→Rock'n Roll→  Tasogare Akane  top      第3巻

   086.フリスキー

 充電器に差していた俺の携帯電話がいきなり光り出して、こたつの向こうにいた溢歌が手を伸ばして電話に出た。
「はいもしもし」
「待てえぃ!」
 俺の電話に勝手に出るんじゃない!
 喉から心臓が飛び出そうになりながら、急いで溢歌の手から携帯を引ったくる。
「あ〜もしもし」
「誰今の声。カノジョー?」
 上ずった声で尋ねると受話口の向こうからイッコーの下品な声が聞こえてきて、俺は問答無用で電話を切った。冷めた顔で溢歌に戻しとけと携帯をこたつの上で滑らせて渡すと、また手元でディスプレイが光ったので溢歌が再度電話に出た。
「ちょっと待ってね。今黄昏クンに替わるから」
「だから勝手に出るなっ!」
 息を切らせて携帯を手元から奪う。ほっぺを膨らませる溢歌をよそに、息を整えながら再び電話に出た。
「お盛んなことで。あ、現在進行形で盛ってたとこ?」
「おまえは一体いつキュウに下ネタを仕込んでもらったんだ?」
「あいにく直(チョク)でしこまれたこともしこんだこともねーです」
 ……頭が痛くなってきた。
「そんなくだらないことを言いたいがために電話をかけてきたのか。切るぞ」
「わー待って待って。大事な用件があるから電話したんだって」
「……で、何だその用件って」
 次にくだらないこと言ったら携帯の電源を問答無用で切ってやろうと思った。
 身構えてると一言。
「いやー利き腕の骨折っちゃってさー」
 はいい?
 俺は急いでイッコーの家の中華料理店に向かった。
「ほら見て見て。病人みたいじゃね」
 カウンター席に座ったイッコーは右腕に巻いたギブスを喜んで俺に見せてくる。
「なあ、帰っていいか?」
 もはや呆れて一秒でもこの場にいたくない。
「待って待って」
 凄く冷めた目を返す俺の服の裾を引っ張って呼び止める。服が伸びるっつーの。
「そんな腕じゃベース弾けないじゃないか!どうするつもりなんだ」
 指差して怒鳴ると、イッコーは冷静な顔をしてギブスを外した。
「あ、こっちはヒビが入っただけ。数週間もすりゃ治るってさ。医者が大ゲサでさー」
 笑って言ってのけるものの、それでも相当痛いように思える。
「大体何でそんな怪我したんだ……もうすぐライヴだってのに」
「ああ、それはだな、木の上から降りられなくなった猫が加重で折れた枝と一緒に落ちてきたのを助けようと手を伸ばしたら、勢い余って真下にあったコンクリの壁に打ち付けちまって。その猫は大丈夫だったんだけど」
「みゃ〜」
 減らず口で説明するイッコーの足下で、太った三毛猫が眠たそうに鳴いた。どうやらその時の猫らしい。あんまり可愛くない顔だけど、恩義は感じてるようだ。
「右手人差し指と中指の二本、それと尺骨のヒビ。ポッキリ折れたわけじゃないから、治るのにそんな時間はかからないって医者のカルテだけど……何でこの時期なのよ、も〜」
 病院でもらって来た診断書を見てるキュウがほっぺを膨らませてぶつぶつ呟いてる。とは言え、この時期で良かった。全ての収録が終わったのはたったの二日前だから。
「わりーわりー。別に油断してたってわけじゃねーんだけどよ。ま、だいじょーぶだろ、本番までにはくっつくさ」
「それまでに練習が出来ない……」
 恨めしそうにテーブル席に座る千夜が呟く。確かにこの状況じゃ、最悪ライヴを延期せざるを得なくなるかもしれない。
「それを言ったらたそだって喉を休ませるから歌えねーし一緒だろー」
 イッコーと同類と思われると何だか腹が立つ。実際問題俺もライヴまでまともに歌わないようにするって事前に話し合ってはいるんだが。
「ライヴでやるのはいつもの曲が中心だからいいんだけど……アルバム構成と替わらないから。でも新曲が……こればかりは合わせておきたかったけどね」
 困った顔で千夜の対面に座る青空が呟く。またぶっつけ本番でやらなきゃいけないのかと思うと気苦労が襲ってくる。これまででも意外と乗り切れてこれたから、今度も大丈夫だと思いたいけどライヴ本編の最後に演奏する曲だ。
「ソコでトチったら目も当てられないわね……」
 キュウの心配ももっともだ。沈んだ空気が休日の店内に染み渡る。
「そん時はそん時。アンコールで挽回しよーぜ、もう出血大サービスで」
「いくら何でもボツ曲まで持ってくるのは無理だよ。ステージであんまり演奏してないのは忘れてるよ〜」
