→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第3巻

   075.いびつな歯車

「驚かせてしまってごめんなさい」
 突然の来訪にぽかんとしてる俺に会釈する和美さん。ふわふわの白いコートに身を包んでて、洋菓子の箱を手に提げてる。
「あ、まだ声が出せなかったのかしら…ごめんなさい」
「いや、大丈夫です、負担かけたくないんで、ぼそぼそ喋りになっちゃいますけど」
 いつもより喉に力を抜いて答えると、和美さんはほっとした様子を見せた。
「上がって構いませんか?」
「あ…まあ、特に隠すものもないので、どうぞ」
 若い男の家に上がるのにもっと遠慮や恥じらいがないところが、少し怖い。すぐ暖まれるように毛布を出しっぱなしにしてる以外、他人に見てもらって困るものなんて何も置いてないので和美さんを玄関に招いた。この寒い時期に外で待ってもらうのはさすがに。
 一旦俺は部屋に戻って、ちゃんとした服に着替える。その間和美さんは、キッチンで持ってきたケーキを小皿に移し替えていた。紅茶の場所を訊かれたので、代わりに俺が上の戸棚に手を伸ばして取り出す。と言っても俺と和美さんの背丈にあまり差はなかった。むしろ和美さんのほうが若干高い気がする。さすがモデル体型と言ったところか。
 ハンガーを用意して、和美さんのコートを受け取って壁際にかける。女性にこんな気を遣うのは初めてだ。
 すぐにお湯が沸いたので紅茶を入れて、千夜が来た時と同じように、テーブルを挟んで対面に座る。妙に緊張するのは何を訊かれるかわからないからか。そんな不安な俺とは対照的に、和美さんは落ち着いた物腰で紅茶を口にする。
「いきなり和美さんが来るなんて、全然思ってなかった……」
「こちらこそ、突然お邪魔しちゃって。念の為に事前にお電話を入れておいたのに、繋がらなかったから。電話番号とここの住所は、キュウちゃんに聞いていたので」
 俺を見つめて首を少し傾けて微笑む仕草が可愛らしい。和美さんにはいつも大人の風格を感じる。みょーと同い歳だから、俺とも同じ年齢のはずなのに態度が全然違う。
「愁には――そりゃ聞けないか」
 口に出してから独り納得する。キュウも愁の口から俺の名前が出ることはなくなってるって言ってるし、今はすっかりタブーになってるはずだ。
「それで、俺を叱りに来たんですか?」
 少し警戒心を強めて言う俺に、和美さんはゆっくりと首を横に振る。
「もちろんあの子についてのお話はありますけど、黄昏さんが風邪を引いてダウンしたって聞いて……声も出なくなったとか。心配になったので、こうして見舞いに来たんです」
「それは……ありがとうございます」
 俺は深々と頭を下げる。今も喋ると声の調子がおかしい。処方箋と通院でかなり回復してきてるとは言え、まだ無理のできる状態じゃない。
「カズくんの所に用事があったので、ついでと言う形ですけど」
 申し訳なさそうに呟く和美さんを見てると、俺のほうが謝りたくなる。
「風邪の方は、もう良くなったんですか?」
「おかげさまで。ただ、ちょっと声が」
 喋ってて辛くならない程度の長さにまとめて、風邪が悪化して声が出なくなった時のことを説明する。現在も通院中なのを話すと、気の毒そうな顔を見せた。
「あまり無理をしないで下さいね。黄昏さんの歌声は、周りの人にとっても大切なものなんですから」
「ホントに申し訳ない……」
 和美さんに諭されると、俺ももうちょっと自覚を持って行動しないとダメだと思わせる。
「そう言えば、こうして黄昏さんとじっくり話すのも久しぶりですね」
「前回会った時は……ああ、あの時か……」
 愁が手首を切って病院に担ぎ込まれた時のことを鮮明に思い出してしまって、一気に悔恨の念が沸き上がってきた。記憶の奥底に閉じこめようと思っても、すぐ引っ張り出してきてしまう。それだけ愁の件は、俺の心にも深い傷跡として残ってしまっていた。
「愁の件に関しては、本当にすまないと思ってます」
