→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第3巻

   073.スイッチオーバー

 気付けば一月も終わろうとしてる。月日の経つのは早い。
「どう?喉の調子は?」
 隣のパイプ椅子に座ってるキュウが声をかけてくる。まあまあと言葉を返して、イッコーと青空が入ってるスタジオの分厚い扉を眺める。今は青空のギターを録音してるとこだ。入ってるスタジオはおやっさんのところ。平日の昼間を選んでるのは、安くて済むから。
「それでおまえ学校はどうした」
 キュウは私服で、俺達の録音に付き添ってる。
「午後は切り上げてきたのよ。学校なんて、進級さえできればいいのよ」
「極論だな」
 つい苦笑してしまう。俺だって高校を中退してるから、深く追求できる立場にない。
「アッチのスタジオと違って、中が見えないのが困るわね、ココ」
 おやっさんのスタジオは受付と休憩室を兼ねた少し広めのロビーと、奥に狭い部屋が二つしかない。青空がバイトしてるところと違ってガラス戸がないので、休憩室から中は覗けない。何でわざわざ部屋の外に出てるのかというと、俺が風邪を引いてしまったからだ。
「キツい?」
 今日何度目かわからない咳をする俺を、キュウが心配そうな目で見つめる。
「弱音吐いてばかりもいられないだろ」
 強がってみせるものの、こんな状態じゃまともに歌録りなんてできるはずもない。
 その代わり、溢歌にもらったギターを持ってきた。だけど、練習なんてほとんどしてない。ケースを開けて手に持つだけでもおこがましいような、神秘的な雰囲気を感じる。
 一応この後弾いてみるものの、まともに使えるようなテイクは生まれないだろう。今日はお披露目と言ったところか。
「あんまり練習しすぎないでね。本番で声が出ないなんて勘弁してよ」
「言われなくてもわかってる」
 低い声で言葉を返す。普段話すのさえ気にかけるようになるくらい、喉の違和感は日増しに強くなってる感じがする。早いとこ風邪を治して歌えるようにならないと。一人意気込んでみるものの、隣のキュウは不安そうな顔で俺を見てた。
「そう言えばCDのジャケットどうする気?みょーちんに頼むワケにもいかないでしょ」
「あ」
 キュウに指摘されて、大事なことを思い出した。前にテープに曲を録った時には、青空がみょーに頼んで描いてもらった。だけど愁があんなことになった今となっては、また頼むだなんて真似はできそうにないし、引き受けてくれるはずもないだろう。
 落ち着いて考えてみると、結構重大な問題な気がした。
「無理して絵にこだわる必要もないと思うけどな。俺達4人の手取り写真でもいいわけだし。俺自身は特に要望なんてないから、おまえ達が決めてくれればどうでもいい」
 そりゃみょーが描いた岩の絡まった鎖の絵を使えればそれに越したことはないけど、見る度に愁のことを思い出してしまいそうで、少し勘弁な気分だ。自分への戒めとしては、最適なのかもしれないけども。
「そうね、考えとくわ。マスターにも訊いとく」
「いや、マスターはいい」
 昔のクリスマスライヴの時に常人には理解不能なセンスのポスターを自作してたことを思い出して、萎えてしまう。
「正直なところ、マスターに頼りたくなかったんだけどな」
 この前のバンドのメンバーとラバーズのマスターとの話し合いで、今作ってるアルバムをマスターの運営してるレーベルで行うことが正式に決まった。
 100%自主制作じゃなく、インディーズの形になるわけだ。その分スタジオに入る費用はあっち持ちになったので、次のライヴの見通しが立たずにバンドの収入がない状態の俺達にはとてもありがたかった。
 まあ俺に関しては儲けがどうとかあんまり興味がない。別に無限に金を持ってるわけでもなくて親の遺産を囓ってるだけの俺も生き抜くためには真剣に考えなきゃいけない問題なんだけど、将来の見通しどころか人生の一月先さえまともに考えられない俺にとっては後回しの問題だ。青空やイッコーは機材の買える分が増えたと素直に喜んでた。
 俺はマスターに期待されるほどの力量があるのかどうか自分じゃよくわからないし、音楽に骨を埋めていく覚悟とか言われてもピンと来ない部分がある。
「そもそも千夜すらどうなるかわからないのに、よくマスターが受けてくれたもんだ」
 青空がバンドでCDを作る話をマスターにしたら、是非と言うことで結局ゴリ押しに近い形で決まってしまった。万が一千夜が叩けなくてCDが形にならなかった場合は、スタジオ代を全額俺達持ちということで、特に違約金なんかもつけてくれないのはマスターの最大級の温情だと思う。
「CDのみの契約だもの。給料が出る事務所所属でもないしね」
 キュウがその時のメモをバッグから取り出して呟く。マスターとしては近県のツアーみたいなのもやってみたい気持ちがあるらしいけど、そんなの今のバンドの状態で軽々しく受けられない。