 吹き飛ばそうと景気よくはしゃぐイッコーをよそに青空が頭を抱える。ライヴで1,2回合わせたものの、今はもう演奏してない曲も何曲かあったりする。リストに合わなかったり客にあまり受けてないと感じたものだ。その辺の判断は青空とイッコーに任せてある。千夜は仮加入の時期もあったからか、相変わらずその辺には口出ししない。
「とりあえずテープを聴き込んで、本番を迎えるしかないわね」
 キュウの意見にみんなが頷く。至って普通の結論だけどそれが一番だ。
「それにしても何だか打ち上げって雰囲気じゃなくなったわね。別に今日やろうって言ってたワケじゃないけどさ」
 カウンター席に頬杖ついてキュウがため息をつく。収録の最後の方はみんな張りつめてたので、じっくり休んでアルバムのサンプルができあがってから軽く打ち上げをやろうと言ってたのに、イッコーが骨折したせいで気が削がれてしまった。
「それ、本番までに治るのか?くっついても完全に動かせるようになるには時間がかかるだろ。それにイッコーは指使って演奏することが多いんだし」
 イッコーの痛めた右腕を指差して改めて尋ねる。ピックを使うより指4本を使ってベースを演奏することのほうが多いので、二本折れてると大変だ。ピックを使おうにも人差し指が折れてるから、演奏するのは大変だろう。
「どーだろ。おれこーゆー怪我初めてだから何とも言えねーなあ。とりあえず小魚と牛乳摂りまくって気合で治すしかねーわ」
「どこの小学生だよ」
 あまりのポジティブっぷりに呆れ笑いが出るけど、それぐらい前向きのほうがいい。
「元々ライヴだと途中に2,3回ぐらい休憩入れようと思ってたから。黄昏の喉の調子を考慮してね。通しで2時間持つかと言うと、結構厳しいと思うもの。イッコーの腕もどれだけ回復するかわからないし、そこら辺はMCやら何やらで上手く調整できればいいね」
 青空は前もって考えてるようで、頼もしい。今のバンドの状況だと一番計算できるのがそれほど演奏が上手とは言えない青空なのが、観る側にとってはどうなのか。俺は信頼してるし、かなり波があってはまると物凄い演奏をするタイプなので、最後のライヴが上手く行くといいな。
「マスターには連絡したのか?」
 みんなに尋ねると既にイッコーの骨折は連絡済みで、今のところライヴの延期の予定はないと言うことだ。むしろようやくアルバムができあがって昨日ようやくラバーズのスケジュールを前もって空けていた曜日に確定したところだ。大体チケットを売るのは一、二ヶ月以上前なんだけど、元々うちのバンドの場合は空いてるところに無理矢理ねじ込んで数週間後に本番と言うことが多かった。全てはさぼり癖のひどい俺の責任でもあるが……。
「そういや最後のライヴか。これからしばらくやらなくなるんだな」
 感慨深い気持ちで手元にあるグラスのビールを傾ける。まだ外は寒いし、暖かい日には風が強い季節でもあるのでそれほどバイク歴が長くない俺はしばらく乗ってない。なので久々に呑んでる。以前の打ち上げだと結構千夜も日本酒を傾けてたけど、今は全然呑んでない。昔はずっと警戒心で張りつめてたような感じがあったのに、もう俺達の前だと柔らかい表情を見せることが多くなった。横跳ねした髪や黒ずくめの服装は前と変わってなくても、目元のキツさや攻撃的な態度はすっかり身を潜めてる。それはそれでちょっと物足りなくはあるけど、ちょっかいを出すとキュウが物凄い剣幕で飛んでくるので止めておく。
「次、いつやるかはわからないけど……僕は前向きに捉えることにしたよ。これからどうするかはまだ全然決めてないけどね。とりあえず、またバイトしなきゃいけないね」
 青空は笑いながら皿の上に盛られた唐揚げに箸を運ぶ。片手でも料理はできると言って俺達が見舞いに来た時にイッコーが元気に調理場に立った。さすがに時間がかかってやりにくそうではあったが。
「おやっさんのとこでバイトするって言ってなかったっけ?それが正解じゃねーかな。とりあえず食い扶持探さなきゃ話にならんでしょ。そーいや青空も大学行くとか昔言ってなかったっけ?」
「僕は落ちこぼれだからね」
 イッコーの問いに自虐的に笑ってみせる青空。高校卒業時の受験は失敗して、来年度の受験勉強の合間に音楽と出会って俺を誘ってしまってから、青空の人生は大きく狂いっぱなしだ。本腰を入れてやれば今頃いい大学にも足を運べてたろう。だけど青空は『Days』と心中することを選んだ。そう言う意味じゃ、きっとバンドが止まることを一番悔やんでるのは青空だと思う。自分が立ち上げたバンドだから、人一倍思い入れがあるはずだ。
