079.バトルクライ
音が軋む。
千夜の演奏を見てる周囲の全員が、強張った表情でドラムの音を聴いていた。
「ちょっと休憩しようか」
ブースの外からスタジオの中にいる千夜に青空がマイク越しに声をかけると、ヘッドホンを外して大きくため息をついた。
今日入ってるのはマスターの紹介してもらったスタジオで、いつも使ってる二つのスタジオよりも録音設備が充実してる。ブース内と外のやりとりがしやすく、周囲に男がいると極度に張りつめてしまう千夜にはありがたい。
キュウがドアを開けて中に入って、千夜にスポーツドリンクを渡す。イッコーは青空の横で機器の前に座って、今録った音の確認をしてる。俺は後のソファに横たわって、まるで我が家のようにくつろいでる。出番はまだ後だ。
千夜の録音作業は順調に進んでる。と言っていいのかどうか。確かに連日千夜がスタジオに入ってるけど、事件の後遺症で休学中なのを利用して家を抜け出して無理に来てる。以前と違って演奏に安定感がなくてテイクにばらつきはあるものの、数撃ちゃ当たるみたいな感じでひたすらテイク数を積み重ねる。
もちろん無茶をしてることは横から見ても一目瞭然で、千夜の表情は日に日に憔悴してる。休憩時にも、誰も話しかけられないオーラを出して近寄れない。そもそも休憩もスタジオから出て来ないで、ほとんど取らないものだから無茶をしすぎだ。今も疲れが溜まってるのか演奏にいくつかミスが目立った。思い通りに体がついて来ないようだ。
疲れた体に鞭を打って千夜は椅子から立ち上がると、中にいるキュウに一言二言伝えて千鳥足でブースの扉を開けた。疲労で顔が紅潮して、肩で大きく息をしてる。流行り風邪にかかってるわけじゃなくて、純粋に疲労困憊だ。
「外の空気を、吸いに……」
口から発した言葉を言い終わる前に、千夜はフローリングの床に膝をついて、その場で苦しそうに呻いて吐いた。吐瀉物はほとんど胃液と録音中に飲んでたドリンクで、ロクに食べてないんだろう。
「大丈夫、おねーさま!?」
慌てて周りにいたみんなが駆け寄って、千夜を介抱する。キュウに背中をさすられながら、目尻に涙を浮かべて千夜はそばのソファに体を横たえた。スタジオのスタッフと青空が汚れた床の掃除をしてる間、俺とイッコーはブースの中で話し合ってた。
「まさか吐くとは思わなかったよ」
「ひでえってもんじゃねーなありゃ」
「ほっといたら過労死するぞ、あいつ。まともに寝てないんじゃないのか?」
目の下のクマもひどい。
「まだ酒に逃げてるわけじゃねーみてーだし、マシなほうなのかもな。そこまでして無理せんでもいーだろーに。まだたそのテイクも残ってんだしさ」
「俺はマイペースすぎるけどな」
「たその喉が悪いってのはみんな承知の上よ。喉ってのは消耗品だかんな、なるべくいい状態で録音したいもんだ。この状況じゃ悠長なこと言ってられねーかもだけど」
イッコーもまいった顔で逆立てた髪を掻いてる。
「ほんとどーにかしねーとダメだな、こりゃ……」
今の状態でバンドを活動すると言うのが、無茶な話なんだ。それはわかってるけど、ラバーズのマスターにレーベルの協力をしてもらってる建前もあって、単純に止められない。
数日前にバンドの全員が集まって、改めてマスターと話をした。千夜の事件についてはバンド関連だとマスター以外、誰にも口外してない。
「とにかく、一度作り切ってみろ。それからレーベルで出すかどうか、俺が判断する」
深い話は訊いてこないで、それだけ言うとマスターは話を終えた。竹を割って更にその切り口をヤスリで磨いたような潔さだ。音源の出来の善し悪しより、まずは一通りきちんとした音源を作ってみろ、と言うことらしい。そうすることで経験を積ませる意味もあるんじゃないかって、後でイッコーも言ってた。
だけどそんな言葉はむしろプレッシャーに感じる。結局いい解決策がないまま、俺も喉の痛みを堪えて歌ってる状況だ。