「完成したら記念ライヴをラバーズでやるってことだけだな、決まったの」
 普段よりライヴの取り分は少ないけど、公演代は向こう持ちなので結果的にはいつもより収入も増えるみたいだ。何にしろ4人でライヴを行えないことには話にならないか。
「せっかくだから、録音するのもマスターの薦めるスタジオ使えばよかったのに。ここより広くて機材もいいんでしょ?」
 キュウが心にもないことを言う。俺自体、ここにいい思い出はあまりないけど。千夜に殴られたり解散騒動を起こしたり、前に千夜が襲われたのもここだから。
「だけど青空がよく利用してるスタジオだしな。頼むのも気心が知れた相手の方がいいし、おやっさんは親身になってサポートしてくれてる。千夜への罪滅ぼしでもあるんだろうな」
 事件のせいで、ここのところ客足が遠のいてるのも実情らしい。なら常連の俺達がスタジオに入ってやらないとどうするって思いも青空にはあるみたいだ。俺としては自分の歌のことで頭が一杯なので、場所がどこだろうと全然関係ない。
「おねーさま、戻ってこれるのかしら……」
 千夜の話題になると、キュウの表情はいつも一気に曇る。退院してからは顔を合わせる機会がないので、とても不安で寂しいみたいだ。 
「そればっかりは本人次第だ。一応ハッパはかけてやったさ」
「たそだけずるいわよ。おねーさまとこっそり会ってるなんて」
「誤解されるような人聞きの悪いこと言うな。捨てられた子猫状態なのを拾っただけだ」
 あの後キュウを呼び出して、千夜の置いていった洗濯物を渡した時には背後で落雷が落ちてそうなほどショックをキュウは受けてた。半分本気で泣かれた時にはどうしようかと思ったもんだ。説明したらわかってくれたものの、
「ああ〜そんな状態のおねーさまをアタシも拾ってみたいわぁ〜」
……だなんて言ってくれてるんだから始末に負えない。
「ひどく落ち込んでたところを元気づけただけで、余計なことは言ってないって。あいつも今物凄く大変なんだろうけど、俺達はまたバンドに戻ってくることを待ってるって、ちゃんと伝えた。何度目だこの話」
 何度言ってもちゃんと理解してくれてるのかこの女はよくわからない。ともかく千夜に関してはまた元気を取り戻して復帰してくれることを待ち続けるしかない。今は自分にできることを全力でやるだけだ。
 持参してる真っ黒なのど飴を口に放り込む。最近喉の痛みに効くものばかり色々な種類の物を買ってて、何だかプチ健康オタクみたいになってる俺。
「……何だかたそって、物凄く前を向いてるよね。何かあったの?」
「別に……こうでもしないと、俺が俺でいられなくなる気がしてな。愁にだって、いつか謝らなくちゃいけないし。せめて自分のことだけは責任を持とうって思えるようになった」
 俺がしっかりしなきゃ千夜にも示しがつかないし、愁を振ってしまった自分も否定してしまうことになりそうな気がする。そばに溢歌がいなくても、あいつに歌を届けられるような姿勢でいつもいたい。だからこそ今の喉の調子が歯がゆく思う。
「大人ねぇ……」
 何しみじみ呟いてるんだそこ。
「何もかもほっぽり出して、逃げる余裕すらないってことだよ。でもまだ、覚悟が足りてないんだろうな。本気で自覚してるなら、こうやって俺がひどい風邪を引くこともなかっただろ」
「それもそうよね」
 素直に納得されても癪に障る。
「もどかしい気持ちはあるさ。でもこの後、ちゃんと遅れた分は取り返す。せっかくイッコーと青空が全力で気合の入った音を奏でてくれてるのに、俺一人気の抜けたコーラみたいな歌を唄ってもしょうがないし」
 確かにキュウの言う通り、気持ちだけは前向き過ぎるほど前向きな自分がいる。何も考えずに好き勝手に歌えてた時にはさぼりまくってたくせに、いい気なもんだ。不自由を感じて初めて、自由だった頃の自分を羨ましく思ってしまうんだから。
「こんな感じでどうかな」
 定期的に青空が俺達2人を呼び出しては、録り立てのテイクを聴かせる。青空の演奏はいつになく気合に満ち溢れていて、完成度も高い。ギターを始めたてのあのボロボロでダメダメな青空はどこへ行ったのか、商業のミュージシャンの楽曲と比べても遜色なく聴ける……と言うのはさすがに褒め過ぎか。とは言え俺が後で歌入れするには十分過ぎるほどで、目を閉じるとステージの横で懸命に演奏する青空の姿が瞼の裏に浮かんでくる。
「ワクワクするよな、いざ形になってくると」
 イッコーが鼻息荒く興奮を押さえきれない様子で目をキラキラと輝かせて言う。ドラム部分はドラムマシンの仮テイクでも、編集したのを聴かされると俺も興奮を隠せない。
「何だっけ、スタジオの中で核爆弾を作ってる感じっての?」