「この年で大学と言ってもしょうがないしね。もうすっかり諦めてるし。むしろ音楽に夢中になれてる今の状況が僕にとってはとても幸せだよ。まさか人生を賭けてまでこんなに充実した生活を送れるだなんて始めた頃は思ってもみなかったもの」
「むちゃくちゃヘタクソだったしな〜」
 横からイッコーに茶々を入れられて顔を真っ赤にする青空。イッコーを誘った時のボロボロだったギター演奏は今でも覚えてるぞ俺。
「今でもあまり変わらない。多分青空に駄目出しした回数が一番多い」
「さりげなく酷い事言わないでよ千夜……」
 へこんだ青空の姿を見て千夜はおかしそうに微笑んで烏龍茶を口に含む。減らず口は前と変わらなくても、今の状況を物凄く楽しそうに受け入れてるように見えた。
「アタシももうちょっと早くみんなと出会えてたらな〜」
 キュウが物欲しそうにカウンターに上体を投げ出してぶーたれる。まだ出会ってから1年経つか経たないかだし、俺達4人とはつき合いも短い。それでもバンドに欠かせないほどに順応してるのはキュウの性格なんだろう。愁もバンドより俺のほうが大事だった。
「おれ達がバンドを始めたのは3年前くらいだから……その頃っておめー小学生か?」
「何でよ、中学生よ。えっと……中二?一番水海でぶいぶい言わせてた頃ね」
「いやまてそれはおかしい」
 その年齢で一体何をやってたんだ、おまえは。
「あの頃は結構悪さしてるガキ達が水海をたむろしてたな〜。チーマーっつうの?カラーギャングっつうの?今の呼び方はよくわかんねーけど。ここは水海からちょっと離れてる商店街だから、そんな直接被害が出たとかは聞かなかったわ」
「そんなことがあったのか?」
 しばらく水海近辺に住んでる俺も全然知らなかった。
「あら有名よ。水海ってかなりでっかいでしょ?大きな駅を挟んで全然違うし。北はストロベリーパークがあって、オシャレな繁華街もちょこちょこあって。南側は百貨店が密集してて、何本かの大きな駅前ビルを挟んだ向こう側の橋を渡るとビジネス街になってる。西側は工業地帯で、貨物船がたくさん止まってるわよね。そしてこっちの東側は風俗店やら飲み屋やらゲームセンターやら、遊びの広場が充実してるの。駅を挟んでストリートギャングは大体二分してたわね」
 くどくどとキュウが説明してくれる。ちょっと感心した。
「詳しいんだな」
「だってアタシもそこにいたもの。別に悪さしてたワケじゃないけど、色々あったのよ。片方のサブリーダーのオンナやったり」
「ぶっ」
 突然の告白に青空が口に含んでた食い物を喉に詰まらせる。慌てて手元の水を掻き込んで、事なきを得た。
「おめー若い頃からそんなだからそんなエロエロフェロモンいつも振りまいてんのか」
「ソコ、人を変態星人みたいに言わない。それにアタシは花のジョシコーセーよ」
 呆れた様子で眺めるイッコーに鋭く指差すキュウ。事実だと思うぞ。
「でもそいつらも大きな抗争があった後、サツの連中に一網打尽にされなかったっけ?それからしばらくは落ち着いてたな〜。今は怪しい外国人の連中を見かけるようになったけど、それも時代の流れなんだろ〜な。ま、俺達にゃ関係ねー話か」
 イッコーは他人事のように呟くと、慣れない左手でフォークを使って唐揚げを突き刺して口の中に放り込む。熱さの残った肉汁に少し悶えてた。
「今はもうやってないんだ?」
「え、つき合い?もうないわよ、さすがに。そんな経歴もあるから、アタシは水海の街でも結構顔が利くんだけどね。今は仲のいいトモダチとたまに買い物したり遊ぶくらいよ」
 青空の問いにさらりと答えるキュウ。何だかんだでこいつも昔色々あったようだ。普段の素振りからは全くそんな顔を覗かせないのは人生経験なのか。ある意味逞しい。
 溢歌もこれぐらい逞しければまた変わったんだろうか?あいつ結構ナイーブと言うか、打たれ弱いところがあるから。あんな壮絶な過去じゃ、無理もないけど……。
 千夜も大変な過去を背負ってるし、愁はとても恵まれた環境で育ってたんだなって思う。その反動で俺が傷つけてしまった時、手首を切るなんて真似をしたんだろう。
 子供の頃描いてたような平和な世界ってのは、一体どこにあるんだろうって時折考える。絵本の中みたいな幸せしか存在しない世界に、一度でいいから俺も行ってみたいもんだ。
「ああっ汚物を見るような目で観ないで、おね〜さま〜。今は『Days』に心血注いでるんだからぁ〜」