 テーブルに額がつくくらい大きく頭を下げる。何度謝ったところで後悔の念は一向に晴れないし、許してもらえるとも思ってない。それでも俺の気持ちだけは何としても愁に届けないといけない。
「愁ちゃんの話を先にすると長くなってしまうので、先に話をしたい事が数点あるんですけど宜しいですか?あ、ケーキもどうぞ」
 和美さんは穏やかな表情で、皿の上のケーキを勧めてくる。全く手をつけないのも失礼なので、フォークを口の中に運んだ。有名店なのか、かなり美味い。胃の中まで食べた物が到達してから、ずっと空腹だったことに気付いて胃腸が鳴った。和美さんが苦笑する。
「こちらから連絡を取れていないんですけど、波止場さんはどんな様子ですか?キュウちゃんに訊いても、忙しくて最近は会えてないって言っていました」
「ええと、千夜は今、音大の受験の追い込みで――もう終わったのかな?まだなのか、日付までは俺も知らないんで答えようがないけど……事件の後、俺だけ一度会いました。会ったっていうか、雨に打たれた子猫状態なのを拾ったというか――」
「何か?」
「いえ、何でもないです」
 最後の口にした部分はいつも以上に小声なので和美さんの耳には届かなかった。
「あんな酷い目に遭った後でも俺に突っかかってくるくらいの気力はあったんで、そこまで深く心配はしてないというか、してしまうとどうしても悪いほう、悪いほうへと考えこんじゃうんで、俺なりに元気づけてやりました。それでも憎まれ口叩くってのは、相当嫌われてるんだろうな、俺」
「そんなことありませんよ」
 自嘲気味に呟いた俺に、和美さんが笑顔で否定する。
「ステージの上であれだけまとまった音を4人で奏でているんですもの。表面上はどんなに仲が悪くても、貴方のことを信頼されているんだと思いますよ。黄昏さんだって同じ気持ちじゃないですか?」
 これまた痛い部分を突かれて、つい苦笑いを浮かべてしまう。愁に自分の気持ちを見透かされて諭されると腹が立つのに、和美さん相手だと照れてしまうのは年齢の差か、包容力の違いなのか。柔らかい微笑みに母性のようなものを感じる。
 照れを隠すために冷めた紅茶をぐいっと口の中に入れて、話題を切り替えた。
「学校での千夜ってどんな奴でしたか?俺達、あいつのことはバンドをやってる時の姿しかほとんど知らなくて。少し聞かせてもらえれば」
 中学の話はジゴから聞かされたけど、あいつの高校での学園生活がどんなものなのかはバンドの全員が知らない。和美さんは以前千夜と同じ高校で部活も一緒って言ってたので、少しでも人となりを知りたいと思った。
「そうですね……私自身、久しぶりに会ったのがたそさん達がうちの学園祭に出演してくれた時ですから、顔を合わせていたと言ってもそれほど長い期間ではないのですが……」
 思い出す仕草を見せながら、ぽつぽつと当時の状況を語る和美さん。
「樫之木女学院に通っていたというのはお話しましたよね?私と波止場さんは歳が二つ離れているので、一緒にいた期間は一年でした。と言っても、軽音楽部の方も毎日顔を出していた訳ではなくて、必ず集まらなければならない曜日以外に出てくることの方が少なかったかしら」
「それは、バンドとかけ持ちしてたから?」
「ですね。軽音楽部に入部したのは、必ずどれかの部活に入らなければならない決まりだったから、これを選んだと本人が言っていました。だけど音楽の技量は本当に素晴らしくて、飲み込みの早さとリズム感をそばで見ていると、天才だと思ったわ」
「でもそれだと、やっかみとかありませんでしたか、周りの部活仲間から」
「それはもちろん……。ただ、周りのみんなが実力を認めるほどに抜きん出ていたのと、自分から文句を何一つ言わない子だったので、衝突が起こるほどではありませんでした」
 中学の時に周囲に自分の考えを押しつけ過ぎて、酷い目に遭ってしまった反動だろうか。その分の鬱憤を、バンドのほうにぶつけて晴らしてたのかと思う。
「和美さんとは仲よかったんですか?」