「ま、後ばっか向いててもしんどいだけだ、もーちょい気楽にいこーぜ」
イッコーの気休めに呟いた言葉が、ホントにただの気休めにしかならないのが悲しい。
「しっかし大丈夫かよ、千夜。今にもぶっ倒れそうな顔してるぞ」
休憩室に戻ると、千夜の顔を見るなりイッコーが呆れ顔で言う。近場のコンビニで来る前に買ってきておいた栄養ドリンクを青空が手渡すと、疲れ顔でそれを飲み干す。
「仕方ない、先に黄昏の今日の分を済ませよう」
「……わかった」
青空の呼びかけに思わず緊張が走る。思い通りに歌声が出せなくなってるせいか、だんだんと歌うことに臆病になりつつある俺がいる。こんな心境はこれまでずっと歌ってきて初めてだ。自分の歌に関しては無駄なほど自信を持ってる節があったのに。
その日の出だしや調子のいい時になるべく高音や歌い回しが大変な部分を録音してるものの、たとえ上手く行ったテイクでもダメなんじゃないかと疑心暗鬼になる時がある。俺自身、自分の歌声を録音したのを聴いても善し悪しが判断つかないので、客観的に判断できる青空達にテイクの選択は任せてる。それでも不安はなかなか拭えない。
「ほらまた、恐る恐る歌ってる」
俺の歌声の録音を始めた今も、歌ってる最中に不意にそんな後ろ向きな考えが頭をもたげて、ブースの外から青空やイッコーにダメ出しを食らう。もちろんリミッターをかけてセーブしておかないと、その分喉に反動が来る。ライヴの時はいつも後のことなんて考えずに歌ってたから、勝手が違ってやりにくい部分もある。ただ、そのほうが録ったテイクを編集する側としてはやりやすいとイッコーも言ってるので、良い方向に考えるしかない。
千夜が叩けるまで回復するまで、俺がブースの中に籠もりっきりになる。このスタジオはおやっさんの所と違って、部屋の外側に録音機器が揃ってる。ミュージシャンがPVなんかで録音風景を写してる時に出てくるあれだ。俺としてはブースの中に置いてあるほうが、間近で青空達と対話できるので落ち着かないところがある。
喉の奥が焼け付くように痛むのを堪えて、懸命に歌う。千夜の分をカバーする、なんて気持ちもなくはないけど、俺自身も録音が遅れてるから、多少は無理をしなきゃいけない。手元には喉を潤すためのスポーツドリンクと、気休め程度の小さいのど飴が置いてある。
「悪い、少し休憩」
これ以上連続して歌うと喉が悪化すると判断した時点で、ブースの外に向かって俺は両手で×印を作った。今日はいつもより頑張れたほうだ。いつもならすぐ音を上げてしまう。
もう少しだけ歌いたいと思いながら備えののど飴を舐めてると、不意に扉が開いてキュウに支えられた千夜が入ってきた。
「おいおい、顔真っ青だぞ」
「……悪い、キュウだけはここにいて。五月蠅かったら耳栓してでもいいから」
目を丸くして心配する俺をよそに、千夜はそのままよろよろと椅子に向かう。キュウはそんな千夜を心配そうに、壁際の椅子に座って眺めてる。
千夜の復帰のためにおやっさんのスタジオから場所を変更したとは言え、スタジオで犯された後遺症はかなり根深く残ってるみたいだ。俺は気休めの言葉も思い浮かばないまま、一旦ブースから引き上げた。そのまま千夜の録音の続きが始まる。
「無茶すぎるだろ」
俺が一言機材の前に座る青空の横で呟くと、横目でこちらを見た。
「千夜が大丈夫と言ったんだ。信じるしかないよ」
相変わらず青空は仲間想い過ぎるところがある。時として、それが悪い方向に向く時だってなきにしもあらずだ。
案の定、数回テイクを取ったところで千夜の演奏が大きく乱れて、途中で中断した。
「ほら言わんこっちゃない」
結局その日はそれ以上千夜のテイクを録るのを止めにして、スタジオの時間一杯まで俺の歌録りと、ギター録りに終始した。ギターのほうは、溢歌にもらった新しいギターのおかげか、これまでのライヴよりいい音を奏でられてるような気がする。それくらい俺の腕にしっくり合ってて、まるで手足のように感じられて気味が悪いくらいだ。
