって言えよ。無理しても始まらないんだからな」
 弱い部分に刺激が走ったのか、裏返った声を上げて背中を反らせる千夜。俺の言葉に   唇を噛みしめて頷く。大きな目には涙を浮かべていた。
 可愛いじゃないか。
 千夜を襲った男達がこの表情を奪っていたのだと思うと、腹が立った。男は女にこうやって優しくしてあげることができるのに。
「そっ……こ、はっ……!」
 布一枚が邪魔なので、一旦愛撫を止めてパジャマの中に手を突っ込んだ。俺の予想外の行動に千夜は俺の体をどけようと両手で抵抗するけど、構わず指先を動かす。不意の快感に両手の力が弛んで、その隙に俺は千夜を絶頂に導こうとありったけのテクニックを使う。
「ぁ――」
 涙の零れる千夜の口から短い吐息が漏れて、全身の力が抜ける。絶頂に達したことを確認すると、俺は手を放して自分の布団を被り直した。
「悪い、結果的に酷いことになってしまったみたいだ」
 男と女が肌を重ね合うってのはこういうことだと俺なりに教えてやったつもりだけど、伝わっただろうか。千夜のこれまでの体験だと、男に乱暴された記憶しかないはずだから、俺と愁が愛し合ったようなセックスを誰かが教えてやれれば一番いいんだろうけど。
 でも、その役目は俺じゃない。ぼんやりと空虚な顔で俺を見つめる髪のかかった千夜の表情を見てると愛くるしい気持ちが沸いてくるものの、行為の最中でも自分の男の部分は全く反応してなかった。もうちょっと貪欲になってもいいんじゃないかと一人で苦笑する。
「自分を慰めてくれるいい相手を見つければ、きっと今の苦難も克服できるさ。それをするのは俺の役目じゃない。青空やイッコーにこだわる必要もないし――焦る必要もない。ただ、男は女を痛めつけるだけの存在じゃないってことだけがわかれば、それでいい」
 つまり、言いたいことはこれだ。
「結局、一緒にいる俺達男連中とこれまでと変わらないように接してくれってことさ。千夜は千夜だ。今は笑ってしまうくらいへこんでるけど、俺は元に戻ってまたいつものように怒鳴ってくれるのを願ってる。もちろん、周りのみんなも同じだ。まあ、俺個人に関しちゃ信頼してくれなんていけないけどな、いつまた逃げ出すかもわからないし」
 こうやって話すことで、何だか自分自身を縛り付けてる気もしなくもない。それでも千夜が元気になってくれればそれに越したことはない。元気になりすぎて怒鳴られまくるのもまたそれはそれで勘弁して欲しいけど。
「じゃあ、俺は寝る。柄にもないことをしすぎた」
 冷静に今の自分を振り返ると、顔から火が出そうになる。ベッドの隅に逃げて、千夜に背を向けて寝返りを打った。これ以上余計なことを考えずにいようと思ってると、やり遂げた感からか一気に疲れが襲ってきて急速に夢の中に落ちて行った。
 翌朝。
 千夜は多少元気を取り戻していて、愁の着替えを借りて早めに帰宅した。洗濯した服は後でキュウに回収してもらうことにしておいた。
 もちろん、昨夜のベッドの中であったことは、俺も千夜も一言も話題に出さなかった。今後両者とも二度と口にすることはないだろう。妙な秘密の体験を共有してしまって、千夜との距離が縮まった気がした。
 これで一日でも早く千夜が復帰してくれればと願って、今日も俺は歌の練習に励む。


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