「私はフルートで、彼女はバイオリン。メロディを担当する部分だったので、会話する機会は多かったです。向こうから話しかけてくるのは音楽のことばかりで、他の部活の子達みたいに日常会話や雑談を全くしない、珍しい子でした」
「そういや和美さんも楽器が?」
「いえ、私のは部活レベルです。美大に通っているように、本業は絵ですから……。学校の部活まで絵に回しちゃうと、気晴らしにならないと思ったの」
 和美さんは謙遜してみせる。一度演奏を聴いてみたいものだ。
「一度、カズくんのステージに連れて行ってあげたことがありました」
 そう言えば以前2人のやり取りで、そんなことを言っていたような気もする。
「まだカズくんが前のバンドで、解散する前のライヴです。あの頃はカズくんも私にチケットをくれたりして、交流がありましたから」
「あ、俺も昔一度、何もわからずにあいつのライヴを観たことがあります」
「そうなんですか?」
「と言っても、誰かのバンドの前座だったんで、記憶にほとんどないんですけどね」
 悪い話だけど、その後に出てきたメインのバンドの方が衝撃が強かったせいで、ステージの上のイッコーがギターを弾いてる姿なんて全く印象に残ってない。
「チケットを二枚貰ったので、波止場さんを誘ってみたら了承してくれました。なかなか気に入ってくれたみたいでしたよ。私は知らなかったけれど、あの時にはもうバンドのほうを始めてたのかしら?」
「みたいですよ。俺達と出会うまでは、いろんなバンドをかけ持ちしたりヘルプで叩いてたりしたらしいです。俺達のバンドに正式加入したのも、一年くらい前だけど」
「それだけ音楽に一生懸命だったんですね」
 和美さんが感心したように言う。その分、この前の事件は音楽に裏切られたと思っていなければいいんだが。
「順調に行けばCDを作って受験が終わったら、また活動を再開してライヴやって――ってのが理想だったんでしょうけど。一応体裁は変わってないけど、これからどうなるか」
 久々に喋り続けて少し疲れたので一息ついて、和美さんに断ってから紅茶を入れるために再びやかんのお湯を沸かす。
「……これからバンドがどうなるのかは、まだわかりません。今は一応アルバム制作に向けて進んでるけど、俺も喉の調子がままならないし、いつ完成して次のライヴができるのかも不透明です。仕上がった暁には、和美さんにも聴いてもらいたいな」
「ありがとうございます。楽しみに待ってますね」
 満面の笑顔の眩しさが俺の心にちくちくと刺さる。待ってくれてる人がいるんだから、俺も頑張って喉を治して歌入れしないと。
 こうして久々に他人とじっくり話せるのは嬉しい。キュウのように顔色を窺う必要もないからか。喉の調子はあまりよくないけど、心の負担は幾分軽くなった。
 それでも、愁の件から逃れることはできない。気付けば和美さんが訪れてから軽く一時間以上話し込んでて、日も傾き始めてる。愁の話題に触れずにしばらく雑談を交わした後、会話のネタに詰まったところで、俺もいい加減腹を決めた。
「愁の着替え、ずっと置いてるんだけどどうすればいいでしょう?」
 話題にしたけど、普段から服を買い漁って衣類ケースを埋め尽くしてるわけでもないので、正直困る問題でもない。千夜が訪れた時みたいに、緊急で役立つこともある。
 愁がもうこの部屋に戻ってくることがないとしても、置いておいたほうがいいのかな。
「それは――愁ちゃんに直接訊いたほうがいいんじゃないかしら?」
 和美さんは困った顔で、少し意地悪っぽく答える。
「それができれば話は早いんですけどね……」
「話しますか?私の携帯なら繋がりますよ」
 うじうじしてる俺を見て、テーブルの上にそっと自分の携帯を置く。喉が唾を通る音が大きく聞こえた。
 冷や汗が出てその携帯とにらめっこしたままの俺を見て、和美さんが苦笑する。
「冗談ですよ。黄昏さんがよくても、愁ちゃんのほうが心の覚悟ができてるか判らないですもの。愁ちゃんから直接、黄昏さんの話をされることはありませんから」
「やっぱりそうですか……」
 わかっていることとは言え、事実を聞くとかなり落ち込む。この問題が単純に時間が解決してくれるってことはないのか。