「ちょっといいか?」
終了時間が近づいて今日の片づけがほとんど終わったところで、近くの椅子に座ったままうつむいてる千夜の肩を後からつついた。思わず肩が大きく跳ねて、目を見開いて恐ろしい形相で俺を見てくる。……悪いのは俺とは言え、せめて男でも仲間として見てほしいもんだ。
「外で少し話がしたい」
俺からこんなふうに千夜に個人的に話を吹っかけるなんてこれまでになかったからか。千夜も困った様子でうろたえてる。いつものように怒鳴り散らしてくれるほうがこっちの調子も狂わないのにな。ため息一つついて部屋の外に出るように親指でジェスチャーすると、黙ったまま千夜が席を立って俺の後をついてきた。従順すぎて少し拍子抜けする。
通行の邪魔にならないように立ち話できる廊下の隅を選ぶ。壁に寄りかかっていざ喋ろうとすると、千夜の隣に金魚のフンみたいにくっついてるのが約一名。
「何でおまえまでついて来るんだ」
「だってたそ、おねーさまに変なことしようと思ってるでしょ」
キュウがピリピリした口調で言う。反射的に前に千夜を自分の家に迎え入れた時にしたことを思い出して、耳まで真っ赤になってしまった。
「してないしてない。そもそもおまえ、こないだからずーっと千夜の周りを衛星みたいにぴったりくっついて回ってるじゃないか」
「そりゃ心配だもの。ねー」
千夜に笑顔で同意を求めるものの、顔色一つ変えずに見つめ返されるだけで、キュウは困った顔で固まってしまった。
「大丈夫だから。私も少し話をしたいと思っていたところ」
珍しい千夜の返しにキュウが目を丸くするも、優しく微笑むとしゅんとした顔で素直に従って、後片づけに戻っていった。その背中を見送ってから千夜が向き直る。
「……大変だな、保護者ができて」
「別に頼んだ訳じゃない。私の事を心配してくれてやっているのは解ってるから、その行為を裏切りたくもない。それに私自身、一人で出歩くのには不安が拭えない所がある」
「悪い」
皮肉のつもりで言ったのに、かえって傷を抉る結果になってしまった。
「まだ、辛いか?」
「この痛みは……慣れてるから」
その言葉の意味を薄々察知する。前に青空が言ってた、中学の時に遭った事件の心の傷だろう。千夜がどれだけ脅えながら毎日外に出歩いてるかなんて、想像するだけで心が苦しい。自分のされたことを知ってる人間と出会わないか、自分を襲った人間と出会わないか。そんな恐怖心ときっと毎日戦ってるんだ、こいつは。
「あんまり無理しすぎるなよ。俺も他人のこと言えないけどな」
そう言って軽く喉仏を人差し指で叩いてみせる。こうして話す時はいつもぼそぼそ喋りだ。元々普段の喋り自体、イッコーみたいにそんなに張り切った声を出さないし、聞き取りづらいのは周りだけだ。
「よく……判らない。今の自分が何をやっているのか」
千夜はフローリングの壁に背中を預けて、天井の明かりを見上げたまま呟いた。
「頭の中がぐちゃぐちゃで、混乱して……切羽詰まっている自分が分かってるのにどうしようもならなくて、今日も迷惑をかけてしまった」
しゅんとした顔でそのままずるずると膝を曲げて、床にへたり込む。膝を抱えてうずくまるその姿は、いつもの男勝りな面はどこにもなくてとても愛くるしい。
「……まさか、今になって黄昏の気持ちが解るなんて思わなかった」
「何のことだ?」
「前に、何度も逃げてただろう。何回もスタジオでの練習とステージをすっぽかした」
「耳が痛い」
小指で耳の穴をほじる。若気の至りとは言わないけど、すぐ尻尾を巻いて嫌なことから逃げ出したくなるのは俺の悪い癖だ。
「で、それが昔の俺と似てるって?動機が全然違う気もするけどな。俺のは育ちで培ったネガティブな感情がそうさせてるだけだ。第一俺はめんどくさがり屋だ」