 昔の告白に引いてる千夜にキュウが甘えた声で擦り寄る。以前より困った顔で冷たく突き放さなくなったのは、事件後に色々とケアしてもらった恩義を感じてるからだろう。あくどい、実にあくどい。別に下心で手助けしたわけじゃないとは言え。
「でもバンドが休止した後、どうするんだ?」
 じゃれてるキュウに率直な疑問を尋ねると、指を口に当てて考え込む素振りをする。
「そーねぇ。とりあえず一年真面目にやって高校卒業するってのが当面の目標ね」
「いやそれは普通に授業に出てれば達成するだろ……」
 高校中退した俺が言うのも何だが。
「その後は何にも決めてないわ。でもバンドのマネージャーを一年くらいやってきて、もしかしたらアタシってこーゆーのが天職なのかもしれないって思い始めてきたわ。他人のフォローをするのが楽しいってゆーの?そーねぇ、将来はレコード会社とか立ち上げてみたいわね」
「夢でっかすぎだろ」
 イッコーが笑いながらカウンターの上に鎮座したデブ猫の頭を撫でる。ともあれ希望があるってのはいいことだ。
「そーゆーアンタはどーなのよ。この狭い店継ぐつもり?」
 笑われっぱなしなのは悔しいのか、キュウが怒った口調で訊き返す。
「ん〜、ど〜すっかなあ。別にそこまで決めちゃいねーけど、前々から調理師免許は取りてーと思ってたんだ。せっかくだからこの機に取っちまうか、1年ありゃいけるし」
 したり顔で答えるイッコーはまんざらでもなさそうな様子だった。
「ま、今でもちょこちょこヘルプに入ったりしてるしな。別に音楽は止めねーよ。『Days
』が復活するって時には真っ先に駆けつけてやるって。俺ン中じゃ優先順位一番だしな」
 何とも心強い言葉だ。イッコーはそれだけこのバンドに心底惚れてるんだろう。長年一緒にやってきてホントに良かったと俺も心から思える。
 感慨深い気持ちで酒を傾けて飯を食う。イッコーの手料理を落ち着いて食えるのは久しぶりで、何とも幸せな気分になれた。そばまで歩いてきた猫が眠そうな声であくびをする。
「そーゆーたそはどうするん?」
 猫の喉元を指でゴロゴロと撫でてると、イッコーから俺に質問が飛んできた。
「そーよそーよ。たそはどうするのよ」
「僕も気になる」
「私も。黄昏がこのバンド以外で歌う所が考えられない」
 休止するきっかけを作ったおまえが言うな、千夜。
「そうだな……どうしようか」
 いざ考えてみても、全くもって案が浮かんでこない。当然だ。『Days』は俺が青空の楽曲を歌うために始めたんだから。外に出て歌うきっかけをくれたのは青空で、ステージの上で青空の作った曲以外を歌うなんて考えられない。イッコーの曲や引きこもり時の自分の曲を歌うことはできたけど。
「そもそも、休止した後にどんな気持ちになるのかも今はまだ想像できないしな。ゆっくり時間をかけて考えていくことにするよ」
 溢歌と一緒に。
 そう、今の俺は一人で考えなくてもいいんだから。
 だからこそ先が見えない今後でも、不安は感じない。そばに溢歌がいるから。
「ホントにのんきよね、たそって。また引きこもっちゃダメよ?」
 そんな現状も知らないキュウが心配そうに俺を見てくるので、笑って答えておいた。
「青空はどうなんだ?俺と一緒にまだやるのか?」
 気になったので質問してみると、青空は両腕を組んで難しい顔で唸った。
「どうだろう。今の僕じゃ『Days』の曲と黄昏一人の曲って分けられないと思うんだよね。元々黄昏に歌ってほしいためにずっと作ってきたんだもの。だけどそれを千夜がいない状態で同じことが出来るかと言われると、多分出来ないし、自信が無いよ。それぐらい『Days』の曲になっちゃってるんだよ」
「青空……」
 向かい側に座る千夜が羨望の眼差しを送る。それだけ青空がバンドの一人一人を大切に想ってることが伝わってくる。
「だから、また別のアプローチで僕は僕の表現の仕方をじっくりと探すかな。もちろんみんなに協力して貰う事はあると思うけどね。その時は頼むよ」
「りょーかい」
 イッコーがのん気に答えて、春巻を頬張る。俺達も頷いたのを観て、青空の顔が綻んだ。
 例えこれからみんなバラバラになっても、つながってる。これまで一緒に過ごしてきた時間の中で得られたものはなくならない。そう強く思えた。
 これからの俺は一体どうなって行くんだろう?漠然とした未来。そこにまた新しい人生の答えが見つかるんだろうか?
 新しいスタートラインに立つその時が訪れるのを、恐れずに待つことにしよう。


トップページへ  前のページへ  次のページへ  第3巻