「だから、私にもどうして愁ちゃんがあそこまで思い詰めて行動してしまったのか、分かりません。黄昏さんに話を聞けたら、と思って今日、訪れてみたのもあります」
 全く和美さんは厳しい。だけどこれ以上逃げてばかりでもしょうがないだろう。
「できれば教えていただけませんか?一体何があったのかを」
 そう問いかけてくる和美さんの目は真っ直ぐで、俺は全面降伏した。
「和美さんになら――話していいかもしれない。溢歌のことを知ってる分、キュウ達よりも理解してくれると思うから」
 それから長い時間をかけて、溢歌との出会い、愁との同棲、溢歌を愁の家に預けた理由、クリスマスの夜何があったのか、そして、俺は愁じゃなく溢歌を選んでしまったこと、  全てを包み隠さず話した。和美さんは声を上げて途中で反論することもしないで、最後まで俺の立場を尊重しながら聞いてくれた。それだけでとても嬉しい。
 もちろん喉は途中で疲れて、聞き手になってくれた和美さんに余計な苦労をかけてしまった。それでも、自分の中にずっと溜め込んでいたものを吐き出せる相手が目の前にいることが、どれだけ救いになってるか。
 別に嫌われてもいい。軽蔑してくれたっていい。ただ俺のねじ曲げちゃいけない部分を、しっかりと伝えようと思った。
「…………。」
 和美さんは俺から視線を外して、何だか答えにくそうな表情をしてる。100%俺が悪いって罵ってくれたほうがかえって気が楽なのに、こっちまでむず痒い気持ちになる。
「生まれてから死ぬまでに誰か一人をずっと愛し続けるのは、とても大変なことなんだと私も思います。例えば最初に愛した人が、他の誰かと愛し合って結ばれてしまった場合、その想いを墓の中まで独り持ち続けるのか、捨て去って新しい愛を探すのか、その想いを抱えたまま新しい出会いを探すのか。きっと人それぞれでしょう。だから私には、黄昏さんを悪く言うつもりはありませんし、責める気もありません」
 そう返されると、こちらの言葉がない。もっと貶してくれって懇願するのも変だし、何を言っていいのかわからない俺に和美さんが続ける。
「どちらが悪い、悪くないとか、二極化で答えを出しても仕方ありません。愁ちゃんは昔から思い詰めるところがある子だから、結果的に事故――事故と言ったほうが正しいと思います――を起こしてしまいました。黄昏さんがはっきりしないのが悪いと決めつけてしまう他の人もおそらくいると思います。でも黄昏さんは、ただの気まぐれじゃなくって、自分の信念に従って行動したんでしょう?それなら周りにどう思われようと、構いません。……むしろそんな黄昏さんが、羨ましく思います」
「いや、俺は全然立派でも何でもないし、むしろ酷いことをしてしまった人間ですよ」
 信念だろうが何だろうが、それで他人を傷つけてりゃ世話ない。
「黄昏さんは、愁ちゃんに答えを告げる前に溢歌ちゃんと一緒にいるところを見られてしまっただけです。結果的にそれが大きく傷つける原因になってしまったのは事実ですが……。黄昏さんは、愁ちゃんのことを嫌いになった訳じゃないんでしょう?」
「もちろんです。むしろ今でも謝りたい……今の俺にあいつにしてやれることは何もないかもしれないけど、それでもあいつの苦しみを取り除くためには何だってしたい」
 酷く身勝手な言い分だと自分でもわかる。今以上に愁に嫌われてしまうかもしれない。それでも俺が溢歌を選択してしまうまで、隣で支えてくれた恩を何とかして返したい。
 それが俺にできる愁への全てだ。
「……黄昏さんは、優しいんですね」
 和美さんは少し喉に言葉を詰まらせて、言った。
「一つ、訊いてもいいですか?」
 改めてかしこまって質問されたので、俺は背筋を伸ばして頷く。
「愁ちゃんは、溢歌ちゃんの代わりですか?」
 思いがけない問いで少し拍子抜けしつつ、真剣な眼差しで見つめる和美さんに答える。
「どっちがどっちの代わりとかありませんよ。愁が俺にくれたもの、俺が愁に愛した気持ちは溢歌への感情と全く違うものです」