別に自慢するようなところでもないけど、自分のことは自分が一番よくわかってる。何もかも投げ出したくなる時なんてそれこそ数え出したらキリがない。
辛いこと、苦しいことを受け入れないと先に進めないなら、初めから諦めてしまう。そんな人間だってことは十二分に承知してるつもりだ。
俺の開き直った態度がおかしかったのか、珍しく千夜が苦笑してみせた。
「変わらない。私だって、逃げ場がここだったからバンドを始めたようなものだから。そして今は、それからも逃げたくなってる。今日無茶苦茶にドラムを叩いたのだって、こみ上げて来る恐怖から目を逸らしたいだけ。いっその事、何もかも放り出して誰もいない所に閉じ籠もりたい……」
「でも、自分の部屋に逃げ込んだところでそこに安らぎなんてないぞ」
千夜の希望を切り捨てるように俺ははっきりと言った。そんなの一体これまでどれだけ俺が自分の部屋の何もない白い壁に、無限の暗闇を映し出したと思ってるんだ。
「それは……解ってる……」
足下に視線を落としたまま、千夜は膝をぎゅっと抱えた。それが何の解決にもならないことを、過去の事件ですでに学んでるに違いない。
こんな時、どうやって千夜を元気づければいいのか。前にずぶ濡れの千夜を拾った時は荒療治になった。今日のこの場合はどうやればいいんだ?愁にも溢歌にも女の子の介抱の仕方なんて習ってないぞ、俺。
「おまえが自分のことを語り出すなんて珍しいこともあるもんだな」
「……別に、今はどうでもよくなっただけ。何であんなに頑なに自分から殻を作ってたのか、よく判らない。意固地なプライドがそうさせてたのかも知れない。そんなもの、あった所で何の足しにもならなかった事に、今更ながらに気付いた」
ぶっきらぼうに言うと千夜は腹の底からため息をついて、辛い表情を浮かべた。
「どうして私は、ここにいるんだろう」
「えらく哲学的なことを言うな」
俺だってそんなこと、四六時中考えてると言っても過言じゃない。誰のためにここにいるのかとか、自分が生まれてきた意味は何なのかとか、為すべきことは何なのかとか、そんなのはっきりした答えが出るはずもないのに、堂々巡りで探してしまう。
「……まだ、自分でも気持ちの整理ができていない。受験も終わって、頭を埋め尽くしていたものがなくなってしまったから、そこを埋めようとして戻って来たのかも知れない。本当は自分がまだ叩けるかどうかも解らないのに。でも、逃げていても頭から離れないのなら、辛くても目の前に与えられた事に集中した方がいいって思えた」
そうして千夜は、バンドに復帰した。そこに辛いことが待ちかまえてるとわかってても。その心の強さは、俺なんかじゃ到底辿り着けない領域だ。
いや、単に無理をしてるだけか。千夜は俺達に助けを求めてる。だから俺達も、それに応じなくちゃいけない。
「だから、こんな私でも誘ってくれて、……待っていてくれて、感謝してる」
消え入りそうな声で呟くその顔は切実で、照れ隠しもない心からの言葉だった。
ゆっくりと千夜は壁に手をついて立ち上がって、俺に向き直る。
「思い通りに叩けてるかも、まだ自分じゃ掴めない所があるけれど……これから私がどうすればいいのか、まだ見えないけれど。多分この選択が、最適だって思えるから」
「ああ。おまえは一人じゃないからな。周りに頼れる奴等がいるんだ、存分に甘えてろ。俺はそーゆーの苦手だから勘弁な」
言ってるこっちが照れくさくなって、千夜に背中を向けてひらひらと手を振る。伝えたいことは言えたので、もう大丈夫だろう。その場を離れてトイレに向かってから、帰り仕度を終えたみんなと合流した。
その後も、連日千夜はスタジオに入り続けた。バンドでスタジオのレンタルをしてない時間でも、青空とイッコーと一緒に入ってたみたいだ。かく言う俺は医者にも言われてるように安静でいなきゃいけないので、マイペースっぷりがむしろもどかしかった。