「ロック雑誌読んでるとインタビューでよく出てくるね、そんな台詞。核爆弾かどうかは置いといて、凄くいいものが出来そうってのは僕も実感してるよ。僕がこうしてまともに録音するのは今回のアルバムが初めてだけど、思ってた以上にスムーズに行ってるしね」
「青空は飲み込みが早いからのう。一度コツを掴むと忘れないところがいいミュージシャンの秘訣じゃな」
「そんな事ないですって。単に下手だから必死で食らい付いてるだけですよ」
 おやっさんに褒められて青空は困った顔で謙遜してる。俺から見ても青空は努力の塊みたいな人間だ。キャリアの少なさをひたすら練習でカバーしてる。本人としては口にしてるように俺達に食らいついてるんだろうけど、その意地が半端じゃない。
 そんな姿勢もまた一つの才能だと思う。いくら歌を唄うのが生きることに組み込まれてる俺とは言えど、そんな情熱は持てそうにない。だからこそリズムギターすらなかなか上達しないんだろうけど……喉を休める分、ギターの練習量も増やしてみるか。
 俺の出番はまだなので、休憩室に戻ってキュウと出番待ちをしてる。
「俺の隣にいないでキュウも中でアドバイスしてこいよ」
「だってたそ一人にしちゃカワイソウでしょ」
 子供か俺は。
「アタシはプロデューサーでもないんだから、一々あーでもないこーでもないって横から口出してもしょーがないでしょ。後から聴いて、ヘンだなーって思ったトコを指摘するくらいよ。そもそもずっとバンドで演奏してきた曲ばっかりなんだから、アタシがいなくたって立派なモノができあがるわよ」
 物凄い確信に満ちた自信だ。それだけ期待されるとかえってプレッシャーがかかりそう。ともかく俺達の曲をいつも聴きに来てくれる人達のためにも、CDを形にしたい。
「せーちゃんってホントカルボナーラ大好きよね〜」
「たまにイッコーのお店にアタシも行ってるわよ。スゴく邪険に扱われるけど」
「こないだ服買いに行ったのね、そしたら……」
 キュウは俺が休憩室にいる間、色々話題を振ってくる。こっちの喉も気遣ってくれ。
 いつの間にか、愁の話題はお互いに振らない暗黙の了解ができていた。元はと言えば千夜に会いたいがためにキュウが愁を連れて楽屋に忍び込んだのがきっかけで、愁はただのつき合いでそこにいただけだ。
 もしかするとキュウも、2人一組のセットで俺達に見られることを望んでないのかも。前のミーティングで愁とバンドのつき合いは関係ないって自分でも言ってたし。そればっかりは直接訊いてみないとわからないか。
「何よ、人の顔ジロジロ見て。おなかでも空いてるの?」
「何でそういう思考になる」
「食べたそうに見えたからよ。でもダメ、今のアタシはせーちゃんのものだから」
「言ってろ。と言うかその話をバンドの活動中にするのは止めてくれ。雑念が入る」
「はーい。いちゃいちゃする場所の節度くらいわきまえてまーす」
 ……本当にわかってるんだろうか、こいつは?青空も変な女に取り憑かれたもんだと同情する。ある意味俺も溢歌の魔性の魅力に取り憑かれたようなものだけど。
「ようやく終わったよ。とりあえず聴いてみて」
 2人で雑談をしてると、部屋の扉を開けて青空が手招きしてくる。どうやら一曲分まとめて録り終えたみたいなので、部屋に入ってテイクを聴いてみた。
「うん、スッゴくいいんじゃない」
 はしゃいでるキュウを横目に俺も頷く。正直冷や汗が出てくるほどだ。ロクな歌を入れられなかったらマスターにぶっ飛ばされそうに思えてくる。
「早速試しに歌ってみっか?」
 イッコーがにやけた顔で挑発してくるのであえて乗ろうとするものの、喉の調子は回復してるように思えない。
「ちゃんと歌える?」
「マイクの前で声を出してみなきゃわかんないけどな」
 心配顔のキュウに笑ってみせて、マイクの前に立つ。すう、と深く息を吸ってみると、喉が痛んだ。本番じゃないとわかってても緊張しつつ、ヘッドホンを装着する。
「それじゃ、行くよー」
 機材の向こうで青空が合図して、カウントが終わると同時に仮テイクがヘッドホンから流れ出した。ドラムパートは千夜のテイクを使ってないとは言え、目を閉じるとさながらステージの上にいるような緊張感に襲われる。
 いざ歌ってみると、出だしは順調だ。1番の部分も難なく歌えた。
 問題は、2番の途中で起こった。
「……!?」
 声の伸びが徐々に短くなってきたと思ったら、次第に高音も出なくなっていく。焦って声を出そうとすればするほど出なくなって、思いっきり咽せた。
「…っ…!………!?」
 慌てて近寄るキュウが叫んでるのも耳に届かないほど、激しい咳が出る。思わずその場でうずくまって、苦しい胸を押さえた。これまでにないほどの咳で、喘息の発作かと勘違いしてしまうくらいだ。目尻に大粒の涙が浮かんでるのが自分でもわかる。
 このまま夢の中に堕ちてしまえばいいのにって、心の片隅で思った。


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