 そこだけは自分自身に確認するよう、声を大にして断言した。少し喉が痛い。
 俺の答えを聞いて、和美さんの表情が悲しげに変わった。
「そう……ですよね。そう答えられる黄昏さんは、間違っていません。だけど、私の場合は……」
 今にも消え入りそうな声で話す和美さんが、悲痛な顔で俯いてしまう。俺、何か気に障ることでも言ったのか?考えを巡らせてると、一つの答えを思いついた。
「もしかして、みょーの奴が何か和美さんに悪いことでもしたとか?」
 愁の件でみょーが自棄になって和美さんに迷惑かけるって筋書きはありえる。それを引き起こしたのが俺だと思うと、他人事でも心が痛む。
 そんな俺の考えを察してか、和美さんは無理に笑顔を作って首を横に振る。
「ううん、悪いのは私のほう。妹が大変なことになって、隣でずっと支えてあげないといけない時期なのに、私が我慢してそばについていられないから……」
 俯く和美さんの表情が胸に刺さる。愁のことを大事にしすぎる余り、和美さんが置いてけぼりにされてるんだろうか。だけどそれはしょうがないことに思える。
 血の繋がってる妹を思う気持ちは、独り身の俺が考える以上に強いものだろうから。
「愁にみょーを取られたとか、思ってるんですか?」
 さりげなく口にしてみた一言が図星なのか、和美さんの肩が震えた。
「黄昏さんは、時々私の心を深く突いてきますね」
 しまったと後悔してる俺に、和美さんは恨みがましい上目遣いの視線を送ってくる。原因が俺にあるんだから、この視線も正面から受け止めないといけないと思っても、辛い。
 沈黙の走る部屋の空気に潰されそうになってると、和美さんが身を起こして大きく頭を振った。肩にかかったさらさらの黒い長髪を手で払ってから、吹っ切れたように一息つく。
「大雑把に答えてしまえば、黄昏さんの言う通りなのかも。愁ちゃんの居場所を、後から来た私が取ってしまった。溢歌ちゃんと同じ立場なのかしらね。でも、まさかその居場所を奪い返されるなんて、普通思わないでしょう?」
 一段低いトーンで、自嘲気味に語る和美さんが少し怖い。こんな態度の和美さんを初めて見て、俺は何だか悲しくなってしまった。
 俺がこの人にできることはあるのか?
「……愁は」
 和美さんに言っていいものかどうか迷ったけど、そのまま言葉を続けた。
「愁は、みょーのことが大好きだったんですよ。兄妹以上の感情で」
「分かってるわ」
 即答されて、逆に俺が面喰らってしまった。怯んでる俺に和美さんは続ける。
「……分かってるの。だから私は……怖いの。あきらが私のこと、見てくれなくなるのを。あの人は私がそばにいるから愁ちゃんの看病をしていても心が安らぐと言ってくれた。でも私はそんな彼の隣にいると――辛いの」
 そう言って自分の震える肩を腕で抱き締める。俺を溢歌に取られたと思った愁も、同じ気持ちでいたのかと思うと、深い後悔の念が襲ってくる。
「……随分と長話になっちゃいましたね。そろそろ暗くなるし、水海の駅前まで送りましょうか」
 場の空気に耐えられなくなって、席を立って提案する。慰めの言葉をかけようもないし、俺が和美さんにできることなんてこれぐらいしかない。
 テーブルの食器を片づけて、流し台で水に浸す。
 その時、不意に背中から両腕を巻き付かれた。
「な、和美さん!?」
 慌てて振り向くと、膝を落とした和美さんが俯いたまま、低いトーンで呟く。
「今日だけでも……一緒にいさせて」
 あまりに突然の展開に頭が混乱する。心臓がドキドキするよりも、和美さんが一体何を考えてこんな行動をしたのかがさっぱり理解できずにいた。
 その場から動けずにいる俺の顔を柔らかな手で触れて、顔を近づけてきた和美さんがうっすらと微笑む。背筋がぞくっとした。
「私の胸の内を見つめられる、貴方なら分かるでしょう?」
 固まってる俺の心に、和美さんが絡みついてきた。


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