千夜はペースが速い分、あっと言う間に収録用楽曲の半分以上を叩き終えた。しかしその反動もあってか、その顔には疲労の色が浮かんでる。
そしてドラムの収録中に、突然スティックを振る手を止めて、また吐いた。
「相当プレッシャーがかかってるようだね……」
「あいつ、スタジオ入らせんの止めさせたほうがいーんじゃねーか?身を削りまくって叩いてるだろ。前々から自虐的に叩いてるところはあったけど、凄い形相で叩いてんぞ今」
イッコーが千夜の身を本気で心配してるのが伝わってくる。休憩室のソファに横たわる千夜をキュウが付き添いで看病してるのを、ガラス越しに見守ってる。俺達3人はブースの中に入って、今後の相談をしてるところだ。
音楽には何一つ妥協しない千夜のその姿勢が、今の音になってる。本当に、ギリギリのところで叩いてる。だからこそ青空達も悪いと思ったテイクには直しも入れるし、千夜もそれに応える。そこにはこれまでのバンドで培ってきた、目に見えない絆があった。
だから俺は千夜の気持ちを汲んで、何も言わない。
「マスターに頼んで、個人録音用のスタジオでも借りるか?さすがに見てらんねー」
「……でも、やると言ってるのは他ならぬ千夜自身だしね。ただ、これでCDが完成したとしても、まともにステージの上で演奏できるかはわからないよ。来月ライヴの予定は入ってるけど、このままだと中止にするかも知れない。黄昏だって、喉が厳しい状況だしね」
「俺は――」
すぐにでも手術を受けたって構わない。それでまた自由に歌えるようになるのなら。だけど大きくスケジュールが狂ってしまうし、俺一人の一存じゃ決められない。
「だから、そろそろ考える時期に来てると思うんだ」
「何を?」
いつになく真剣な表情の青空に問いかけると、俺達二人を見回して続けた。
「『Days』は、このまま続けられなくなってる。元々不安定な所があるバンドだけど、千夜の件、黄昏の件が重なって車輪が上手く回らなくなってしまった。だから、このまま行って自然瓦解するよりは、一度止めてしまうのも一つの手だと思う」
止めてしまう、だって?
「それって――解散、するのか?」
言葉の意味をようやく飲み込めて動揺する俺とは裏腹に、イッコーは黙ったまま、少し難しい顔でオレンジ頭を掻いてる。何でそんなに冷静なんだ?前に冗談で解散の言葉を出した時とは明らかに場の空気が違う。受け入れることも考えなきゃならないって感じだ。
「冗談じゃない、一体俺が何のためにここまで必死になって――」
「あんだけ自分から逃げ出してたやつの言い分とは思えねーほど変わったなー、たそも」
うるさい、こんな時に茶化すな。
「……ここまで来て、得たものもあったし失ったものもあった。だけどようやく、前を向いて歩けるようになったと思ったんだ」
溢歌のおかげで。
「だけど、俺はこのバンドがなくちゃ何もできない。『Days』がなくなったら、俺は一体何にすがればいいんだ?また部屋に閉じこもれとでも言うのか?」
そうやって溢歌とひたすら傷を慰め合うために、俺は今ここにいるんじゃない。千夜だってそうだ。心の傷を必死に埋めようと、満身創痍でバンドに出てきてる。青空だってイッコーだって、特別なものをこのバンドに抱いてるはずなのに。
しかし青空は戸惑う俺をよそに冷静に対応する。
「何も、これまでやって来た事を全て無駄にするだなんて言ってないよ。休止なのか停止なのか、言葉の意味はどっちにしろ、活動をしばらく止めてしまうのも考えにある」
あくまで選択の一つとして、と人差し指を上げて答える青空の言葉に、取り乱した俺も少し落ち着く。上手くなだめられたところで、青空の話が続く。
「別にいきなり降って湧いた案じゃない。あのクリスマスの日、千夜が暴行を受けてしまった時から、ずっと考えてた。イッコーも僕と同じ考えでいたと思う。ちゃんとした音源を残したいし、CDを作るのは止めたくはないけど……一度自分自身を見つめ直す時期なんじゃないかとも思ってる。『Days』自体僕達2人で始めてから、途中黄昏が来ない期間もあったけど、休みなく続いてるからね」
かれこれ3年近くか。2年前の夏からだから、思えば随分と長く続けたきたもんだ。
「このまま千夜がかつてのように演奏できるかは解らない。きっと千夜自身今は気持ちの整理がつかないまま、わざわざ来てくれてるはずだよ。かと言って、何も千夜一人に重荷を背負わせてる訳じゃない。イッコーだって『Days』をずっとやりながら他のバンドのヘルプをやったりしてる。かけ持ちもありだし、選択肢は一つじゃない。僕だってバイトを辞めて、これからこのまま音楽を続けて行くのか、決断する頃合いだと思うし」
決断。
改めて言葉にされると、ひどく重く響いた。
だって俺はこれからも、紆余曲折もありながらも『Days』を続けていくものだとばかり思ってたから。いろんな衝突がありながらも、ずっと続いてきたから。殻の中の俺を外へ引きずり出してくれた大切なもの。何度か自分から手放そうとしたこともある。だけどその度に、俺達を繋いでる音楽に助けられる。
「語弊は悪いけど、これは試練なんだと思う。ただそれは僕の視点だから楽観視で言える事であって、千夜や黄昏にとってはそれこそ人生に深く関わる問題だと思う。僕やイッコーに大した影響がないとは言わないけどね。だからすぐ結論を出せる事でもない」
いつかは、バンドを止めてしまう決断をする日が来るんだろうか?
「いずれ、みんなで話し合って決めよう。とにかく今は目の前の事に集中しようよ。後の事を考えるには、まず終わらさない事には始まらない」
そう言って青空は話を打ち切ったけど、そんな話をされて気にするなと言われてもどだい無理な話だ。
「腑に落ちねー顔してんな、たそ」
不満が表情にモロに出てたのか、イッコーがからかうように俺を見てくる。
「前に何度かライブドタキャンしてた時、おめーの心の中には『まだバンドがある』って心のどこかで思ってたんじゃね?帰る拠りどころっちゅーかさ。青空もちょうど去年だっけか、解散しようってぶちまけたの。あの時はおれ、実はどっちでもいーやって内心思ってたりしてたんだわ。何てったらいーんだろ……おれ、フットワーク軽いとこあっからさ。でもあの時に青空の本気を見れた気がして、やっぱこのバンドいーよなって思えたんだよなー」
イッコーの言葉にはいつも裏表がなくて、少し胸がちくちくして、それでいて爽やかだ。
「そりゃおれもいつでも本気よ。じゃなきゃここまでずっとつきあってねーって。そーゆー意味じゃ、一蓮托生なおめーの生き様も羨ましく感じたりすっけどな。千夜も最初はただのかけ持ちの一つだったくせに、何の心境の変化か本気になっちゃって。キュウもいつの間にかいっぱしのマネージャーっぽいことやってるし。『Days』には、そんな人を惹きつけるとこがあるのかもな。だからこそ、大事にしなきゃだわ」
最後の言葉に強い意志が籠もってるのを、はっきりと聞いた。
「そー思ってるおれも、何だかんだで一蓮托生だなー」
今の状況を楽しむかのように笑い飛ばす。そんなイッコーはとても大らかで、どんな運命でも受け入れる自信と覚悟があるように見えた。
俺はこれからそんな姿勢でいられるのか?……無理だろ。
胸の中に生まれたもやもやは、ちょっとやそっとじゃ消えるものじゃない。
解散――そんな言葉も覚悟しておかなきゃいけないなんて。
だったら、今俺が必死にやってることは何なんだよ?
「とにかく、さっさと今やってんのを終わらせよーぜ。千夜が休んでる間に、おめーの歌録っちまおーや」
自問自答してると横からイッコーの声が飛んできて、現実に引き戻された。俺は大きくため息を一つついて、歌録りの準備に取りかかった。